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素人だから言えることもある

1億総キュレーター時代にはセレンディピティが重要になる

1億総キュレーター時代

IT media Newsにこんな記事が載っていた。
目指せ“1億総キュレーター” 「NAVERまとめ」リニューアル、まとめた人に報酬も

島村部長は「“1億総クリエイター時代”などと言われるが、コンテンツをゼロから作って発信するのは難しい」と指摘。NAVER「“1億総キュレーター”」という発想で、「自分のセンスが誰かの役に立てば立つほど報酬が得られるようにしたい」と話す。

おそらく、島村部長の発想では、ブロガー=クリエイターではなく、ブロガー=キュレーターということになるのだろう。コンテンツをいろんなところから引っ張ってまとめる行為を「キュレーター」と呼んでいるらしい。「キュレーター」という言葉は、佐々木俊尚氏の次の言葉から発想しているのではないだろうか。
キュレーションという言葉に、的確な日本語訳はない。私はこう定義している。「キュレーションは情報を収集し、選別し、意味づけを与えて、それをみんなと共有すること」。
日本語でキュレーションという言葉が使われる場面というと、博物館の学芸員(キュレーター)が唯一といってもいいかもしれない。展覧会を企画し、その企画テーマに沿った形で展示品を集め、順路に沿って展示品の並びを考え、そして多くの人に見てもらうように公開する。

それと同じように、インターネットのキュレーターは膨大な数の情報の海から、あらかじめ設定したテーマに従って情報を収集し、それらの情報を選別する。そして選別した「これを読め!」という情報に対してコメントを加えるなどして何らかの意味づけを行い、それをブログやTwitterSNSなどのサービスを使って多くの人に共有してもらう

「そんなもののどこがジャーナリズムなのか!」と怒る人もいるかもしれない。たぶん古い新聞業界や出版業界にいる組織ジャーナリストにとっては、キュレーションをジャーナリズムと呼ぶのは耐え難い屈辱に映るだろう。しかし、考えても見てほしい。ジャーナリズムの本来の役割は、何かのことがらについて専門家から取材し、そのことがらが意味すること、それがもたらす社会的影響や未来像について読者にわかりやすく提示することである。(キュレーション・ジャーナリズムとは何か)( リスクゼロ社会の幻想)

確かに、作家のようにまったくのゼロからコンテンツ作りは難しいが、インターネット上に流れる膨大な情報から選別した情報をまとめることは可能だ。このように改めて情報を並べなおし、自分の主題に合わせてブログを書く行為を「キュレーション」として名づけられたわけだ。

さて、僕はその“1億総キュレーター”においても、伸びていく「キュレーター」と消えていく「キュレーター」があると考える。その違いは何か。僕は、そこにセレンディピティがあるかどうかだと考える。

セレンディピティが発生する、日頃の準備と想定外の失敗

アイデアのつくり方」(ジェームスW.ヤング著/今井茂雄訳/竹内均解説/阪急コミュニケーションズ )という本がある。Wikipediaのまとめによると
・アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない
・既存の要素を新しい組み合わせに導く才能は、物事の関連性を見つけ出す才能に依存するところが大きい
というふたつである。後者の才能は訓練で向上させることが可能である。ヤングは訓練の方法として、社会科学の書籍を読むことを勧めている。
アイデアの実際の生産は5つの段階を経由して行われる。
1.データ集め
2.データの咀嚼
3.データの組み合わせ
4.ユーレカ(発見した!)の瞬間
5.アイデアのチェック(アイデアのつくり方-Wikipedia)
ブログの書き方も、この5つの段階を踏む。面白いと思ったデータを集め、違うデータと組み合わせ、関連付けたりして新しいアイデアが生まれてくる。「成功者の絶対法則セレンディピティ」(宮永博史著/祥伝社)を読むと、実はこの第4段階がセレンディピティのことだという。
さて、第4のステップです。ここがとくにセレンディピティと関係するところです。第3のステップまでの準備が十分になされ、しかも折に触れ問題を考えていると、ふとしたきっかけでアイデアが生まれてきます。普段であれば見逃してしまうような偶然が、気になったりします。常に問題を考えていると、そうした偶然が偶然ではなく、新しいアイデアや発見の糸口になるのです。まさに「幸運な思いつき」「偶然のひらめき」です。すなわちセレンディピティが現れる瞬間です。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
最初のうちは、セレンディピティはなかなか現れないが、繰り返し続けていくうちに、その段取りがわかってくる。セレンディピティが単なる偶然ではなくて、能力と言うのはそこである。この本には、ノーベル賞を受賞した小柴昌俊氏の言葉が出てくる。
「たしかにわたしたちは幸運だった。でも、あまり幸運だ、幸運だ、とばかり言われると、それはちがうだろう、と言いたくなる。幸運はみんなのところに同じように降り注いでいたではないか、それを捕まえるか捕まえられないかは、ちゃんと準備をしていたかいなかったの差ではないか、と」(小柴昌俊著『物理屋になりたかったんだよ』朝日選書)(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
もちろん、ノーベル賞受賞者だけにセレンディピティが起こるわけではない。例えば、この「成功者の絶対法則セレンディピティ」では、こんなケースを紹介している。
Aさんは設計の仕事に関与しているのですが、アイデアに行き詰ることがあります。そのようなときに、ふと素晴らしいアイデアが生まれると、これを「小人さんが来てくれた」と表現するのだそうです。ここでいう「小人さん」とは、グリム童話『小人の靴屋』に出てくるあの「小人さん」を指します。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
Aさんはもちろんセレンディピティなる言葉は知らない。しかも、この「小人さん」が来てくれるには条件がある。
・考え抜かないと現れない
・考え抜いても必ずしも現れない
・とても気まぐれである
・「偽の小人さん」はよく現れる
Aさんは、実際の童話と同じように、「小人さん」は、努力してまじめにやっている人のところにのみ、たまにやってきてくれる気まぐれな人だと解釈しています。そこで、いつでも来てくれるよう準備しておかなければとも思うのでした。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
共通点は、いつセレンディピティが降りてくれるかわからないので、常に準備していくことが大切だということだ。また、ノーベル賞の大元のノーベルのダイナマイトの発明も失敗からセレンディピティが生まれたエピソードからである。
ノーベルは不安定な液体爆弾を安定化させようと苦労を重ねますが、なかなか成功しません。ところがある日、「ニトログリセリン」の保存容器に穴があいて、そこから漏れたニトログリセリンが固まっているのに気づきます。容器の周囲にあった珪藻土が安定剤として機能していたのでした。ダイナマイトの製造法へのきっかけとなった瞬間です。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
実験が失敗するということは、本来目的とした結果が得られないはずなのに、つまり想定外の出来事が起きたからセレンディピティが起きたのである。人間の想像することなど、たかが知れている。専門家であればあるほどその範囲は狭い。
偉大な経営学者、ピーター・ドラッカー氏は、その著書の中で、ベンチャー・ビジネスが成功する条件のひとつを挙げています。
考えていなかった市場で、考えてもいなかった客が、考えてもいなかった製品やサービスを、考えもいなかった目的のために買ってくれること」(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
自分の頭だけで考えていると、セレンディピテイにならず煮詰まってしまうことがある。自由にジャンルを越えて外から眺めていると、想定外のアイデアが生まれることもあるのだ。もし、あなたが「キュレーター」という名のプロ作家になれるとしたら、セレンディピティを自由自在に扱えるようになったときである。


追記

島村部長とはあるが、引用元のIT media Newsでは、最初に島村武志サービス企画室長とあり、その後の表記は島村部長となっている。したがって、島村部長は本来、島村室長にすべきである。しかし、引用文は勝手に修正しないのが基本なので、島村部長とした。
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