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素人だから言えることもある

騒がれないと不安になる人たち・2

大桃・麻木不倫騒動と、沢尻・高城離婚騒動の共通点

これは「騒がれないと不安になる人たち」の第二弾である。僕は、最近話題の大桃・麻木不倫騒動と、沢尻・高城離婚騒動にも共通な性格が見えてきた。
彼らは常にメディアを中心にして回っている。普通なら事を荒立てることなく、当事者同士で解決すればよいものだが、彼らはそうは考えない。当事者同士ではそっぽを向き、話し合いさえしない。盛んに自分の正当性をメディアに訴えるのだ。だが、彼らはメディアを通して大衆に訴えるわけではないのである。彼らは決して大衆を見ていない。結局テレビを鏡として自己満足しているのに過ぎないのである。
わざわざメディアで露出する必要はないのに、ドロドロになるまでテレビに露出する。それはなぜか。心理状態として、とにかく何でも話題になってほしいと思っている。テレビに出ないでいると、忘れられてしまうからである。

ネット・カンニングがニュースになるわけ

予備校生のカンニングが明らかになるにつれて、彼のカンニングテクニックはすごいものだと感心した。ケータイを股にはさみ、左手で打ち込む。右手で試験用紙を書きながらである。しかも、試験時間に何問も。これだけの技術があれば、ネット時代には向かうもの敵なしとさえ思う。これは泥棒のテクニックと同じで、明らかになってしまえばお縄になる。こんなことを考える力があるのなら、もっと勉強しろと世間は言う。でも、試験勉強とカンニングテクニックは頭を働かす場所が違う。まあ、人により得意不得意の差があるし、彼はカンニングテクニックが得意なだけだったのかもしれない。それも悲しいけど。

ともかく、テレビが一斉にカンニング手法を説明するのは問題ではないのか。それとも、試験監督官への講義なのか。このように一斉にテレビ局が同じようなネタを流すのを「相乗的なだれ現象」という。ジャーナリズムはマス・メディアの特権ではない(マス消滅元年・6) で引用したように、その特徴は、

(1)ある事件にすべてのマス・メディアが動員され、

(2)その事件に紙面・番組をできるだけ割き、

(3)その報道の姿勢がすべて同じ。(新井直之著「ジャーナリズム いま何が問われているか」東洋経済新報社)

である。これは大事件も小事件も同じ。地震報道も10日も続くと、これだけでは時間が持たない。それなら、それぞれの局の独自取材があってもよいはずだが。暇ネタも安売りランチやスイーツの特集ばかり。

このテレビ側の事情と、「騒がれないと不安になる人たち」の存在ががっちり組み合わされ、どんどん視聴者の興味から離れていくことにテレビは気が付いてるけど、需要と供給がマッチしてしまって、対応できない。
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