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素人だから言えることもある

欽ちゃんは悪くない

悪いのはみんな萩本欽一である

 佐々木俊尚氏のツィッターから悪いのはみんな萩本欽一であるというYouTube を見た。僕は、この番組はタイトルだけは知っていたが、未見であった。フジテレビのホームページチャンネルΣによると、
 番組は、是枝監督の仮定「テレビのバラエティーがひんしゅくを買い続けている。…犯人は、萩本欽一である」に基づき、かつて出演したレギュラー番組の一週間の視聴率合計が100%を超えるなど、テレビのバラエティー史に華々しい功績を残したコメディアン・萩本欽一を被告人に仕立て、法廷劇として進行していく。

萩本は、テレビにおける“笑い”というものを開拓、確立させた一方で、「共演者への暴力」、「お笑いに関して素人である歌手・アイドルにコントをさせる」、「低俗」、「イジメ」、そして「素人いじり」といった、いま、“バラエティーが嫌われる理由”(「BPO意見書」より)にも含まれる数多くの要素をテレビに持ち込んだ。

こうした数々の“犯罪的行為”を、萩本自身のテレビ史に沿って追及しながら、バラエティの現状を浮きぼりにしていく。裁判は、本人へのロングインタビューや、数々の証拠VTR、同時代の証人のインタビューを交え、1962年生まれの「是枝少年」の目線と、いまの「是枝監督」の目線、2つを交錯させながら進行する。(チャンネルΣ『悪いのはみんな萩本欽一である』)

とある。ある意味、萩本欽一は今までのパターンを壊した破壊者であった。例えば、コント55号のコント台本を書いた岩城未知男氏は、コント55号の特徴をこう書いている。
 第一に、与太郎型のボケを止めようと云う事である。コントと言うと、落語や漫才の影響が強く、必ず与太郎型のボケ役が登場する。如何に、“笑い”は優越感から生ずると雖も、余りにも、日常性から懸け離れたおどけは最早、素直に笑えないのではないだろうか。

 そこで、コント55号の場合に、ボケ役の坂上二郎は決して、異常な人物設定で登場しない。少なくとも、ステージへ現れた時点では、決して欠陥人間ではない。何処にでも居そうな、平凡で、善良な一市民と云った設定が原則である。

 逆に、ツッコミ役の萩本欽一の方は、やや異常な性格を帯びて登場して来る。ある場合には、独善的であり、偏執的であり、強度にヒステリックであり……と云う様に。つまり、異常な性格を持った萩本に、執拗に振り回されることによって、観客と同じ次元に居た、正常な坂上が、無理矢理に常軌を逸した行動をとらされる羽目に陥って、その結果として、ボケ役を演ずる訳である。」(岩城未知男著「コント55号のコント」サンワイズ・エンタープライズ) (総ツッコミ時代の原点はコント55号)

 今までのツッコミは天然ボケの人が必要であった。ツッコミはただの人でもかまわなかったが、ボケには希少価値があった。ところが、コント55号はそれを逆転させた。ボケは素人でもよくなり、天才的な萩本欽一が、それを突っ込むわけである。また、このコント55号に学んだのが日本テレビの土屋敏男プロデューサーであった。
(土屋) 55号のコントって、二郎さんって言う人をどこまで振り回すか?っていうのが形だったでしょ。 ある程度までは決まったパターンがあるんだけど、それがどこまで行くかは分からない、だからおもしろい。

二郎さんというキャラクターのドキュメント。いいツッコミが決まれば、それはどんどん止まることなく 広がりを見せていく。相手を素人に変えても同じ事が言えるよね。うまくやりさえすれば、どんな些細なことだって こっちがどんどん広げて、演出していけるんだよ。それを俺は『電波』で活かしたかったんだ。だから編集やナレーション、テロップでつっこむことで 成立させていったんだよ。

(高須)電波のスーパーとかはうまいなぁと思ってみてましたよ。ナレーターのKYOYAさんもホントにうまかったですしね。いい声で、絶妙のテンションで…すごいなぁと思いましたよ。

(土屋) だけど、テレビが進化すべき部分で言うとね、大将が開発したやり方を、俺なりに咀嚼してやってみたわけだよ。大将はスタッフが画面に映ったりするのをすごくいやがるけれど、俺はそこをやぶって、ツッコミはスタッフがやる、というのを 新しくやってみたんだよね

それは大将としては絶対「NO」なんだろうけど。だから、今度は『電波』をひていするパワーを持ったヤツが 出てこないとダメなんだよ。ないしは、それがでてこないのであれば、これからの俺が、過去の自分を超えてやらなきゃいけない。俺が『電波』を否定して、おりゃぁ!って行かないと いけないのかなって思ってるよ。
(高須光聖オフィシャルホームページ「御影屋」) (総ツッコミ時代の原点はコント55号)

テレビは破壊者を待っている

 現在のバラエティーの現状は最悪である。芸人は小粒になり、多人数がひな壇に集まり、ほとんどがトーク番組になってしまった。その原因に対して、次のようなブログがこう答えている。
 むしろこの番組で次々と明らかにされているのは、欽ちゃんがTVとお笑いの歴史の中で如何に先進的、いや革新的(かつ破壊的)な人であったかということである。如何にものを考えて笑いを、番組を構築していたか、如何に旧来の手法や呪縛から逃れて新しい笑いを発見して行ったか、ということである。
 もっと言えば、その欽ちゃんの手法の真髄が見えないまま、上っ面を掬いとってバラエティを作っている現在の多くのプロデューサ/ディレクタが、笑いというもののあり方を損なっているのではないだろうか。そして、同じように上辺だけを見て、それを実生活で真似してしまった人が凶悪な社会的事件を起こしてしまうのではないだろうか。


 悪いのは萩本欽一ではないのだ。本当に悪いのは、欽ちゃんを超えられない、いやまともに追随さえできていない、いやそれどころかちゃんと理解さえできていない我々のほうなのである。(CX『悪いのはみんな萩本欽一である』)
 確かに、アドリブ全盛のお笑いの原因はコント55号であるかもしれない。だが、一見、素人でもできるという形ばかりまねしたところで芸の質はどんどん落ちるばかりだ。やはり、フジテレビのホームページから萩本欽一の次の言葉で締めたい。
「テレビが悪いと言われているけれど、“テレビはやっぱりおもしろい”と言わせないと…責任があるよな。テレビだけでなく産業も何でもそうだけど、成功は“発明と発見”だと思う。テレビは“発明と発見”がちょっと足らなくなってきた。

『欽ドン』はある種の“発明と発見”だったんだな。これからもバラエティーをもっと変えようとする若者が増えてほしいし、また、バラエティー以外のジャンルにも “笑い”をはり倒していく人が増えるとバラエティーがまた群を抜いてよくなっていくと思う。


テレビにはたくさんの夢があるから、ずっとあこがれの職業であってほしいと思う。そうすることによってそのテレビの最初をやっていたということで、僕はいつまでも偉そうな顔していられるからね(笑)。この番組を見てやっぱりテレビっておもしろいと感じる若者が増えてほしいな。」(チャンネルΣ『悪いのはみんな萩本欽一である』)


追記
佐々木氏のツィッター
お笑いの破壊の後に構造的な再生が行われなかったこと。ガラパゴス化への新たな視点。/ 欽ちゃんは悪くない:夢幻∞大のドリーミングメディア - CNET Japan」

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