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素人だから言えることもある

ソニーのものづくり魂(3)(ホームサーバの戦い・第89章)

ものづくり魂とイノベーションのジレンマ

前項、前々項のエントリーで、僕は「ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」(井深大著/柳下要司郎編/サンマーク出版)の中の井深氏・盛田氏の生の文章を素材として引用した。さて、今回は、それらを使って考えていく。僕は、「「イノベーションのジレンマ」とソニー」でこう書いた。
草創期のソニーは、経営者のアイデアや直感で次の製品が決定されていた。トランジスター技術に着目した盛田氏は、その権利を持っていたアメリカの AT & T に「トランジスターは補聴器ぐらいしか使えない」とか「そんな小さなラジオが売れるわけがない」とは言われたが、結局トランジスターラジオで「ソニー」の名前を世界にとどろかせた。

ところが、企業が巨大化すると、 1 経営者や 1 社員のアイデアに資金を投入することが難しくなる。

たとえば、平面ブラウン管ベガの成功で酔ってしまったソニーは、プラズマや液晶技術開発に遅れてしまった。またブラウン管の次は有機 EL であると見ていたが、初期の計画より時間がかかってしまった。

企業が巨大化すると、リスクが大きくなり、なかなか画期的なアイデアを思いついても、それを実行することが難しくなる。創業者の対談でも、
井深 やっぱりソニーは新しいものを生み出さなきゃウソだよね。

盛田 組織が大きくなるとフレキシビリティがなくなる。人間も年をとるとフレキシビリティがなくなりますね。“ソウイ”という意味は二つあって“総意”と“創意”がある。企業というのはクリエイティブの方の創意でなければならんのですよ。コンセンサスの総意では、進歩もないし改革もできない。

だけど、クリエイティブであるということは、なんでも人と変わったことをやればいいということじゃない。ときどきわが社でもこの風潮がある。自動車は毎年毎年、新型車が出るけれども、ブレーキとアクセルの位置は必ず同じです。ブレーキは左、アクセルは右と決まっとるわけです。あれを逆にしたらえらいことになる。

ところが、ときどきソニーの中では、とにかく何でもいいから変えればいいというので、ブレーキとアクセルの位置を逆にしたようなものを作ってる。やっぱりクリエイティブにも基本はあるわけでね、思いつきでは困る。

井深 ソニーの製品をシステムで使おうとするとね。コマンダーが4つぐらいいるんだね。どうなってんのかね(笑)。イノベーティブな考え方っていうのができなくなるね。努力はするんだけども……。ウチも気をつけないとね。

盛田 リスクをとるということがやりにくくなってくる。ソニーだって初めはつぶれてもいいくらいのつもりでやってましたからね(笑)。

井深 そうそう。

盛田 つぶれるか成功するかという瀬戸際で、これやらなけりゃもうだめだという気構えでやってるから、思い切ったことができたんですよ

井深 ふり返ってみると、トランジスタなんかね、僕自身が難しさを知らなかったからよかったと思うよね。あの難しさを知ってたらね、さっきのリスクの話じゃないけど手を出さなかったと思うね。

盛田 井深さんがトランジスタやろうと言い出した時はびっくりしたものね。こんなもので増幅できるのかって。

井深 よく思い切ったよね。

盛田 しかし、大きくなってくると安全運転になってきちゃうんだな。ひとつ間違えると被害が大きいから。(井深大著/柳下要司郎編「ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」サンマーク出版)(ソニーのものづくり魂(2)(ホームサーバの戦い・第88章) )

盛田氏の言葉「総意」と「創意」は言いえて妙だ。「総意」がグループの合意、「創意」は個人のアイデアだ。「総意」を基本にすると、とがった部分がなくなってしまう。もちろん、「創意」は何でもアリではない。したがって、「創意」をする人間は、相手が納得するまで説得する力を持たなければならない。

思い出すのは、「ソニーの猛獣たち」で引用した森園正彦氏の言葉だ。

「私は、彼らを決して使いづらいとは思いませんでしたね。彼らは優秀で、とにかく仕事が出来ましたし、またよく仕事をするんです。ただ、上司であれ誰であれ、一言物申すタイプですから、(職場で)周囲から浮き上がったり、上司から疎んじられたりするのです。でも彼らは『いざ』という時には頼りになります。開発や何かで難しい問題が生じた場合、これで出来るとか出来ないかとかごちゃごちゃ議論するのですが、彼らは『じゃあ、やってみます』と、すぐ始めるような人たちですから」(立石泰則著「ソニー厚木スピリット」 小学館)
このような全社員が一言物申すタイプばかりでは、企業はたちまち止まってしまうだろう。したがって、上司はそれを嫌う。組織が巨大化すればするほど、そのハードルは高くなり、「創意」をする人間は立ち向かう前に疲れてしまう。

これはあらゆる企業にも言える。ベンチャー企業時代は、社長のアイデア次第で画期的な製品を作る。ところが、組織化するにつれて、普通の会社になる。周りから見れば、創業者時代はあんなに輝いたのにと言われる。だが、巨大化した企業にそれを求めるのは酷だ。多くの正社員を抱えているのに、これはと思うアイデアを製品化できないのは、あまりにもリスクが大きいからだ。

小規模な市場では大企業の成長ニーズを解決できない
破壊的技術は、新しい市場を生み出すのが通常である。このような新しい市場に早い時期に参入した企業には、参入の遅れた企業に対して、先駆者として大幅な優位を保てることが実証されている。しかし、こういった企業が成功し成長すると、将来大規模になるはずの新しい小規模な市場に参入することがしだいに難しくなってくる。 ( 「イノベーションのジレンマ 」) (「イノベーションのジレンマ」とソニー)
ものづくり魂が実は個人的なもので、なかなか組織になじまないこととは理解できるだろう。

ものづくり魂とはセレンディピティ

ソニーのものづくり魂(1)(ホームサーバの戦い・第87章) )で井深氏の語る本田宗一郎氏の行動を見ていると、これこそがセレンディピティの行動だと気が付いた。
セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。(セレンディピティ-Wikipedia)
このセレンディピティのひらめきを得るには、何回も失敗することが必要である。
怖いのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないことだ」というのは本田さんの有名な言葉ですが、失敗の悔しさ、つらさを味わわずに育った子どもは、いったいどうなるのでしょうか。少なくとも本田さんのような人は、絶対に出てこないことだけは確かです。(井深大著/柳下要司郎編「ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」サンマーク出版)
本田氏は、失敗したものを吊し上げる会議を「ニワトリ会議」と呼んだそうである。
ホンダ(本田技研工業)創業者の本田宗一郎氏は、このような組織を「ニワトリ会議」をする組織として、将来の成長を止めてしまうものだと厳しく戒めました。
ニワトリは、傷ついたニワトリがいると、それを寄ってたかって皆でつついていじめ、しまいには殺してしまうことさえある動物だそうです。本田宗一郎氏は、挑戦したがうまくいかず失敗に終わった人を、傷ついたニワトリになぞらえて、このような戒めをしたのです。(河合太介+渡部幹著「フリーライダー あなたの隣のただのり社員」講談社現代新書)( 成功と失敗のセレンディピティとニワトリ会議)
そして、教訓として
失敗を奨励せよ
・経験のないことをやって誤るのは本当の失敗ではない
・進歩のためにはまず第一歩を踏み出すこと。「試してみよ」だ
・ただし、失敗したら原因を追究し、正しく反省せよ
・正しい失敗・正しい反省をした人を攻撃してつぶすな(ケビン・D・ワン著/高橋裕二監修「ニワトリを殺すな」幻冬舎) ( 成功と失敗のセレンディピティとニワトリ会議)
これなどは、森園氏の言葉に呼応しているし、ソニーもホンダと同じようなセレンディピティを生み出すシステムが存在していたことがうかがえる。

本当にものづくり魂は失われたのか

表面的には、最近のソニーは、画期的な製品が生まれていない以上、失われているように見えても仕方がない部分もある。だが、ものづくり魂は、組織に宿らずに個人に宿る。ソニーを飛び出した社員には、結構ものづくり魂が息づいていることは、「ジョブズとソニー(3) iPodとウォークマン」でとりあげた前刀禎明氏の例もある。また、PS3の父、久夛良木健氏は「日経エレクトロニクス5月16日号」のインタビューでこう答えている。
―――(これからの)技術者はどのように働けばいいのか。

久夛良木 もっと大きな絵を描いて、それを作り上げていくシステム思考を磨く必要がある。いろんなものがどんどんネットワークに吸い上げられているのに、クライアント側に閉じこもり、商品を考えている。そうすると、見える範囲の中での改良しかできない。

世の中にない新しいものを作り出すには、全体を理解して動的なシステムを描く力が必要だが、残念なことに既存のエレクトロニクス業界にはこうした力が足りない。

本当なら、1週間ぐらいでプロトタイプを作って見せて、「どうだ!」と周りを驚かせるぐらいでないといけない。ソニーにいた昔の技術者はそんな連中ばかりだった。FacebookTwitterの創業者たちは、インターネットのサーバー全体の仕組みを理解しているから、1週間ぐらいで世界を変えるような仕組みを作り上げられた。

―――インターネットのサービスとエレクトロニクス製品は違うのではないか。

久夛良木 そうではない。私事で恐縮だが、子供の頃にマンガやSF小説で読んだ平面テレビや腕時計型テレビを作りたくて、ブラウン管テレビ全盛の1975年ごろにソニー社内で液晶テレビを自作したことがある。液晶材料を買ってきて、自分たちでラビングをして、スペーサを入れてもね。それを動作させるためのICもA-D変換器も市場にない。そこで、トランジスタを集めてきて全部作った。

今なら半導体だって、OSだって、材料だって、生産設備だって、何でも簡単に手に入る。逆に、僕にとってはやりたいことが簡単に実現できる今の技術者たちがうらやましいぐらいだ。
もし、何か夢を実現するために足りないものがあるというのなら、それは自分で作ればいい。自分に知識や技能がないなら、同志を募ればいい。同志を集めるための道具はいくらでも周りにある。

―――ネットワーク・ベースのシステムが主流になったときに、エレクトロニクス産業は貢献できるか。

久夛良木 いくらでも貢献できる。分野の壁が崩れている今、エレクトロニクスは、環境、バイオ、医学とか、いろいろなものと融合できるはずだ。

情報化社会が進めば進むほど、人間とコンピュータ・システムのインターフェースが重要になる。そのとき、インターフェースはありとあらゆるものの中に入るようになる。例えば、人間は気分や体調が時々刻々と変わる。そういったものをちゃんと横にいて見ていてくれる機器や、人間の気分に応じて動作する機器が求められるようになる。

こうしたことをやろうとすると、大量のセンサが必要だし、そのための部品を作る技術は日本にある。

―――現在の携帯型ゲーム機の市場をどう見ているのか。

久夛良木 携帯型ゲーム機コモディティー(日用品)になった以上、これが完全になくなることはないと思っている。空港に行くと、子供が手にPSPニンテンドーDSを持って遊んでいるシーンを見掛けるが、これがなくなることは想像できない。

だからといって、従来の携帯型ゲーム機のビジネスモデルを踏襲していたのでは、大きな成長は望めないだろう。コンピュータ・エンターテインメントは、それまでの遊びを置き替えることで大きく成長した。今の若者は、コンピュータ・ネットワーク上での“人とのつながり”に楽しみを感じるようになってきている。こうした新しい波が台頭してくるのは明らかだ。

この、人とのつながりで楽しませるゲームやサービスを作り続けている人たちと、昔の手法のままでゲームやサービスを作り続けている人たちでは、近い将来、優勝劣敗がハッキリしてくるだろう。

任天堂や米Microsoft社、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)などのいわゆるプラットフォーマーは、ゲーム機を単体で捉えているように見える。単体でのビジネスはもちろんあるだろう。しかし、次に成長するプラットフォームを見たとき、それはソーシャル・ネットワークの中にある。ライブなエンターテインメントだと予測できる。実現形態としては、完全なサーバー型になる。


―――Android搭載機に初代プレステのゲームを配信する「PlayStationSuite(PSS)」によってスマートフォンを取り込むことで、SCEソーシャル・ネットワークの世界に近づこうとしているかに見える。

久夛良木 僕はもはや当事者ではないので、何とも言えない。ただ、一つ言えるのは、次の世代の製品をユーザーに届ける際には、前とは違うものを作らなければならないということだ。

既に、これまでとは全く違うエンターテインメントを生み出していく素地は十分に整いつつある。そのときの主役はネットワークであることは間違いない。今まで誰も見たことがない、「何だこれは!」いうことをやった人が勝つと思う。(日経エレクトロニクス5月16日号“メーカー”なんてもう古いシステム思考を磨け)

この中の、
本当なら、1週間ぐらいでプロトタイプを作って見せて、「どうだ!」と周りを驚かせるぐらいでないといけない。ソニーにいた昔の技術者はそんな連中ばかりだった。
という言葉は、「昔のソニーには猛獣がたくさんいたし猛獣使いもたくさんいた」で引用した久夛良木氏の言葉、
今、僕は世の中がリスクをとらない風潮に向かっていることをすごく心配している。産業界に共通してリスクをとらずに、確実に利益をとりにいく風潮があるよね。例えば、かつてのソニーは、失敗を恐れずにどんどん挑戦した。大きな失敗もいろいろとしたけど、いろんな挑戦の中からキラッと光るものが生まれた。挑戦をやめたら、進化は止まるし、未来はつくれない。僕のSCEでの人生は、未来への挑戦の歴史だと思う。リスクを背負って、果敢に挑戦してきたつもり、SCEを離れた後も、そういう僕の生きかたは変わらない。

(中略)

昔のソニーには社内に猛獣がたくさんいてね、だから活気があって、面白かったんだろうなあ。お世話になった先輩たちがよく言うんだよね、昔のソニーには猛獣がたくさんいたし、猛獣使いもたくさんいたと。猛獣の僕がこんなこと言うのも変なんだけど。(週刊東洋経済 2007/5/19号 「僕がやめる本当の理由を語ろう」)

を思い出す。このインタビュー自体が「ものづくり魂」で満ちていることを改めて驚かされる。例えば、こんな言葉だ。
「私事で恐縮だが、子供の頃にマンガやSF小説で読んだ平面テレビや腕時計型テレビを作りたくて、ブラウン管テレビ全盛の1975年ごろにソニー社内で液晶テレビを自作したことがある。液晶材料を買ってきて、自分たちでラビングをして、スペーサを入れてもね。それを動作させるためのICもA-D変換器も市場にない。そこで、トランジスタを集めてきて全部作った。
今なら半導体だって、OSだって、材料だって、生産設備だって、何でも簡単に手に入る。逆に、僕にとってはやりたいことが簡単に実現できる今の技術者たちがうらやましいぐらいだ。
もし、何か夢を実現するために足りないものがあるというのなら、それは自分で作ればいい。自分に知識や技能がないなら、同志を募ればいい。同志を集めるための道具はいくらでも周りにある。」
久夛良木氏は、ジャンルにこだわらず、どんどん乗り越えていこうとするわくわく感がうかがえる。それなら、現在のSCEについてはどうか。

久夛良木氏は、NGPの発表会でゲームアナリストの平林久和氏に会ったそうだ。

久夛良木健ソニー・コンピュータエンタテインメント・名誉会長がいらしたので「今日の発表は15年まえから考えていたことですか?」とずうずうしくも質問しました。「私はもう道を譲ったんだから、平井に訊いてよ。ノーコメント」と言われました。しかし、その時に浮かべた笑顔は、コメントをしているのに等しい「ノーコメント」でした。(PlayStation 、獅子は笑顔で目覚めた・・・平林久和「ゲームの未来を語る」第10回)
平林氏の感触では、NGPのような製品に向かうことは15年前から考えていたということになる。今の段階、平井氏に「ものづくり魂」があるかどうかわからない。だが、久夛良木氏が全幅の信頼で後継を譲ったのだから、今回のような危機を乗り越えて、失敗から学び、復活するはずだ。もし、ここでつぶれるとたら、彼には「ものづくり魂」はなかったことになる。
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