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素人だから言えることもある

なぜ、歴史の変わり時は精神論がはやるか(精神論はやめよう・5)

(1)精神論をぶつ人が高齢者や歴史通に多いのはなぜか

それは簡単である。年齢が若い人は経験が少ない。歴史の変わり目に立ち会った人間は、高齢者に多いからである。また、歴史通は、当然ながらそのころの知識を持っている。だから、過去の経験と比較して次の時代を予測できた。だが、これからの時代は、過去の経験が全く役に立たない。トフラーはこう言っている。
 その昔、社会がそれほど変化しなかったころ、老人が尊敬されていたのは、過去を知っていたからだといわれることが多いが、そうではない。未来を知っていたからである。未来は過去とほとんど変わらなかったのだ。


 いまでは変化が速いので、古い知識のうちかなりの部分は死知識になっており、若者が道を切り開いていく際に役立つとは考えにくい。そして若者は老人の知恵をそういうものとして扱っている。チキン・スープは風邪にきくといった昔からの言い伝えも、ときには役立つかもしれない。だが若者はそれに従っていない。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・上(P266)」講談社)(ネット時代の「学び」とは(「学び」について考える・2)

彼らは、インターネットで自宅にいながら世界中を知る現代社会を予測できたろうか。現代のスピードは、過去の経験と比較にならないくらい速い。誰も、経験したことのない世界なのだ。

(2)精神論をぶつ人は、なぜ未来の世界に否定的なのか

現代のスピードがあまりにも速いので、彼らには、これからのことは予測しがたい。したがって、予測がついた昔を懐かしむ。そして、彼らはノスタルジア軍団となる。
 新しい文明が古い文明を侵食する時期には、二つをくらべる動きが起こるのは避けがたい。過去の文明で有利な立場にあった人や、うまく順応してきた人がノスタルジア軍団を作り、過去を賞賛するか美化し、まだ十分に理解できない将来、不完全な将来との違いをいいたてる。

  見慣れた社会の消滅で打撃を受け、変化のあまりの速さに未来の衝撃を受けて、何百万、何千万の欧米人が工業経済の名残が消えていくのを嘆いている。(アルビン・トフラー/ハイジ・トフラー著/山岡洋一訳「富の未来・下(P332)」講談社)(2011年は「マス消滅元年」になるか

(3)なぜ、「精神論はやめよう」と言い続けたか

僕は「生かされてる」という言葉が嫌いだ。震災にあって、何万人も死んだ中で、生き残っているほど、そういう感情を持つことは理解できる。でも、僕はそれでも「生きている」と言いたい。受身的に「生かされてる」と言った瞬間に、自分の人生が否定されているような気がしている。そして、僕は、この「精神論」にも、同じような感情を抱いている。「日本人は強い」「ひとつになろう」という単なるキャッチフレーズの裏に、どこか「日本人はこうでなければならない」という「精神論」が覗いているのだ。それは、結局、政治に都合よく「生かされている」のではないのか。たとえ、現実はそうであっても、僕は僕自身で「生きている」と思いたいのだ。
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