夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

怪談「都市八分」とノスタルジア軍団

怪談「都市八分」は保守主義者の嘆きか

 怪談「都市八分」・人間はモノに変化したを読んで、「昔が良かった」とか「ケータイを捨てろ」と思った人がいるとしたら、それは意味を取り違えている。僕は、文明の進化というのは、止められないものであり、最近のニュースの異様さに、モノにおぼれた人の片鱗が見え隠れしている事を指摘したかっただけである。ちゃんとした生身の人間関係を維持しているなら、電子機器は人をつなぐ立派な道具となる。

 アゴラで、松本徹三氏が「保守主義の病理」というブログを書いている。松本氏の「保守主義の病理」とは

1)「変革」がもたらす「悪」を回避したいばかりに、「変革」そのものを「悪」と決め付けること。

2)とにかく「変革」は嫌いなのだが、「変革がもたらす悪」を特定できないので、争点をそらせて、周辺に「悪」を見つけ出そうとすること。

3)「変革がもたらすプラス面」、言い換えれば、「変革を拒否することによってもたらされるマイナス」については、敢えて目をそらして、論じないこと。

4)「自分が慣れ親しんできた古き良きもの(自らの価値観)」を、さしたる理由もなく、新しい世代に押し付けようとすること。

以下、柳田(邦男)さんの論点に、この病理の一つ一つを当てはめてみたいと思います。

先ず、柳田さんは、「ケータイやゲームのようなデジタル機器に毎日接していると、親子や友人と接する時間が少なくなり、会話も出来なくなり、相手への思いやりもなくなる」と論じ、従って「同じデジタル機器である電子教科書と毎日接していると、同じ事が起る」と決め付けるが如き論旨を展開しています。(「保守主義の病理」)

 表面的には、怪談「都市八分」・人間はモノに変化したも、柳田邦男氏の「ケータイやゲームのようなデジタル機器に毎日接していると、親子や友人と接する時間が少なくなり、会話も出来なくなり、相手への思いやりもなくなる」と似たようなテーマである。だが、僕は、デジタル機器を使うなとはいわない。優先順位を親子の時間やウィークタイズを増やすべきだといっているのである。どんな道具でも、良い面と悪い面を持っている。それをわきまえていれば、少なくともより楽しく人生を楽しむことができるのではないか。松本氏の「保守主義の病理」は、アルビン・トフラーの「ノスタルジア軍団」に大変似ている。
 新しい文明が古い文明を侵食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を賞賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。
 見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。

 職の不安に脅え、アジアの勃興に脅えているうえ、とくに若者は映画、テレビ、ゲーム、インターネットで暗黒の未来のイメージにたえず接している。メディアが作り上げ、若者の憧れの的とされている「スター」は、街角のチンピラや傍若無人な歌手、禁止薬物を使うスポーツ選手などだ。宗教家からはこの世の終わりが近いと聞かされている。そしてかつては進歩的だった環境運動がいまでは大勢力になり、破局の予言をふりまいて、「ノーといおう」と繰り返し呼びかけている。(アルビン・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・下」講談社)( [みんなのお題]2007年とは何だったか。そして2008年はどこへ向かうのか。)
 激動の世の中、今更、未来を嘆いてみても何の意味もない。むしろ、電子機器を通してしか出会えない友人が増えてくる。あなたがノスタルジア軍団(保守主義者)になっても、誰も同情などされないだろう。
ブログパーツ