夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

偶然の連続でセレンディピティを起こしてみる

よく考えれば、今月のエントリーは偶然の連続だった。発端は、9月28日にたまたまダイヤモンド・オン・ラインで、「iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか〜米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさ」という記事を読んだことだった。僕には、もともと、「技術の進歩は人間を幸せにしたか」などで、単純な技術礼賛を批判する傾向がある。したがって、この記事もその傾向で読んでいた。ただ、タイトルがあまりにも「iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか〜米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさ」という衝撃的なものなので、このバカとかリコウで遊んでみたのが「インターネットでバカになる人、リコウになる人」なのである。だから、コメントでもこう書いているくらいだ。

そもそも、マスメディアでは、わざと人の興味をひきつけるキャッチーな、というか過激なタイトルを好みます。たとえば、「ネットバカ」という日本語タイトルも、「iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか」とか「“ネット脳”の恐ろしさ」というインタビュー記事のタイトルも、そして当然ながら今回のエントリーのタイトル「インターネットでバカになる人、リコウになる人」というのも同様です。したがって、僕は、皮肉を込めてこのタイトルを付けたのです。
次に、そのタイトルの「バカ」と「リコウ」について考えたのが、10月4日の「バカ」について考えると10月7日のコリコウな人々。後者では、「バカ」について考えるで出てきた「バカ者」と対決する形で、「コリコウな人々」を描いた。「バカ者」は失敗を恐れない。だが、「コリコウな人々」は失敗を恐れる。それはなぜか。それは日本の経営者が失敗しないことが第一条件だからではないか。

それについて書かれていたのが、現代ビジネスで連載されていた「田原総一朗×夏野 剛「立ち上がれ!ガラケー日本!!」だった。この記事は10月8日に書かれ、それについて僕は「失敗を許さない国」(10/12)というエントリーを書いている。そこでは過去に書いた、「iPhoneを発想できなかった日本」や「昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」も引用できた。

さて、日本の経営者が「コリコウな人々」の典型とすれば、「バカ者」の典型とは誰か。僕はひそかにノーベル賞受賞者ではないかと思っていた。それは、「コリコウな人々」で

一方、ノーベル賞受賞者のように何十年もかかって何かを成し遂げる人間は、常識の壁をぶち破ってもそれに徹しようとする「バカ者」の要素が必要である。
とわざわざ書いたことからも明らかである。そして、「失敗を許さない国」(10/12)を書いた翌日の10月13日、クローズアップ現代ノーベル賞科学者のインタビューが放送された。

僕は、ここで「セレンディピティ」なる言葉を知った。また、その日、失敗について学ぼうと、畑村洋太郎氏の「失敗学の法則」とかねてから図書館で予約していた。「フリーライダー あなたの隣のただのり社員」(河合太介+渡部幹著/談社現代新書)を手に入れた。その中で、本田宗一郎氏の「ニワトリ会議」のエピソードが面白く、「成功と失敗のセレンディピティとニワトリ会議」(10/14)というエントリーとなった。

今度は、「セレンディピティ」という言葉を調べ始めた。手に入れたのは、「成功者の絶対法則 セレンディピティ」」(宮永博史著/祥伝社)という本だった。

10月15日、IT mediaに「目指せ“1億総キュレーター” 「NAVERまとめ」リニューアル、まとめた人に報酬も」という記事が載っていた。僕は、キュレーションとかキュレーターという言葉が、佐々木俊尚氏の発言から知っていた。それについては、「リスクゼロ社会の幻想」に書いている。僕は、この「キュレーター」という言葉と知ったばかりの「セレンディピティ」をつなげて書いたのが「1億総キュレーター時代にはセレンディピティが重要になる」(10/16)だった。

10月17日、録りためていたビデオ「ペイ・フォワード 可能の王国」を見る。僕は、そこから「重要なのは成功したことじゃない、やろうとしたことなんだ」(10/17)というテーマを見つけ、「セレンディピティ」は成功することよりも、続けること、やろうとしたことが重要だと思い至る。

10月18日、やはりクローズアップ現代電子書籍が「本」を変える」を見た。そこで、気になったのは、一面では電子書籍の世界を取り扱っていながら、マスメディアからミドルメディアへ確実に移行しつつある事実だということだ。そこで書いたのが「ポイント主義では、ミドルメディアは存在できない」(10/19)。そして、最後にキュレーターも選別されていくことに触れている。

さて、10月20日、このキュレーターの役割は考える読者を作ること。マスメディアが一方的に流され、それを鵜呑みにしていくことで、人々が自分の頭で考えなくなっていたのではないか、インターネットのパラダイムシフトによって、考える読者を増やしていくことこそ、キュレーターの役割ではないかと言うことだ。

さて、今月は、このように言葉と言葉をつないだり、たまたまそのときに報道されている記事に注目し、エントリーに結びつけたりする例が多かった。これは、

普段であれば見逃してしまうような偶然が、気になったりします。常に問題を考えていると、そうした偶然が偶然ではなく、新しいアイデアや発見の糸口になるのです。まさに「幸運な思いつき」「偶然のひらめき」です。すなわちセレンディピティが現れる瞬間です。(宮永博史著「成功者の絶対法則セレンディピティ」祥伝社)
もちろん、独りよがりかもしれない。だが、少なくとも、今月はこうやってエントリーが回転していった。
ブログパーツ