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素人だから言えることもある

抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(4)

支援の輪は世界を変えるか

マイケル 今回の災害で目を見張るべき側面の一つが、国際的な援助の手が続々と差し伸べられている、ということだ。経済的には、非常に貧しい国からも、例えば、アフガニスタンのカンダハラや、あるいはバングラディッシュからも、日本への支援が寄せられている。こうした国々であっても、日本を一生懸命助けようとしている。支援の手を差し伸べる国々の中には、例えば中国のような、日本との間で歴史的な緊張関係を持ち続けてきた国もある。
私は、次の質問を上海の学生たちにしたい。この点をどう考えるだろうか。今回の日本の災害に対する中国の対応、世界からの対応は、今後の中国と日本の関係に影響を与えるだろうか。何かが変わる可能性はあるだろうか。上海の後ろの列、左の君から始めよう。どうだ。

ホアン雷(復旦大学) 私は今回の災害が、必ずしも日本政府と中国政府の関係を改善するきっかけにはならないと思います。中国政府は、大災害への対応として日本の被災地に救援隊を送りました。しかし、だからといって、このことで、中国と日本、両国の間で政治的な緊張関係が解消されるわけではないと思います。

マイケル それでは、上海の他の学生は? 誰か違う意見を持っている人はいないだろうか?

楊(ヤン)寛(復旦大学) 日本で震災が起きた時、私たち中国人は、インターネット上で、いろんな議論を交わしました。震災をきっかけに、両国の歴史上の問題について、より多くの中国人が、深く考えるようになったんです。日本人を、許すことができるのか、歴史上の過去の日本人と、今の日本人とを切り離して考えるべきではないのかという大きな論争が起こったのです。こうしたことが、将来に向けて、日本と普通の関係を築く助けになるのではないかと思います。

マイケル よろしい。では、君の考えでは、今回日本で震災が起こった後、中国の中での日本との関係についての考えに変化が起きてきた。そういうことだろうか。世代的にはどうだろうか。

楊(ヤン)寛(復旦大学) 特に若者の間ではそうです。

マイケル なるほど。若者の間では変化が出てきたと。これは面白い意見だ。では、日本の学生にも意見を聞きたい。君たちはどう思う?

早田憲司(早稲田大学) 僕は今後、日中関係というものは改善していくものだと思っています。その一つの理由として、やはり、今回ですね、多くの海外からのサポートがあって、それを日本人がかみしめていることがあげられると思います。あの被災者の人、首都圏に住んでいる人が海外の人たちに対して非常に感謝の念を抱いているということ、ここが非常に大事で、この念というものは、国籍とかたとえば人種とかそういったものに関係なく、恩を与えられれば、それに報いたいという風な人間の感情があって、それで、改善していくと考えています。

マイケル では、東京で他に意見は? 君。

森優子(慶應義塾大学) 私は、日中関係は改善するわけではないと思います。一国民として、日本人にとっての中国人のイメージというのは、今回の援助ですとかさまざまな今までしてきてくださった、個人的な人間関係で、かつて持っていた中国人のイメージから、かなり改善していますし、個人的には中国人とすごく仲良く友達をしていきたいと思っています。しかし、だからと言って、国というまとまりで、例えばiland島々の問題ですとか、に関しては変わっていかないんではないかなと思います。

マイケル 誰か、他の意見は? もっと、ホッとできるような答えはないかな。
上海ではどうだろう。後ろの君。

蒋(ジャン)俊潔(復旦大学) 日本と中国だけに限らないと思います。世界の人々が、もっとコミュニティとしての意識を持つべきです。それは民族や国籍を越えて、持つべきものだと思います。人々は今、あまりにも違いに目が向いている。対立に目が向きすぎている。やはり人類が一つになって考えることが、今必要だと私は思います。

私たちはグローバルな共感を持てるのか

マイケル 今の上海のジャンの問いかけを取り上げてみたい。彼女の意見は、実は我々のディスカッションを、より広い、哲学的な命題へと導いてくれた。つまり、日中間の特定の問題から、よりグローバルな倫理観や責任、アイデンティティとその共有という、大きな問題へと向かってきた。
これは価値観の問題だ。たとえば、世界の裏側で災害が起きた時、我々は、人間として、この地域、被災地の人々に、どのような責任や義務を担うのだろうか。そして、今回の災害を振り返って、もしかすると我々は、よりグローバルな倫理観、より普遍的な人間としての倫理観を目指し始めているのではないだろうか。
かつてジャン=ジャック・ルソー(18世紀の政治哲学者)という哲学者がいた。彼はこのように言っている。「人道主義の精神は世界全体に広げると薄まり、弱まってしまうようだ。
私たちヨーロッパ人は、日本で起きた災害に」
彼はなんと、日本を例に持ち出したわけだが、
「日本で起きた災害に、ヨーロッパを襲った災害と同じだけの衝撃を受けるわけではない」
これがルソーの意見だ。
彼は人間の共感と関心は、グローバルになりえないと言っている。彼は他者へのシンパシー、共感というものは、どうしても限定的なものになると言っているわけだ。この考えについて、ルソーに同意する人は手を挙げて。やはり、人間へのグローバルな共感というのはあり得ない。倫理や責任というのは限定されているものだと思う人は手を挙げて。(上海2人・ボストン2人)
それでは、ルソーに反対の人は手を挙げて。時間がたつにつれて、やはり我々はグローバルで普遍的な倫理道徳に向かっていく。(東京12人全員・上海6人・ボストン6人)
では少数派、ルソーに賛成の立場の人から聞いてみよう。やはり、責任や義務、共感というものは、その本質から言って限定的、特定の地域にとどまると考える人だ。
ボストンから始めよう。ダックはどう思う?

ダック・ルー(ハーバード大学) 私が言いたいのは、必ずしも私たちが、他の国の人々に関心を持たないということではありません。たとえば、ハーバード大学でも、いろいろな組織や団体が募金活動をしていて、日本に義捐金を送ろうとしています。日本の人々の痛みを見聞きして、同情を覚えないわけがありません。どの人々に対して、優先的に義務を負うのかというのはまた別な話だと思います。
これは国の違いだけに限定されたことではないと思います。リチャードと私は、2人ともテキサス州から来ているんですが、テキサス出身でなければわからない、独特の、テキサス人意識というものがあるんです。それはいわば、誇りのようなものです。この特定の文化や地域、コミュニティに自分が帰属しているんだという意識を私たちは求めていると思うのです。決して、グローバルな道徳や義務を目指していないわけではないのですが、でもまず家族、まず地域、次に国家、グローバルなコミュニティの一員だということよりも、まず自分の周りから、始まるんじゃないでしょうか。

マイケル では、東京に聞いてみよう。衣良さん、あなたはどう考えますか? 今、ダックが言ったことにどんな印象を受けましたか?

石田衣良 さっきのジャン=ジャック・ルソーの話ですけれど、もしルソーが今生きていたら、ユーチューブで津波のムービーを見てですね、これは世界の果てのことではなくて、自分の隣で起きたことだと思ったと思います。ですから、今、アイディンティティ問題とグローバルなものが対立するものだとおっしゃってますけれど、必ずしもそうではないと思いますね。グローバルでありながら、自分のアイディンティティを守ってどう生きていくか、今、世界の人に求められているのは、この折り合いのつけ方なんじゃないんですか。

マイケル ありがとう、他には? ボストン。

ソアラ・コパティ(ハーバード大学) ルソーが妙なことを言ったのは、まだ、コミュニケーション、意思の疎通というものが、あまり大きな役割をはたしていない時代だったからではないでしょうか。でも、今の時代、コミュニケーションがすべての中心にあるわけです。コミュニケーションが、発達しているからこそ、世界の反対側にいる人々にも、共感することができます。私が重要だと思ったのは、自然災害の時に、私たちはコミュニティとして一体感を持つということ、自然災害というのは、人間の力を越えたものです。個人やアイデンティティ、国や政府、この対立を超えるものなんです。こうした困難があった時に、初めて私たちは気づくんです。一緒になれるんだと。グローバルなコミュニティになりえたということです。

マイケル ソアラ、ありがとう。ではまた、上海の意見を聞こう。

沈(シェン)一氷(復旦大学) 私は、少し、懐疑的です。本当の意味で、国を超えたグローバルな市民として意識を共有することができるのかどうか、というのは、コミュニケーションが発達したことで、私たちは世界の様々な地域における海外の情報を手に入れることができます。そして、それについて、話し合い、ディベートもする。日本やほかの被災地に対して、義捐金を送ることもあるでしょう。しかし、だからと言って、皆が皆、自分の生活を犠牲にしたり、自分たちの労力や時間をつぎ込んで、遠く離れた被災地のために、何かをするわけではないと思うんです。

マイケル 少し、質問させてほしい。それは少なくとも、目標として目指すものだろうか。国同士の対立や、緊張関係、過去の歴史を越えて、このような時期だからこそ、共通の人間性というものを目指す。それは、目標に値することだと思えるだろうか。

沈(シェン)一氷(復旦大学) 目指すべきだとは思いますが、実現できるかはわかりません。

マイケル よろしい。今のコメントに意見はないか?
では、ボストンに行こう。ローラ、どうぞ。

ローラ・グッゲンハイマー(ハーバード大学) まず、私は、これは、目指すべき目標だと思うんです。私は、略奪や買い占めに走らなかった、日本の人たち、そうした人々をとても誇りに感じることができました。日本でいま、起きていること、日本の人々が取った行動や、勇敢な行為について報道で知り、私は同じ人間として強く共感しました。確かに、私たちの反応や感情は、それぞれの地域で差があるかもしれません。でも、それは他の人たちとの共感を妨げることにはならないと思います。お互い人間なのです。場所がどこであろうと、共感を抱くことができます。私は、今回の震災のように、人間性が問われる局面での、日本人の素晴らしい対応を知り、同じ人間として誇りに思うことができたのです。

マイケル 淳子さんに伺います。今、ローラは、日本人の今回の震災に対する対応を見て、非常に誇らしく思ったと言った。彼女の意見をどう受け止めますか?

高畑淳子 日本人はあまり、自分たちの国民性を誇らしく思うことが少ないのですが、このように世界の方に褒めていただいていることにびっくりしています。私たちは、さっき、衣良さん、おっしゃったように、当たり前のことでした。それが世界でこのように、褒められているということを、あまり知りませんでした。

高田明 あの、日本人をほめていただいたっていう、日本人はもともとシャイな国民ですから、本当に誰かのために役に立ちたいと思っている人はたくさんいらっしゃるんだけど、それをどういう風に表現したらいいかということがわかんない人がたくさんいらっしゃる。人間はみんな、教授がおっしゃるところを目指していると思うんですね。中国人の方でも、アメリカの方でも、日本の方でも、世界中、皆そういう思いを持って生きているという、私は、信じたい。そのことを、私は、ぜひお伝えしたかったことです。

マイケル 非常に力強い考察だったと思う。参加してくれた東京、ボストン、上海の皆に感謝したい。本当に目を見張る議論を展開してくれた。今回の危機から、人間は何を学ぶことができるのか、語り合った。価値観や倫理、私たちは、どう生きるのかという問題についてだ。思い出してほしい。私たちは震災の時の日本の人々の素晴らしい対応から、まず議論を始めた。彼らは非常時でも、礼節を重んじ、冷静で、自己規制の精神にあふれ、行動した。その姿に驚き、そして、誇りに思ったという意見が聞かれた。
そこから私たちは、コミュニティの意識について考えを深めることができた。日本に向けて、世界中の国々から、差しのべられた支援の手、そうした中には、過去に日本との間に、緊張関係のあった国も含まれていた。経済的に非常に貧しい国々からも、支援があった。これは、何を示しているのだろうか。もしかすると、今回の危機に対する、グローバルな反応や支援の広がりは、コミュニティの意味やその境界線が変わりつつある、広がりつつあることを示しているのではないだろうか。これはその兆しなのではないだろうか。より拡大した、コミュニティ意識、そこに向けた始まりなのかもしれない。家族や地域とのつながり、我々を束ねているより小さなコミュニティ、独自のアイデンティティというものがある。これは、私たちが、共に生き、お互いを思いやるうえで、重要な要素であることは、指摘してくれた通りだ。しかし、今回、多くの人々が感じたことがある。それは上海でも、東京でも、ボストンでも意見があがったが、最後にローらがうまく表現してくれた。つまり、地球の反対側にいたとしても、日本の人々の冷静で勇敢な人々の対応には強い共感を覚えることができたということ。日本の人々の痛み、苦しみ、私たちは分かち合うことができる。それだけではなく、日本人が見せてくれた、素晴らしい人間性や功績をまるで自分のことのように誇りに思うことができるということだ。
議論の中では、意見の不一致もあった。しかし、今回の災害を、世界がどう受け止めたのか。どんな意味を持つのか。それを理解しようと力を尽くしてきた。私の願いは、国境を越えて交わした今日の議論をたとえささやかでも、日本の皆さんへの励みとなることです。日本の人々が行動で表した、美徳や精神は、人間にとって世界にとって大きな意味を持ったということ、それが再生、復活、希望につながるプロセスの一助になればと思います。
今後、日本の皆さん、そして善意を持って支援しようとする世界中の人々、この議論の中に何かを見出してくれればと願います。
参加してくれたみんな、どうもありがとう。
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