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素人だから言えることもある

残業難民がいなくなった時、日本人の働き方が変わる

残業難民という奇妙な人たち

日経新聞にこんな記事が載っていた。
残業難民逃さない 冷やせない夏 商戦に熱

今年の夏はオフィス街に大量の「残業難民」が発生しそうだ。多くの企業は節電対策でオフィスの温度を28度以上に設定し、就業時間が過ぎれば空調を消す。

節電のためにやや高額なLED電球を購入する消費者も増えている(東京都千代田区のビックカメラ有楽町店)
マーケティング会社に勤める男性(31)は「暑い夜には外に逃げ出す時間が早くなりそうだ」と話す。
こんな残業難民を狙い、若者の利用が多い漫画喫茶や有料自習室がサラリーマンの開拓に動き始めた。有料自習室の「勉強カフェ」を運営するブックマークス(東京・渋谷)。仕事に役立つ会計講座などを週末に開いているが、今夏は平日の夕方に講座を移して会社員を呼び込む考えだ。(日経新聞2011年5月7日)

おかしな記事である。残業がなくなり、節電のために定時で終わるならば、さっさと帰宅すればよいのだが、その時間を商売にする仕事が増えるというのである。つまり、早い時間に帰りたくない会社員がいるということなのだ。それはなぜなのだろう。帰っても自分の居場所がないということなのか。

僕は、現実がひっくり返る年・前期の文末にこう書いている。

過去のように、いくらでも電気が使い放題ではないのだから。かつてサービス残業なんて言う過労死を増やす生き方は減っていくだろう。
しかし、我々日本人がなぜ長時間勤務をいとわなかったか。それは、NPO法人自立サポートセンターもやい事務局長の湯浅誠氏の意見に端的に表れている。
中間層の正社員たちにぜひとも理解してもらいたいのは、これは、あなたたち自身の問題であるということだ。貧困を放置すれば、遠からず中間層も滑り台を滑り落ちることになる。
家もカネもない貧困層は、食うために、正社員の半分の給料の仕事でも我慢せざるをえない。すると、同じ職場で同じような労働をしている正社員は、なぜ倍の給料をもらっているのかとなる。

正社員は、自らの存在理由を守るために長時間のサービス残業を余儀なくされ、心の病にかかる人が増える。互いにかばいあうだけの余裕も失われ、職場の雰囲気がギスギスしていく。現に、労基署へのいじめ相談件数は増え続けている。

かくして会社を辞める人が続出するが、残されている正社員の椅子は数少ないため、彼らは非正規化していく。結果、劣悪な労働環境に甘んじざるをえない非正規社員がさらに増えていくのだ。(週刊ダイヤモンド3/21号「あなたの知らない貧困」)( 日本人がどんどんダメになる)

今回の、節電による残業廃止はサービス残業をやめる一つのきっかけになる。だが、同時に残業手当もなくなり、アルバイト探しに苦労しなければならないかもしれないが。そもそも、なぜこのようなサービス残業が当たり前だったのはどうしてだろう。

たとえば、職務権限が管理職にしか与えられていない。会議・会議の連続で、責任を持つ管理職が、上がってきた提案をつぶそうとする…。典型的なケースが、ホウレンソウ”は第二の“カロウシ”になるかというブログに書いてあった。(なお、この元記事はリンク切れ)

それは、日本企業では従業員に『権限と責任』が与えられていないからだ
この指摘はずばり本質を突いている。職務給ではなく属人給である日本型組織においては、責任も権限も常にその存在が曖昧なのだ。たとえば僕自身、ある企画を通す際に以下のようなプロセスを延々とたどったことがある。

(1) 業者と打ち合わせ。決定権が無いので持ち帰ってプレゼン資料作成。
(2) 課長に説明「ふーん、わかった。じゃあ部長に相談して」
(3) 部長に説明「ふーん、わかった、じゃあ事業部長に(略)」
(4) 事業部長「これ、こうした方がいんじゃない?課長ともう一回相談して」((1)に戻る)

要するに、延々と社内プロセスにリソースを消費しているわけだ。ちなみにこれが非日本的組織であるなら、同じ程度の案件であれば、一般的には以下のプロセスだけで済む。


(1) 業者と打ち合わせ。その場で決定か、上司一人に報告して決定。
それだけの権限が持たされていることが前提となる。当然、結果は処遇にダイレクトに反映され、場合によってはクビにもなる。それが責任の部分だ。

(中略)

「何かあったら逐一俺に報告しろ」という関係は、裏を返せば「おまえにゃ何も期待してないし、ご褒美も期待するなよ」というに等しい。
「いいじゃないかいっぱい仕事してみんなで残業すれば」なんて意見も多そうだが、無駄な仕事はなるべく減らして余裕を持たせるほうが良い。生産性を上げるとはそういうことだ。なにより、そんなカルチャーだと新兵器たるイノベーションなんて沸いてこないから、いつまでたってもコストカット一本槍で、インド人や中国人とガチンコで殴りあう羽目になる。(ホウレンソウ”は第二の“カロウシ”になるか)(なぜ、考えない人間が増えてきたのか)

日本の多くの会社がこのような無駄な時間の垂れ流しで進んでいくとは思いたくないのだが。

早く帰った時間を家族と会話を

僕は、「亀井さん、文句を言う相手、間違っていませんか? 」でこう書いている。
亀井大臣は、大企業の経営者に責任があるように思われているようですが、責任は彼らだけにあるのではないのです。私たち、父親・母親世代が、「家族の時間」を削り、仕事中毒になったためです。生活時間の優先順位を仕事第一になったことに責任があるのです。本来、私たち親世代は、家族時間の重要さに気づき、会社に対して、要求すべきことを怠ってきました。亀井大臣は、鳩山首相に全国民にこう語りかけるよう、このように進言してください。

全国の父親・母親の皆さん、仕事を定時に切り上げて、帰宅し、テレビを止めて子供の悩みや不満を聞いてあげてください。経営者の皆様もご協力お願いします。悩みが解決できなくても、聞いてあげるだけでも結構です

毎日、これを続けることで、家族の時間が定着していきます。子供手当ての生活支援も必要ですが、子供と親との会話を復活させれば、事件の何割かは起こらなくなります。もちろん、忙しくて時間が取れないこともあるでしょう。しかし、まず、「家族の時間」を増やすことに頭を切り替えるべきです。

だが、こんな反論があった。
それで生活が成り立つなら誰も苦労しないよ。低賃金長時間労働で夫婦共働きじゃないと生活できない家庭にそれを言うのは無配慮、無責任が過ぎる。(noha’s mark)
そこで、次の「「助けて」と言えない理由」で、僕はこう反論している。
もちろん、現実問題、できない夫婦もあるだろう。だが、その夫婦の子はどうなるのか。少なくとも、人間的なつながりの温かさを知らない子は、結局孤立の連鎖から抜けられない。つまり、緊急時に「助けてと言えない」子供を新たに作ってしまうかもしれないのだ。親子が互いに信頼できる関係になれば、孤立に閉じこもるより、他人に救いを求める勇気もできる。せめて、家族内だけでも、「家族の時間」を築いていく方向で考えてもらいたいのである
家族の時間を優先順位の一番にできない働き方は、人間の生き方として根本的に間違っている。

オランダ人の生き方

残業のないことが日常化すると、ワーク・シェアリングを考えていかなければならなくなる。つまり、正社員と非正規社員の同一労働・同一賃金への是正である。それはまた、属人給から職務給への転換でもある。このままだと、パイはどんどん小さくなり、非正規社員のみ増えていくからである。そこで、僕はオランダ人の生き方を考えた。オランダ・モデルというのがある。
オランダでもパートタイム勤務の社員が冷遇されていたが、パートタイム勤務の社員が待遇面で受けていたいろいろな差別を禁止し、これがオランダ・モデルと呼ばれるようになった。すなわち、

(1) 同一労働価値であれば、パートタイム労働社員とフルタイム労働社員との時間あたりの賃金は同じにする。
(2) 社会保険、育児・介護休暇等も同じ条件で付与される。
(3) フルタイム労働とパートタイム労働の転換は労働者の請求によって自由に変えられる。 という制度になった。この結果、夫婦の自由な勤務形態の組み合わせが可能となり、雇用が促進されたという。(図録▽失業率の推移) (ケータイホームレス・さまよえる日本人論(5) )

なお、図によると日本の失業率は他国と比べて4.6パーセントと低く見えるが、「600万人の社内失業者」でみたように、雇用調整準備金により、実質9パーセントの失業率が隠されている。

そして、「物語オランダ人」(倉部誠著/文春新書)にまとめられているオランダ人の姿は、

オランダでは残業をすることが法律で禁じられている。残業をしたかったら、ほかの人間を雇わなければならない。つまり、ワークシェアリングが徹底されているのである。労働者には年間5週間の休暇が約束されている。さらに、結婚式は休日に行うことはほとんどない。他人の休む権利はそれほど大切なものだ。また、自分の誕生日は自分でプレゼントを買う。さらにオランダ人同士でおごることはない。たまたま日本の上司がおごれば図に乗って高級店を要求する。社員の一割は常に休む。医者の証明書はいらないし、その間に副業をしてもおとがめはない。それでいて入社したら一年間は首を切れない。また学校でも生徒の間違いを教師は正すことができない。「君の意見はユニークだけれど、僕はこう思うよ」と遠慮がちに話しかけるだけである。(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(5) )
日本人の生き方と180度違う。だが、改めて会社中心主義の日本人の働き方と家族中心主義のオランダ人について考え直すチャンスになるかもしれない。
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