夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

業界素人が3年半のブログで作った「知識のジャングル」

売りは素人

 CNET Japanの読者は、ITのプロが多い。読者ブロガーも同様である。そうなると、どうしても話が高尚・難解になりすぎて、まるで大学の技術科の教授の集まりみたいになってくる。一方、僕はプロフィールで書いたように、IT業界にはまったく関係もないし、業界人との知り合いもない。それをマンガにすると、難攻不落の頭脳戦の最中に竹やりで一人突進の図である。僕は、売りとなるべき肩書きや経験がないので仕掛けが必要だと思っていた。それも、もう一度過去のエントリーを読んでくれる仕掛けが。

ヒントは新聞サイトから

 僕は、読者のターゲットをITのプロではなくて、僕と同じようにIT素人が大多数だと思うことにした。たとえれば、教授が講義だけをするなんとか講座よりも、素人のキャラクターが登場して素人の視聴者と教授との橋渡しをする教育番組のようなものであり、改めて基本的な部分が学べる。ただ、ブログになると、書き手が一人なので、この教授の役割をする部分がない。そこで、それを新聞や資料の引用とした。リンクをいくら多数並べたところで、読者はそこまで読んでくれないだろうし、リンク先が膨大になれば、おそらく途中で読むのをやめてしまうだろう。そこで、リンクを示すと同時に必要な部分を書き出した。また、新聞サイトは、数日立てば記事の使用期限が切れてしまい、リンクの価値がなくなる。もし、リンクだけを連ねていれば、そのブログの価値はそこで半減してしまう。僕は、それを恐れるため、できるだけ引用箇所を書き出すことにした。

自分の過去のエントリーを活用するのはなぜか

 資料の引用は、ニュースサイトはもちろん、本、雑誌・映画のパンフレットなど紙資料にも及ぶ。アマゾンのサイトにリンクはできても、廃刊・廃版になったものは読者が手を触れることはできない。つまり、僕のブログエントリーそのものが貴重な資料の宝庫になりかねないのである。他の数多くのブログでも、資料の引用をしている例は多い。だが、僕のエントリーのように自分の過去のエントリーを活用しているケースは少ないだろう。それは、資料をブログに書き写すことこそ僕の「知識のジャングル」としての第一段階だからである。

 知識は「情報→知識→知恵」の形で身についていく。チラシやニュース、新聞などで読者は断片的な「情報」に触れる。「情報」を系統的にまとめると、それは「知識」となる。個人個人は、その「知識」を実践することで、その個人としての「知恵」に昇華する。僕は、その過程をこのブログで実験しようと思った。

 例えば、ブログであるニュースをとりあげたとする。その時点で、そのニュース自体は「情報」である。僕は、その「情報」と「過去の情報」を結び付ける。その「過去の情報」自体も、それを書いた過去の時点では単なる断片的な「情報」に過ぎない。しかし、現在、その2つの情報が結び合わせると、新たな「知識」となっているではないか。つまり、僕の頭の中では、この2つの情報による新たな「知識」が、新しい情報として生み出され読者に提供される。

「知識のジャングル」とは何か

 知識のジャングルは、豊穣の世界である。ありとあらゆる知識が満ち溢れ、過去の知識に触れると、また別の知識に触れることができる。僕のエントリーでは、2つないし3つ以上の過去のエントリーや資料の引用がある。言葉もまた膨大だ。一番最初に書いたエントリーが「脳化社会とWii 」というものだった。脳化社会とは、養老孟司氏に作られた概念で、
人間は進化するたびに自分たちに都合のよい社会に作り変えていく。人間は自然を避けて都市を作り人工物に囲まれて生きていく。人工物であるから、ある程度の危険は予測できる。このような「ああすればこうなる」社会が「脳化社会」であるという。つまり、脳の中で作った社会が現実化しているというわけだ。(脳化社会とWii)
 この「脳化社会」をはじめ「希望学」「失敗学」「イノベーションとジレンマ」「フラットする世界」「ブルー・オーシャン」「プロシューマー」「コンテナ」「パラダイス鎖国」「沈黙の螺旋」「ブランディング」「ダークサイド」「ホームサーバ」…、このエントリーでとりあげた知識は膨大である。そして、それぞれのエントリーを時系列で読めば、僕の考え方がわかり、それを過去のエントリーで結び付ければ、その知識がどういう風に発展していったかがわかる。いったん迷ったら最後、出て来れないかも知れないが、一方で読者にアイデアのひらめきを与える世界である。これこそが「知識のジャングル」であり「ファンタージェン」なのだ。
「絶対にファンタージェンに行けない人間もいる。いるけれども、そのまま向こうに行きっきりになってしまう人間もいる。それからファンタージェンに行って、またもどってくる者もいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」(ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」岩波書店)(夢物語(異文化文献録) )
 僕が「夢幻∞大」というペンネームに「夢幻」と「無限」を掛け合わせ、「現代」を追求した理由がそこにある。
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