夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ブログと引用

引用の条件

 現在、翼では、引用論が流行している。僕のエントリーは、引用の塊なので、参戦せざるを得ない。引用を調べてみると、その要件として
著作権法において正当な「引用」と認められるには、公正な慣行に従う必要がある。最高裁判所昭和55年3月28日判決によれば、適切な引用とは「紹介、参照、論評その他の目的で著作物中に他人の著作物の原則として一部を採録すること」とされる。
文化庁によれば、適切な「引用」と認められるためには、以下の要件が必要とされる。

ア 既に公表されている著作物であること
イ 「公正な慣行」に合致すること
ウ 報道,批評,研究などの引用の目的上「正当な範囲内」であること
エ 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
オ カギ括弧などにより「引用部分」が明確になっていること
カ 引用を行う「必然性」があること
キ 「出所の明示」が必要(コピー以外はその慣行があるとき)
文化庁 (2010, §8. 著作物等の「例外的な無断利用」ができる場合 ? ア、「引用」(第32条第1項))
(引用-Wikipedia)

なお、同Wikipediaには、
引用は権利者に無断で行われるもので、法(日本では著作権法32条)で認められた合法な行為であり、権利者は引用を拒否することはできない。権利者が拒否できるのは、著作権法の引用の要件を満たさない違法な無断転載等に限られる。(引用-Wikipedia)
という記載があり、その注釈として
違法なものを含めて無断引用と呼んで禁じる権利者もあるが、引用は適法な無断利用の一態様のことなので「無断引用」という言葉はあり得ない。(引用-Wikipedia)
引用そのものが無断で引用するものである事をそこに示されている。

新聞記事とブログ

 僕は、「ブロガーのスキル」で佐々木俊尚氏の「ブログ論壇の誕生」を引用している。
彼らは新聞社のような取材力は皆無で、一次情報を自力で得る手段を持っていないが、しかし論考・分析の能力はきわめて高い。ライブドア事件にしろ格差社会問題にしろ、あるいはボクシングの亀田問題にしろ、読む側が「なるほど、こんな考え方があったのか!」と感嘆してしまうような斬新なアプローチで世界を切り取っている。
 今の日本の新聞社に、こうした分析力は乏しい。論考・分析の要素に限って言えば、いまやブログが新聞を凌駕してしまっている。新聞側が「しょせんブロガーなんて取材していないじゃないか。われわれの一次情報を再利用して持論を書いているだけだ」と批判するのは自由だが、新聞社側がこの「持論」部分で劣化してしまっていることに気づかないでいる。ブロガーが取材をしていないのと同じように、新聞社の側は論考を深める作業ができていないのだ。(佐々木俊尚著「ブログ論壇の誕生」文春新書)
したがって、ブログが引用する事を止められたら、論考・分析の能力を発揮する機会がなくなってしまう。一方、新聞はちゃんと、引用のルールを守っているだろうか。上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」にこんな文章が載っていた。
 そうした欺瞞は「一部週刊誌」という言葉に顕著だ。日本には、スクープを連発し、極めて影響力のある雑誌が存在する。その名を「一部週刊誌」という。たとえば、こんな具合だ。
 宮崎県の東国原知事が自宅マンションに連日女性を泊めていると一部週刊誌が報じたことを問われ「わたしの家は支援者、後援会、友人、知人いろんな方が出入りしている」と答弁した。(産経新聞/2007年2月26日)
 もちろんこれは、「一部週刊誌」という名の雑誌が報じたものではなく、『週刊現代』という講談社発行の週刊誌の記事を指している。これは決して特殊な例ではない。すべての新聞が長年の習慣として、こうした行為を今なお続けている。
 2007年の新聞記事で「一部週刊誌」がスクープした記事を拾ってみても一目瞭然だ。
 本間正明政府税調会長(当時)の愛人報道は『週刊ポスト』、「発掘あるある大事典?」の納豆データ捏造報道は『週刊朝日』、日本相撲協会の八百長報道は『週刊現代』と、とにかく枚挙にいとまがない。(上杉隆著「ジャーナリズム崩壊」幻冬舎新書)( ブログ・ジャーナリズムは誕生するか)
つまり、新聞は「出所の明示」が必要の要件を満たしていない。ところが、たとえば、朝日新聞の記事の引用の項目では、
 さらに、「出所の明示」も必要です。通常は引用部分の著作者名と著作物名を挙げておかなければなりません。asahi.comの場合は「○○年○月○日asahi.comより」、朝日新聞記事であれば「○○年○月○日付 朝日新聞」といった表示が必要になります。(asahi.com(朝日新聞):著作権について)
とわざわざ記載している。どうやら、新聞は週刊誌を下に見ているようだ。しかし、「一部週刊誌」というタイトルでは、後から読む人には情報源をたどることができず、資料としては未完成と言うしかない

キュレーターの条件

 僕は、こうしてさまざまなエントリーから、記事を引用している。そういうことができるのも自分のエントリーをデータベース化しているからだ。ブロガーにとって、その引用文が重要になる。ユニークな知識もアイデアも大量な読書により達成できるからである。ブログと言うコンテンツをより価値あるものにする方法、それは素材となる引用文の料理の仕方である。佐々木氏は、「キュレーション」を提唱している。
インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitterSNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)(リスクゼロ社会の幻想)
 このキュレーターは、ブロガーがやがて向かう姿を現している。そのためには、知識をたくさん持つより、その知識を引き出すための引用先をたくさん持っていたほうが良い。記憶に頼るよりも、エントリーの形で残せば、より正確に示せるからである。
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