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素人だから言えることもある

震災が露呈した情報のミスマッチと日本人の疎外感

田原氏と佐々木氏の対談より

現代ビジネスに「田原総一朗×佐々木俊尚「原発問題を抜きにした復興構想会議なんてナンセンスです」」という対談記事があった。

被災地で取材した佐々木氏の言葉から、被災地で起こっているミスマッチの現状が明らかになってきた。今回はその特徴を考えてみたい。

(1)東北人の我慢強さがニーズを正しく伝えない

田原: そうなんですよね。日曜日(4月24日)に僕は石巻へ行ったんですよ。ここは250人くらいであまり大規模じゃない、中学校の体育館でした。

そこの被災者の方が、「実は今日、初めて弁当が配られたんですよ」とおっしゃる。44日目にして初めて一食分だけ弁当が配られた。

僕らからすると頭に来るんじゃないかと。ところが有り難がっておられる。そこで「今、政府に何を要求したいですか」って聞いた。「一刻も早く、仮設でいいから住みたい」なんて言葉は、なかなか出てこないんですよ

佐々木: みんな遠慮深い人が多いから、三陸の人とか。

田原: そうなんですよ。

佐々木: みんな芯が強くて、あまり大きい声でものを言わない。そういう人たちですね。

(中略)

田原: 僕はそれを見て危ないと思った。

こういうところへ来ると、国会議員とか政府の関係者は誤解するんじゃないかと。本当は欲求不満が溜まって怒り寸前なのに、「これなら大丈夫だ」と高を括るんじゃないかと。

佐々木: それはあり得るでしょうね。さっきも言いましたが、避難所ごとの温度差ってすごく激しい。(「田原総一朗×佐々木俊尚「原発問題を抜きにした復興構想会議なんてナンセンスです」」)

(2)現場によって被災者のニーズを汲み上げるところと汲み上げられないところがある
佐々木: 避難所によっては、みんなの意見をまとめて「これとこれが欲しいから上に上げましょう」という段取りを出来る人がいる場所といない場所があって、そこに分断が起きてしまっている。

例えばすごくいい取り組みがあって、アマゾンに『ほしい物リスト』というサービスがあるんです。例えば田原さんが、自分の欲しい本に「これが欲しい」とチェックを入れておくと、他の人からもそれは見えるようになっているんですね。

(中略)

田原: アマゾンが一つの媒体になるんだ。

佐々木: そうなんです。すごい素晴らしいと思うんです。これが今広範囲に広がっているんですけど、そのアマゾンで『ほしい物リスト』を設定している避難所や施設は数が限られているんですよ。なぜかって言うと、その避難所にアマゾンのウエブサイトを使いこなせる人がいるかいないか、そこの問題なんです。(「田原総一朗×佐々木俊尚「原発問題を抜きにした復興構想会議なんてナンセンスです」」)

(3)公平・平等がかえって分配を阻害する
田原: 例えば、炊き出しをやると公平にいかない平等にいかない、だから、やめる。僕の行った避難所でもお饅頭とか何かが配られる。人数に達しないと、配らないでやめちゃうって言うんですよ。

佐々木: でもそれは批判は出来ない。

NPOの『日本ユニバ』って、ずっと被災地支援やっているところを継続的に取材しているんですが、そこの人に聞くと、例えば50人くらいの避難所のコミュニティがあって、物が足りないけど仲良くしている。そこに30個きちゃうと、それでコミュニティが崩れてしまう。結束心が崩れてしまって、あの人は貰っているのに私は貰っていないとかのトラブルが起きてしまう。

そんなことが起きるくらいだったら、足りなくても公平性を保ってくれたほうがいいと思う面はあるようです。

(中略)

佐々木: 個人で物資を運んで行って、向こうでその場で皆さんに分ける。実はあれも本当はよくないんじゃないかっていう意見もあるんですね。

田原: 不公平になると。

佐々木: かといって物資が絶対的に足りないのも事実なので、そこのバランスをどう取るかっていうのは、実は本当は答えがなくて難しい問題だと思います。(「田原総一朗×佐々木俊尚「原発問題を抜きにした復興構想会議なんてナンセンスです」」)

(4)現場に裁量権がない
田原: 突然話題を変えて申し訳ないけど、福島の原発もそうなんですよ。大混乱ですね。

福島の原発の人たちに取材した。実は東京の本社との連絡に時間を取られすぎるって言うんですよ。社長とか会長とか偉いのはみんな東京にいるわけね。それが「どうなっているんだ」と聞くそうです。


本当は時間の勝負で早くやらなくてはいけない。ところが東京との連絡に時間を取られてどうしようもないと。

佐々木: それは日本政府の外交とか日本企業の国際交渉でよくある話ですね。現場に裁量権がないからいちいち本国や本社に問い合わせなくてはいけなくて、向こうは「何をやっているんだ」と怒り出す。

田原: 東京の東電の本社がうるさい、それから経済産業省保安院がうるさいと。保安院に全部了解を得ないとやっちゃいけないと。手伝っているのか邪魔しているのか・・・。

佐々木: 結局、日本全国にそういう仕組みが雁字搦めにある。これは原発問題に限らず復興も含めてものすごく足を引っ張っているのは事実ですね。(田原総一朗×佐々木俊尚「原発問題を抜きにした復興構想会議なんてナンセンスです」」)

マイケル・サンデル氏の特別講義より

この現場に裁量権がないという問題は、残業難民がいなくなった時、日本人の働き方が変わるでも、
「何かあったら逐一俺に報告しろ」という関係は、裏を返せば「おまえにゃ何も期待してないし、ご褒美も期待するなよ」というに等しい。

「いいじゃないかいっぱい仕事してみんなで残業すれば」なんて意見も多そうだが、無駄な仕事はなるべく減らして余裕を持たせるほうが良い。生産性を上げるとはそういうことだ。なにより、そんなカルチャーだと新兵器たるイノベーションなんて沸いてこないから、いつまでたってもコストカット一本槍で、インド人や中国人とガチンコで殴りあう羽目になる。(ホウレンソウ”は第二の“カロウシ”になるか)(なぜ、考えない人間が増えてきたのか)

や「iPhoneを発想できなかった日本」で引用した夏野氏の発言
要は収益の負担を背負っていなければ、リスクを取れないということです。ドコモで私はiモード事業全体に関して責任を負っていました。だからこそリスクを一番取れた。

一方、メーカーの開発部門の長は、リスクを取れる立場にない。納入価格を安くしたり、納入時期を守ったりすることがミッションになっています。

メーカーにも人材はいると思います。しかし、その人がリスクを取れるポジションにいなければiPhoneのような製品は作れない。ドコモにいたときの私はiPhone規模の製品は作れなかった。(日経エレクトロニクス2008年8月11日号で「トップが信念を貫かなければ,「iPhone」は作れない」)

でもさんざん考えてきたことだ。

言い換えれば、個人の裁量よりも会社や地域という共同体の裁量を優先する日本独特の体質が被災地の現場の混乱を招いているのである。

抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) では、作家の石田衣良氏の発言に日本的体質が特徴的に述べられている。

石田衣良(作家) こういう災害に起こるとですね。それぞれの国の地の部分が浮き上がってきますよね。で、マイケルさんがおっしゃってるような、そのコミュリタリアニズム(共同体主義)の規範というのは、日本人の場合は、思想かとかではなくて、生活の中にしみ込んでしまって、トラブルがあるたびに出てくるんですよ。ですから、外国のメディアで暴動や窃盗が起こらなかったことが奇跡だというのがありましたけれど、それが日本では、まったく当り前です。ええ、そういう災害の現場で、盗みが起こるようなことは誰も想定していないですね。ただ、そこでひとつ申し上げておきたいのは、マイケルさんがおっしゃっているように、そのコミュニタリアニズムの考えというのは、国に対する忠誠ではないです。自分の小さな地域、目の前にいる家族、あるいは友人たちに対する献身としてあらわれてくるという、日本では政府はあんまり人気がないんですよ。(抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) )
これは、東北人の我慢強さであり、公平に分配できないなら、配らない方がいいという考え方に如実に表れている。一方、アメリカ人が考えるこのような日本的特徴を
ハーリーン・ガンビール(ハーバード大学) ハーリーンです。確かにそうだと思います。西洋では個人主義の自分のためにという価値観が強く、一方、東洋では共同体的な助け合う価値観が強いのではないかと思います。

ただ、ハリケーン・カトリーナの例では、人々は、自分で自分の身を守らなくてはいけませんでした。誰にも頼れない、誰も助けに来てくれないという意識があの時は強かったのだと思います。

これに対しては、日本では、お互いに頼りあって助け合うという感覚ではなかったのではないでしょうか。皆が我慢し、皆が協力し合う、原発での復旧作業でも国のために自主的に人々が協力して自分ができることをする、こうした強い共同体意識は、今後の復興、再建にあたるときに、大きな力になるのではないでしょうか。 人々が争ったり、略奪が繰り返されるアメリカのような場所では、再建はもっともっと困難だと思います。(抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) )

ととらえているが、これは決して「日本では、お互いに頼りあって助け合うという感覚」なんかではなく、佐々木氏の言う「結束心が崩れてしまって、あの人は貰っているのに私は貰っていないとかのトラブルが起きてしまう。そんなことが起きるくらいだったら、足りなくても公平性を保ってくれたほうがいいと思う面」が現れたとみるべきなのではないだろうか。

そして前項「13日の金曜日に考える」でも考えたように、日本の自殺者が多い理由は、このような共同体から疎外されたという感覚から来ているものだと思う。

ところで、疎外感とは、類語辞典によると

(群衆の中の)孤独 ・ (ポツンと)見捨てられたような ・ 出口なしの ・ 隔絶された ・ 取り残された感じ ・ 異邦人の感じ ・ 孤独な感じ ・ 地に足がつかない ・ 寂しい ・ 頼りない ・ 浮遊感 ・ 漂流感(Weblio類語辞典)
と書いているが、東北という比較的共同体意識の強い場所では、個人主義よりも共同体からのけ者にされることを恐れる感覚が被災者たちのミスマッチに端的に表れているような気がする。
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