夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

カーリング「チーム青森」、北海道常呂町の奇跡

 バンクーバーオリンピックのカーリングが面白い。「氷上のチェス」とも呼ばれるこの競技は、オリンピックの他の競技が体力勝負のアクロバティックな演技を要求されるのに対して、いささか地味だが頭脳を使った知性的な駆け引きが面白い。カーリングの歴史を見ると、

15世紀にスコットランドで発祥したとされ、当時は底の平らな川石を氷の上に滑らせていたものとされている。氷上で石を使うカーリングの元となったゲームの記録は、1541年2月にさかのぼる。場所はスコットランド、グラスゴー近郊のレンフルシャーである。「カーリング」という名称の起源は定かでないが、1630年のスコットランドの印刷物中にこの名称の使用が確認されている。スコットランドでは16世紀から19世紀にかけて戸外でのカーリングが盛んに行われていたが、現在のルールは主にカナダで確立したもので、1807年には王立カーリングクラブが設立されている。1832年にはアメリカ合衆国にカーリングクラブが誕生し、19世紀の終わりまでにはスイスとスウェーデンへと広まった。1998年の長野オリンピック以降冬季オリンピックの正式種目として採用されている。現在ではヨーロッパ全域をはじめ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、中国、韓国などで行われている。(カーリング-Wikipedia
 4年前、トリノオリンピックの頃、「シムソンズ」という名の映画が公開された。カーリング日本代表「チーム青森」の前身「シムソンズ」を主役にしたカーリング映画である。トリノオリンピックに出場した「チーム青森」の5人中、実に3人(小野寺歩林弓枝本橋麻里)が北海道常呂(ところ)郡、常呂(ところ)町出身。しかも、この常呂町、2006年3月5日に北見市と合併し「北見市常呂町」となっている。

 さて、常呂町には他の町と比べて違うところがある。それは町立の専用「カーリングホール」があることだ。常呂町とカーリングの関係は1980年に始まると言う。映画「シムソンズ」のパンフレットにこうある。

1980年1月、北海道と姉妹提携を結んでいるカナダ・アルバータ州から、交流の一環としてカーリングの元世界チャンピオンのウォーリー・ウースリアク氏が来日し、講習会を開いた。当時、カーリングは、名前を知ってる人すらほとんどいないという超マイナーなスポーツだったが、その競技の奥深さに誰もが虜になった。

その年、幾人かの人々の熱い思いにより、常呂カーリング協会が発足された。当初は道具も揃わず、ストーンの代わりにビールのミニ樽を加工して間に合わせたり、町内のテニスコートや空き地に水をまいて凍らせ、カンナで削って表面を平らにしただけの、手作りのカーリング場で遊んでいた。

町にカーリングが広がる中、常呂町の有志たちは、この競技がもっと世界に浸透し、オリンピックの正式種目に認定される日もくるかも知れないと考えた。

その時、常呂町に1つの大きな夢が芽生えた。
「カーリングを広めて、常呂町からオリンピック選手を!!」
常呂町でカーリングの普及に走り出してから8年後の1988年1月、常呂町に念願のカーリングホールが完成。アジアで初の屋内カーリング場だった。

そして、その10年後。1998年、長野冬季オリンピック。カーリングはオリンピックの正式種目として認定された。長野冬季オリンピックに出場した選手10人の内、5人が常呂町出身者常呂町の夢が叶った瞬間だった。さらに4年後、ソルトレーク冬季オリンピック。再び、常呂町から4人のオリンピック選手が誕生した。それが、本作のモデルにもなったカーリング女子日本代表「シムソンズ」である。(「シムソンズ」パンフレットより)

 常呂町では、町民の5人に1人が楽しみ、中学や高校の授業にとりいれられているという。このような環境だからこそ「シムソンズ」(チーム名「シムソンズ」はアメリカのアニメ『シンプソンズ』(The SIMPSONS)を、読み間違えて命名してしまったもの。映画の中でかわいい子供が出てくると言っているが、とうていかわいいキャラではない)が登場する素地があったのだ。

 なお、今回のバンクーバーオリンピックのカーリングチーム「クリスタルジャパン」には、目黒萌絵本橋麻里近江谷杏菜石崎琴美山浦麻葉の5人が載っているが、目黒は北海道空知郡南富良野町、石崎は北海道帯広市、山浦は長野県、本橋・近江谷が北海道北見市常呂町の出身である。英国・スコットランド生まれのカーリングで、英国のチームに勝った意味は大変大きい。
ブログパーツ