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素人だから言えることもある

個人の不安と集団への不信(精神論はやめよう・3)

震災後、1か月たって、こんなことを考えた。日本人は、ひとりひとりは勤勉で優秀だが、集団になると、その能力が相殺されて、とんでもないことや頓珍漢なことをやってしまう習性があるのではないか。今回の、東京電力の対応や、民主党の行動からそう思ったのである。

被災者にとって、一番大切なことは、できるだけ不安をなくしてあげることだ。ところが、震災から一か月もたっているのに、その不安はかえって増大している。原子力を取り扱っている天才集団であるべき東京電力や、民主党という政治家集団がやっているこのざまはなんだろう。

被災者は、本来情報から離されていて孤独である。津波という恐怖を味わい、着の身着のまま逃げてきた。ところが、この原発の放射能による風評被害はなんだ。ようやく、生き残って避難所に逃げ込み、これから何年もかかっての街の再建を決意した。しかし、放射能によって、そのことすらも許されない。被災者にとって、この風評被害は、より強大になった津波と同じではないか。家や家族を奪った津波は、今度は生計手段までも奪おうとするのか。

被災者は不安だ。だからこそ、つながろうとする。つながって、みんなで街の再建をしようと思う。テレビから、「ひとつになろう」「日本を信じてる」というキャンペーンが何回も繰り返される。だからといって、被災者が安心できるわけではない。さらに、東京電力民主党は、ひとつになることを阻害し、自分たちがそこに住むことを禁じている。だから、彼らがどこまで信じられるかが分からなくなってしまった。

もちろん、彼らは優秀だ。一人一人は、きっと命がけで被災者を救おうと考えているのに違いない。しかし、集団になると、おがくずや新聞紙で汚染水を吸収しようなんて言う頓珍漢なアイデアを出す。まるで、小学校の理科の実験みたいだ。これで、信じろというのはあまりに被災者をバカにしているのではないのか。

政治家は、「精神論」のようなばくぜんとした信条を述べるのではなく、具体的な復興のビジョンを語るべきだ。そしてそこへ向かう方策を指し示す。「自主避難」のような、自己責任にしてしまっては、この政治家は自分の意見に責任を持っていないのだと見透かされるだけである。
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