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素人だから言えることもある

お題「就職活動中の学生のみなさんへ」―社内失業課へ配属されないために

ようやく、就職試験の狭き門を通り抜けて、正社員となっても、企業内の「社内失業課」の魔の手を通り抜けるのはなかなか困難だろう。前項「600万人の社内失業者」でも書いたとおり、全国のサラリーマンの13%がこの「社内失業課」なのだ。しかも、新卒を重点的に狙っているというのだから、恐ろしい。もちろん、すべての会社に「社内失業課」があるわけではない。当然ながら、会社の恥だから、受験者には決して知らされていない。しかも、「フリーライダー」の存在が、この「社内失業課」を隠してしまうのだから、たちが悪い。

腐ったリンゴと腐った饅頭

フリーライダー あなたの隣のただのり社員」(河合太介+渡部幹著/講談社現代新書)には、「腐ったリンゴ効果」の話が出てくる。
フリーライダーが存在することによって、ますますフリーライダーが増えてしまう現象を、「腐ったリンゴ効果」と呼びます。箱に入ったリンゴの中で、一個でも腐っているものがあると、他のリンゴもあっという間に腐ってしまうことからつけられた言葉です。

(中略)

この腐ったリンゴ効果こそが、実は私たちがこの本を書いた理由でもあります。少し大げさにいうと、このまま日本社会に自己利益追求型のフリーライダーが増えてしまうと、まじめに働こうとする人までが、フリーライダー化してしまい、日本の企業組織が危機的状況になるかもしれないという危惧を私たちは抱いているのです。 (河合太介+渡部幹著「フリーライダー あなたの隣のただのり社員」講談社現代新書)

この言葉に対して、前項「600万人の社内失業者」で紹介した「社内失業 企業に捨てられた正社員」の著者増田氏は、こう反論する。
腐ったリンゴの例で言えば、その悪くなったリンゴを取り除けば、本当に他のリンゴは腐らないのかどうか、原因をはっきりと突き止める必要がある。もし、リンゴ入れた木箱自体が古びで、虫が湧いているような状態だとしたら? いくら腐ったリンゴを取り出したとしても、再び腐ってしまうリンゴが出てくるのではないだろうか。(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」双葉新書)
つまり、社員が腐っているのではない、会社のシステムそのものが腐っているという話である。僕は、このたとえを聞いて、昔書いた「腐った饅頭は捨てるだけでよいのか」というエントリーを思い出した。これは、不二家のケーキの品質事故と、あるある大事典の不祥事が明らかになったころの話だ。
(中略)
今、日本中の社会でモラルの低下が叫ばれている。あちこちで腐った饅頭がこっそりと捨てられている。だが、腐った饅頭を生み出した構造に目を向けなければ、この国はどんどん体力を失わせているのと同じではないのか。

会社を人間の体にたとえれば、腐った饅頭は動脈硬化と同じだ。体のあちこちに動脈硬化ができて現場に血が通わなくなっている。現場に使い捨ての非正規社員を当て、管理職にのみ肥え太った会社ではいつ脳出血で倒れてもおかしくない。現場にこそ、力を注がなくてはならないのだ。そうでなければ、その会社自身が腐った饅頭となって捨てられるのが落ちである。 (腐った饅頭は捨てるだけでよいのか)

フリーライダーや社内失業者をクビにして、こっそり捨てる行為は、結局企業のシステムを維持しているにすぎない。現場こそ、元気で活動的であるべきである。

今、大相撲が揺れている。さまざまな不祥事が出て、おそらく何人かの力士はクビになるだろう。だが、それで終わりとなれば、体質は変わらないことになる。また、何年か経てば、同じようなことが繰り返される。

企業も同じことである。おそらく、中間管理職が育ってない現在、社内失業課は繁盛するだろう。過労で倒れる人と、社内失業で精神的に参る人間は増えていく。就活の学生たちは、「社内失業課」に配属されないためには、できるだけ現場の職務体験をすることで、実情を知ることしかない。そして、先輩から本音を聞くことだ。だが、そのハードルは高い。自分の会社の恥を伝えるわけがないからである。
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