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素人だから言えることもある

現代日本人の精神の貧困「三ない主義」

 「三無主義」という言葉がある。30年ほど前に若者に対する批判として作られた「無気力・無関心・無責任」のことであるが、無感動を加えて「四無主義」と呼ばれることもある。(なお、諸説あり、後から無責任が入ったという説も)。ともかく、最近、この現代人の心理を追及する分野でエントリーがまとまってきたので、「三ない主義」ということで論じてみたい。

対話がない

 対話とは、単なる友人とのおしゃべりではない。また、仕事上の上下関係の会話でもない。山田洋次監督の言う「対等に話し合える知性的に結ばれた間柄」(「おとうと」パンフレットより)(映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーション)が必要である。ところが、
 家族に哲学の学者でもいない限り、家庭内で「人間とは何か?」「生きるとは何か?」「愛とは何か?」「時間とは何か?」について、語り合うことはしません
 もっとひどいことに、日本人は概して宗教について、知識も意識も乏しい傾向にあります。人によっては、激しい抵抗感がありますから、友人同士の会話で「人間とは何か?」などと問いかけると、「オマエ、何かの宗教でも入ったの?」と会話を遮られ、考える機会さえ封じ込められることもあります。(平林久和著「ビジネス人生論 なぜ、泣ける男は成功できるのか」誠文堂新光社)
 もちろん、そのような哲学的な話題を振りまくことが対等な人間関係というのではない。ただ、そのような疑問をぶつけても真面目に考えてくれる関係が必要だというのだ。それはミヒャエル・エンデの「モモ」のように。
 「モモ」とはこんな話だ。「モモ」という身寄りの無い女の子は、相手の話を何時間もかけてじっと聞く。すると、不思議なことに相手は自分の本質が、まるで鏡のように見えてくるのだ。そして自分が正しいか正しくないかを、納得して帰る。だから、町の人たちは皆「モモ」に話を聞いてもらいにくる。(時間が足りない(異文化文献録)
 そのような答えのない問題をバカにする人たちには、誰にも問いかけたりしない。そして対話のできる相手はどんどん減っていき、孤立化に向かうだろう。

考えない

 「先のことを考えられない人たち」で、僕は、人々の行動がひどく小さくなり、細分化されて誰もより広く展望を描けない現代日本人の心理を考えた。

 それを脱するためにどうしたらよいか。それは、まったく違った分野の人と触れ合うことである。地域や趣味のコミュニティを考えてみよう。そこに集まるのは、仕事も性別も年代もバラバラで、普通なら出会わなかった人たちである。このような人たちは「ウィークタイズ」となる。ウィークタイズとは、ゆるく結んだネクタイという意味である。

 友達の存在はどのようなプロセスで希望に影響を与えるのだろうか。その詳細な道すじは、今のところ、まだわからない。ただ、友達という自分にとっての他者の存在が、希望を発見するための重要な情報源になっている可能性は高い。なかでも社会学者のグラノヴェクーが「ウィークタイズ」と表現したような自分と違う世界に生き、自分と違う価値観や経験を持っている友だちからは、自分の頭で考えるだけで得られなかった様々な多くの情報が得られたりするものだ(『転職』1998年)。(玄田有史編著「希望学」中公新書ラクレ)(貧困と孤立、そしてウィークタイズ
 このように違った分野の価値観からの情報を得るためには、様々な分野の人たちと対話をしなければならない。そして、細分化した自分の世界を広げる努力をすることである。それはひと言「考える」ということだ。

 例えば、あなたがある専門家とのインタビュー記事を書かなければならないとしよう。当然ながら、その専門家の著作を読み、その考え方を知らなければならない。インタビュー時間は限られている。より、効率よく優れた記事を書くためには、相手から心地よく本音を引き出すように努力をしなければならないだろう。「一期一会」という言葉かある。たった一回しか会えなかった人もいる。そのとき、悪いイメージを与えた人は、誰も再び会いたくないと思うに違いない。一方、このウィークタイズのつながりが、様々な分野に広まれば、自分の世界をさらに広げることができる。

希望がない

 僕は、村上龍氏の「希望の国のエクソダス」の中から
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」(「希望の国のエクソダス」村上龍著/文藝春秋)
という言葉を取り上げて展開した「この国には希望だけがない」や3月11日の調査でも
日本の将来「夢ない」65% 大学生、雇用・財政難でがっくり

 大学生の65%が日本の将来に夢や希望を持てないと感じていることが11日、資産運用会社フィデリティ投信の調査で分かった。デフレ不況が長期化し、明るい未来像を描けない若者の不安意識を浮き彫りにしている。
 夢を持てない理由(複数回答)として「財政赤字が深刻化し、若年世代に過重な負担」「雇用不安が続く」の二つが70%台に達した。「公的年金の世代間格差はなくならない」(55%)、「所得が増えず豊かな暮らしを望めない」(51%)との回答も目立ち、財政悪化や企業のリストラのつけが将来世代に回されることへの警戒感がにじむ(産経ニュース3/11)

 確かに、希望が持てない理由を探れば、個人ではどうしようもない社会的要因は大きい。だが、希望がないからといって、不満だらけの人生に閉じこもっていていいのか。人に会うたびに不平不満をこぼす人間を友人にしたいと誰も思わないだろう。自分で壁を作る人間は、「対話がない」「考えない」人間である。人生の大半を会社と自宅の往復で過ごし、家族との対話もなく、寂しい人生を送った人間は、退職後、自分の居場所を見出せず、妻の病死後、後を追うように自殺する人も多いという。生まれた以上は、他人に不満をぶつけることでなくて、自ら希望を求める人生でありたいと思う。
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