夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

誰もアーカイブの重要性に気がつかなかった

ブログは人間の外部脳的アーカイブ

 「ブロガーのスキル」について佐々木俊尚氏に
ブログは人間の外部脳的アーカイブへとなっていく。/ ブロガーのスキル:夢幻∞大のドリーミングメディア - CNET Japan
というTwitterをいただいた。

 「ブロガーのスキル」の中で引用した

橋本 過去ログが何を検索してもひっかかるようになる。自分で書いたんだけど忘れていた知識が見つかって、これは便利だなと。自分データベースです。

いしたに 外部記憶がDBとして機能してくる感というのはありますね。そうか、そのボーダーが1000なのかも。(ブログは1000記事を超えると何かが変わる/橋本大也さんのブログ論(第11回))(1000本続ける! )

部分を示しているのだろう。これはいったい何を意味しているのだろう。

 そもそも、人間の記憶と言うものは、学校で他人の知識を教わったり、会社で様々な人から経験として知識を学んだりする。その点では、個人のオリジナル知識と言うものは、ほとんどないかもしれない。だが、それらの知識を自分のからだを通して昇華するとき、オリジナルなものとなるのではないか。

 例えば、一冊の小説を読むとする。すべての文章を覚えることは不可能である。その文章の中に、読んだ人の経験に照らして感心した部分が記憶に残る。僕は、これを「知識」から「知恵」に変化したものだと考える。もちろん、その影響を受けた本を自宅の書庫にコレクションすることも必要かもしれない。だが、それよりも、心に残った部分を文章に書くことが大切なのではないか。結局、ブログとは、その積み重ねではないかと思う。

一人ひとりのブログがコンテンツになる

 また、ブログは受け手から送り手へと変身させてくれた。ただのマスメディアの一人の読者に過ぎなかった人でも、ブログを通して発信できる。その場しのぎで書いていたブロガーも、そのアーカイブを読めばたちまち彼の考え方が分かる。現在しか見ていないように見えるが、結局、過去(アーカイブ)によって左右されていることも。

 今回の一ヶ月にわたる読者ブログ廃止騒動は、僕たちにとってブログが自分の財産であることに気がつかせてくれた。僕たちは、この膨大なアーカイブとともに引越しをする。これは人生の記憶の一部であるから、決して離れることはできない。人間は他人の知識と触れ合いながら、自分の考え方を決めていく。昨日よりも今日、今日よりも明日、より深く、より広大に。
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