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日本はどこで道を間違えたのか

NHKスペシャル「消えた高齢者 “無縁社会”の闇」

 昨日の9月5日、NHKスペシャル「消えた高齢者 “無縁社会”の闇」を見た。解説にこうある。
生きているか、死んでいるかさえ分からない’――所在不明の高齢者が相次いで発覚する異常事態。各地の自治体は今も毎日、住民基本台帳に記された住所地を訪ねて歩き、付近の住民から話を聞くなど調査を進めている。国は年金を受給しているすべての所在不明者の調査に着手した。
相次ぐ所在不明の高齢者。個別のケースを独自に追跡取材していくと、その多くが地縁や血縁など社会とのつながり失ったまま“無縁化”している実態が浮かび上がってきた無縁社会は私たちの想像以上に、水面下で広がっていた・・・。
さらに、所在不明の高齢者に年金が支払われ続けているケースがいくつも明らかになった。取材のなかからは、親の年金を頼りに生活せざるをえない家族の深刻な事情が見えてきた。
(消えた高齢者 “無縁社会”の闇)
 日本の家族はすでに崩壊している。それが改めての感想だ。年金不正受給と言う犯罪とか、死体と暮らす家族の異様さとか、セーフティーネットの貧弱さとか、個人情報の壁とか、いろいろ問題はあるが、根本にあるのはあるべき家族の変容である

 このNHKスペシャルの「無縁社会」シリーズについては、「無縁社会と三ない主義」でも触れている。その中で、NHK記者の次の一言を思い出した。

板垣淑子(報道社会番組ディレクター) 取材してみると、完全に無縁なんていう人はいないんです。今の無縁というのは、親族や故郷はあるんだけど、それらが機能していない。縁がないのではなく「縁が機能しない」ということなんです。その人が自ら一人ぼっちの生活を選択したのだとしても、その結果、社会の救済システムが届かないところにすぐ転がり落ちてしまう危うさがある。そこに問題があるのだと考えています。(週刊ダイヤモンド4月3日号 NHKスペシャル無縁社会」制作者座談会)
 後半の言葉に対応するのが、NPO法人自立サポートセンターもやい事務局長の湯浅誠氏の次の言葉だ。
中間層の正社員たちにぜひとも理解してもらいたいのは、これは、あなたたち自身の問題であるということだ。貧困を放置すれば、遠からず中間層も滑り台を滑り落ちることになる
家もカネもない貧困層は、食うために、正社員の半分の給料の仕事でも我慢せざるをえない。すると、同じ職場で同じような労働をしている正社員は、なぜ倍の給料をもらっているのかとなる。
正社員は、自らの存在理由を守るために長時間のサービス残業を余儀なくされ、心の病にかかる人が増える。互いにかばいあうだけの余裕も失われ、職場の雰囲気がギスギスしていく。現に、労基署へのいじめ相談件数は増え続けている。
かくして会社を辞める人が続出するが、残されている正社員の椅子は数少ないため、彼らは非正規化していく。結果、劣悪な労働環境に甘んじざるをえない非正規社員がさらに増えていくのだ。(週刊ダイヤモンド3/21号「あなたの知らない貧困」)( 日本人がどんどんダメになる)
 高齢者にしても、派遣社員のような非正規社員にしても、社会の救済システムが届かないところにすぐ転がり落ちてしまうという共通点がある。その原因は何か。それは日本の社会福祉がひどく偏っていることである。「福祉と政治、何が問題なのか、改めて考える。」で、北海道大学教授の宮本太郎氏の文章を引用している。
日本では、雇用レジームにおける雇用保障が、福祉レジームの機能の一部を代替している。この傾向は、1970年代の半ばからはっきりしてきたが、こうした雇用レジームとの連携の結果、日本の福祉レジームそのものは次のような特質を備えるにいたった。
 第一に、年金や医療保険などが公務員、大企業、自営業といったように職域ごとに分立したかたちをとったことである。これは、雇用レジームにおいて企業あるいは職域ごとに男性稼ぎ主を囲い込むしくみが形成されたことに対応している。雇用保障と社会保障の対応関係は、さらに厚生年金基金のような公的年金企業年金化によって補強された。その結果、日本では企業、業界などを単位として雇用保障がなされ、これを社会保障が補完する「仕切られた生活保障」とでも言うべきしくみが形成されたのである。年金などの「一元化」の課題は、今日まで持ち越すことになった。
 第二に、福祉レジームの規模は小さかった。日本では、生活保障の軸が雇用レジームに置かれたため、社会保障支出は抑制された。雇用保障は男性稼ぎ主を対象としていて、とくに大企業ではその賃金は家族の生活費も含めた家族賃金という性格を強めたために、雇用レジームが家族主義を支えることになった。(中略)また、介護や保育などの公共サービスも、近年になって介護保険などでサービス供給の拡大がはかられるまでは、広がりを欠いていた。
 第三に、その抑制された社会保障支出が人生後半の保障、すなわち年金、高齢者医療、遺族関連の支出に傾斜したことである。(中略)
 生活保障における雇用保障の比重が高く、したがって人生前半に関しては会社と家族が諸リスクに対応したため、狭義の社会保障は、会社勤めから退き家族の対応力も弱まる人生後半に集中することになったのである。だが、このことはいったん会社と家族が揺らぎ始めると、若い人々を支えるセーフティネットが脆弱であったがゆえに、ここに低所得リスクが集中することを意味する。(宮本太郎著「福祉政治−日本の生活保障とデモクラシー」有斐閣Insight)
この社会福祉制度が、高度成長経済を背景に1970年代に確立してしまった。連合のような労組を基盤とした現政権は、雇用レジームに手を触れずに福祉レジームのみを増やすことで何とか維持したいと思っている。日本の企業の90パーセントは、法人税が取れない中小零細企業である。しかも、正社員は首を切りにくいため、企業力も落ち込んでいる。もし、税収を上げようとするなら、企業を強くし、収益力を付けさせる必要がある。したがって、まず「リスクゼロ企業ほどタダ乗り社員(フリーライダー)が多い」に取り上げたタダ乗り社員を追い出すことだと思うのだが。
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