夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

リスクゼロ社会の幻想

ノイズとキュレーション

前項「IE6廃止とリスクゼロ前提社会」で、僕は、池田氏のブログから、企業には無言の共有知識があり、
少しでもリスクがあると、それを恐れて動かない人が出てくるので自分だけが動くと危ない・・・という無限ループが生じるので、リスクはゼロにしなければならない。(日本人はなぜリスクをゼロにしようとするのか)
という働きがある事を紹介した。これはそもそも、佐々木俊尚氏のツィッターの問いに対する答えだったが、池田氏の答えに対し、佐々木氏はツィッターでこう答えている。
全員が共同歩調をとるためにはノイズが排除されなければならない。だからリスクゼロが求められる。なるほど。/ 池田信夫 blog : 日本人はなぜリスクをゼロにしようとするのか - ライブドアブログ http://bit.ly/atDW6p
(http://twitter.com/sasakitoshinao/status/21703220769)
この場合、ノイズとは社員間の不協和音と読むことができる。ところで、僕のエントリーでも佐々木氏から「ノイズ」の入ったツィッターを頂いた。それは、「知識はオープン化されなければ役に立たない」のときだ。
ノイズの増加とキュレーションの登場はワンセット。ノイズが延々と増え続けて文化が衰退するなんていうことは実はあり得ない未来。/ 知識はオープン化されなければ役に立たない - 夢幻∞大のドリーミングメディア http://bit.ly/dBILnW
(http://twitter.com/sasakitoshinao/status/19232883495)
この場合、ノイズは良いコンテンツと悪いコンテンツが交じり合うこと。ところで、佐々木氏の言う「キュレーション」の意味だが、
キュレーションという言葉に、的確な日本語訳はない。私はこう定義している。「キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」。

日本語でキュレーションという言葉が使われる場面というと、博物館の学芸員(キュレーター)が唯一といってもいいかもしれない。展覧会を企画し、その企画テーマに沿った形で展示品を集め、順路に沿って展示品の並びを考え、そして多くの人に見てもらうように公開する。

それと同じように、インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitterSNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう


「そんなもののどこがジャーナリズムなのか!」と怒る人もいるかもしれない。たぶん古い新聞業界や出版業界にいる組織ジャーナリストにとっては、キュレーションをジャーナリズムと呼ぶのは耐え難い屈辱に映るだろう。しかし、考えても見てほしい。ジャーナリズムの本来の役割は、何かのことがらについて専門家から取材し、そのことがらが意味すること、それがもたらす社会的影響や未来像について読者にわかりやすく提示することである。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)

不協和音は悪いことか

さて、最初の章でノイズとは社員間の不協和音と書いた。不協和音とは、意見が不一致と言うことだ。だが、不協和音とは本当に排除すべきことなのか。むしろ、積極的に違った意見を取り上げ、誰もが文句の言えない平凡なものより、尖ったものを作り上げることが必要なのではないのか。僕は、「ソニーの猛獣たち」でノン・コンビジネスの育ての親、森園正彦氏を取り上げた。
それは、まず優秀なエンジニアであることだが、同時に職場で使いづらいと思われ、上司や同僚との人間関係がうまくいかず、浮き上がっていることである。森園の部隊に引抜きをかけても問題が生じない。職場が困らない人材であることだった。
その理由を、森園はこう説明する。
「私は、彼らを決して使いづらいとは思いませんでしたね。彼らは優秀で、とにかく仕事が出来ましたし、またよく仕事をするんです。ただ、上司であれ誰であれ、一言物申すタイプですから、 ( 職場で ) 周囲から浮き上がったり、上司から疎んじられたりするのです。でも彼らは『いざ』という時には頼りになります。開発や何かで難しい問題が生じた場合、これで出来るとか出来ないかとかごちゃごちゃ議論するのですが、彼らは『じゃあ、やってみます』と、すぐ始めるような人たちですから」(立石泰則著「ソニー厚木スピリット」小学館)
したがって、リスクゼロの会社からは、決して画期的な新発明は生まれない。一方、彼らの管理職たちは、いつも何を考えているか。

問題を起こしたくない、責任を取りたくない

そう、彼らは、まず最初に自分の地位が安全かどうかを考えるのだ。だから、自分の会社が難しいと思ったとたん、挑戦するより、こそこそ逃げ出す事を考える。僕は、「守る方程式」というのを考えたことがある。「守るべきなのは自分の地位ではない」で、
僕は、福知山脱線事故のとき、一つの方程式を考え出した。 「守るということ」と言うタイトルでこう書いている。

つまり「時間を守る」ことを優先したために乗客の「命を守る」ことができなかったのだ。本来、「時間を守る」=「命を守る」が当たり前だと思っていた人々に、実はこの「時間を守る」=「命を守る」というバランスは大変危ういものであることが判明したのである。乗客の命をとられた遺族は、鉄道会社の責任を追及する。最初、鉄道会社は「8メートルのオーバーラン」だとか「置石があった」とかいって自分たちの責任を回避しようとした。つまり、鉄道会社は「自分の地位を守」ろうとしたのである。 (「守るということ」)

鉄道会社の方程式(福知山脱線事故鉄道会社社長の対応)
自分の地位を守る>時間を守る=鉄道会社を守る>乗客の命を守る(守るべきなのは自分の地位ではない)

同じように、リスクゼロ会社もすべてが自分の今の地位を安全に守る事を最大限に考えている。

自分の地位を守る>会社を守る>画期的な発明

日本のメーカーや携帯電話事業者がディスカッションすると「入力が難しいんじゃないか」「ユーザーが受け入れないんじゃないか」といった否定的なことを言う人が、もう9割9分なんですね

(中略)

問題は、難しさにチャレンジする気になるか、難しさを理由にやめてしまうかです。日本のメーカーや携帯電話事業者の開発の過程を見ていると、結構、早いうちにあきらめてしまうことが多い。(夏野剛氏 日経エレクトロニクス2008/8/11号「トップが信念を貫かなければ,「iPhone」は作れない」)(iPhoneを発想できなかった日本)

不協和音を外から求めよ

全ての企業が、このように内向きになっている時代、これを瓦解することはできないのか。それはノイズを排除するのではなく、むしろノイズを増やす。今まで、ノイズはムダと言うことで排除してきた。だが、ムダの中から新しいアイデアが生まれてくるのである。むしろ、自分の地位を守ることに汲々としている管理職こそ何の役にも立たないムダの骨頂だ。したがって、ノイズを増やすことで会社の方向を決めるキュレーターが生まれてくる。
インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)
キュレーターは別にマスコミやブログに限定されない。あらゆる業界にはキュレーターが存在する。そして、異種格闘技のようにあらゆるジャンルが入り乱れる中から新鮮なアイデアが生まれてくる。外からムダを求める、当然ながら反発も生まれ、リスクも生まれ、コストもかかる。だが、企業が新たに発展していくためには、その方法しかないのだ。
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