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素人だから言えることもある

巨大なライバルを乗り越えるために役立つ『禁じ手』という手法

踊る大捜査線」は「太陽にほえろ!」を禁じ手にした

 前項「踊る大捜査線」の作り方で、脚本の君塚氏が、「太陽にほえろ!」がいかに実験作かを述べたとき、
「なら、それ全部、禁じ手にしちゃいましょう!」
 プロデューサーから脚本家に対する挑発である。刑事にニックネームは付けない。音楽に乗せての聞き込みシーンを作らない。刑事と犯人の心情をリンクさせない。禁じ手を作って、そこに逃げ込まずに新しい事を考えましょうと言うのである。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)
という言葉を引用したが、実は、ライバルを乗り越えるとき『禁じ手』策を使うというのは、僕の過去のエントリーでもしばしば出てきたことに気がついた。そこでそれを列挙してみる。

阿久悠美空ひばりを禁じ手にした

 作詞家阿久悠の前には巨大な天才歌手美空ひばりがいた。美空ひばりの真似をすることは、結局美空ひばりの亜流を作ることに他ならないのである。
 私が美空ひばりと同じ年の生まれであるということは、私にとって、かなり重大なことのように思えます。尊敬、羨望、畏怖、劣等意識、見栄、意地、野心、誇り、美空ひばりを前にして、少なくともこれくらいのことは渦巻きます。そして、私は私なりに「美空ひばりが歌いそうにない歌」を書くことから始め、結果的には私の評価にも繋がりました。書くものの方向を決したとは、そういうことなのです。(ホームページ「あんでぱんだん」)( 阿久悠と山口百恵(2)「3つのアンチと美空ひばり」)

山口百恵阿久悠を禁じ手にした

 山口百恵の育ての親、酒井政利氏によれば、
昌子ちゃんはいきなりヒットしてスターになり、淳子さんもすぐスターになり、第三の席に 百恵さんが当たったのですが 少々、出遅れた感がありました。時代は 暗い時代に入っていた頃で、百恵さんには 明るい歌より 暗い歌の方が似合うのではないか?と判断して アンチ阿久悠で行こう!!(「阿久悠」は何故「山口百恵」に歌を提供しなかったのか?)( 阿久悠と山口百恵)

「全員集合」はアドリブを禁じ手にした

「8時だョ!全員集合」が放送開始された1969年、コント55号全盛期であり、裏番組に「コント55号の世界は笑う」があった。
 コント55号に対抗するには、何をすればいいのか。今では、坂上二郎萩本欽一とも個人として活動しているが、この二人のコンビ「コント55号」は、当時のテレビを席巻していた。萩本欽一は、天才的なコメディアンであると同時に、企画力、構成力を持つ“作家”であり、演出家でもあった。この欽ちゃんが思いつくままに投げるあらゆる球種を、ノーサインで、おまけに素手で、平気で受けとめてしまうのが、坂上二郎である。時代の申し子とも言える、強力なコンビだった。テレビをつければ、コント55号が飛び出してくる、という時代である。このコント55号の面白さのベースは、洒脱なアドリブのやりとりであり、ハプニングに対する軽妙な対応にあった。この当時のテレビの笑いは、アドリブ、ハプニング全盛であった。

 この時代の流れに逆らうことを、私は考えた。ハプニングとアドリブの「笑い」に対して、時間をかけて徹底的に練りに練り上げた「笑い」を中心とする、バラエティー・ショー番組を作ろうと思った。そして、コント55号に対抗させる主役は、「いかりや長介ザ・ドリフターズ」である。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)( 今の日本のテレビで「全員集合」が作れない理由)

ソニーは任天堂手法を禁じ手にした

 話は芸能界に限定されない。あらゆる業界でも同じである。スーパーファミコンのCD-ROM機は破談になり、久夛良木氏は、山内氏との直談判の後、出井氏にこんな事を言っている。
 「山内さんが話してくださった事を、全部書き留めておこう。ソニーは、その逆をやって、まったく新らしいゲームを作ればいいじゃないか」(西田 宗千佳著「美学vs.実利 「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史」講談社BIZ)( 任天堂とソニーの15年戦争(ホームサーバの戦い・第41章))
 『禁じ手』という手法は、ライバルが巨大であればあるほど、効果的だ。亜流になってしまえば、その他多くの一人に過ぎず、レッド・オーシャンに落ちてしまうが、『禁じ手』によって独自性を確保し、ブルー・オーシャンを悠々と泳ぎきることも可能である。
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