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素人だから言えることもある

ソニーのものづくり魂(4)(ホームサーバの戦い・第90章)

日本はすでにものづくりの現場ではない

tsujirincofさんのものづくり社長 VS ホリエモンから
無限大(注:夢幻∞大)さんには申し訳ないのですが、25年という月日により、
ここまで考え方が変わってるのですよ、と感じるのです。
というエントリーがあった。また、Chikirin日記エアコン設計にみる昭和的発想にも
それは、「付加価値をあげるとは、付加機能を増やすことである」という昭和的価値観からメーカーが逃れられていないからです。
日本の家電はすべてそうなんです。毎年モデルチェンジして、たとえ少しでも去年より高く売りたい。そのためには「なにか新機能を付けなくては!」なのです。
という記述がある。この昭和的価値観とは、付加機能競争によって独自な製品であるものの、大変使いにくくなっているということである。これをソニーに当てはめれば、創業者の「ものづくり魂」が25年の間に無駄なものに変わってしまったということになろう。ということは、このソニーのものづくり魂(1) でとりあげた立石泰則氏のいう
井深大氏と盛田昭夫氏が目指したソニーのもの作り、「他人のやらないことをやる」「他人真似はしない」というソニースピリット(文藝春秋5月特別号/立石泰則著「さよなら! 僕らのソニー」)
麻倉怜士氏の求める
独自の提案力、独自の技術力、独自のものづくりの力、といったソニーならではの力の集積(ストリンガー氏のソニー再建計画に異議あり!(麻倉怜士のニュースEYE 2009/3/15)
というのは、結局、Chikirin氏の言う「機能てんこ盛り」の日本製品に他ならないことだ。独自な製品づくりは、結局他社の製品と結びつくことができない。

一方、立石氏がストリンガー会長の政策を批判した

オープンテクノロジーとは、誰にでも製品が作れるようにすることである。つまり、ストリンガー氏は独自技術にこだわった製品開発を否定したのである。 ストリンガー氏は製品の価値を製品そのものに求めるのではなく、インターネットなどネットワークにつなぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが、製品に付加価値を与えるというのだ。それゆえ彼は、標準化され、使いやすく手ごろな価格であることが、ソニー製品に求められていると考えるのである。(文藝春秋5月特別号/立石泰則著「さよなら! 僕らのソニー」)
こそが、Chikirin氏の求める家電製品だということになるのではないか。確かに、他社と並ぶことでソニーの独自性は消えてしまうかもしれない。でも、シンプルな機能だから、ネットワークの中でも使いやすいということではないだろうか。でも、このことがそのまま現在のソニーが「ものづくり魂」を失ったことを意味するのだろうか。

僕は、前項ソニーのものづくり魂(3)(ホームサーバの戦い・第89章)

このインタビュー自体が「ものづくり魂」で満ちていることを改めて驚かされる。
と書いている。本田・井深・盛田・久夛良木、四氏の共通する「ものづくりの魂」は変わらないと思ったのだ。それは、失敗を重ねて挑戦することで、セレンディピティが生まれ、画期的な製品に結びつくという姿勢である。それなのに、25年間でものづくりの方向が180度変わってしまった。この違いはどこにあるのか。

ストリンガー会長と久夛良木氏の考える「ものづくり魂」

それは、前項で省いた日経エレクトロニクスのインタビュー記事にあった。
―――日本のエレクトロニクス産業が活気を失って久しい。

久夛良木 日本のエレクトロニクス産業や自動車産業がよりどころとしてきた大量生産は、歴史的に見ると1世紀前のビジネスモデルだ。ここにしがみついているのが問題なのではないか。

日本は確かにある時期、世界のリーダーだったが、今では中国や韓国の方が上と言えるかもしれない。逆に、日本がリーダーになる前は米国、その前は英国がリーダーだった。いつまでも日本のものづくりが一番だと考えるべきではない。

そうした歴史の流れを踏まえると、もう、数十年、もしかしたら100年前に研究開発された技術の商品化だけを考えているのはおかしい。今はどんどん時間の流れが加速しているため、10年後にはとんでもないことになっているはずだ。それなのに、その状況にどう対応するのか議論しないのは間違っている。

―――“とんでもないこと”とは。

久夛良木 僕の計算によれば、ネットワークとコンピュータを合わせたものの価格性能比は1年で8倍に高まる。まず、ムーアの法則によってマイクロプロセッサのコストは1年で33%下がる。メモリは1年で半分、そしてネットワークのコストは40%下がる。これを掛け算すれば、コストは8分の1になる。つまり、同じコストで8倍の性能のものが手に入るわけだ。超並列が理想的に動作すると考えれば、それまで8カ月かかっていた処理が、1年後には1カ月で終わることになる。

この現実を考えると、すべてがネットワークに向かうのは必然と言える。2年後には64倍、3年後には512倍、10年後にはとんでもない数字になる。例えば、「その変化には、5年かかる」と言われているものがあっても、瞬く間に切り替わってしまう。

だから今、ネットワークのクライアント側を中心としたビジネスを一生懸命やっている人たちは、近い将来に選別されてしまうだろう。これまでと同じように、ライバル企業の動きを見ながら1年かけて春モデル、秋モデルと作っているのでは駄目だ。(日経エレクトロニクス2011年5月16日号“メーカー”なんてもう古い システム思考を磨け)

独自技術による「機能てんこ盛り」家電の否定である。また、久夛良木氏は、前項ソニーのものづくり魂(3)(ホームサーバの戦い・第89章)でも、
この、人とのつながりで楽しませるゲームやサービスを作り続けている人たちと、昔の手法のままでゲームやサービスを作り続けている人たちでは、近い将来、優勝劣敗がハッキリしてくるだろう。

任天堂や米Microsoft社、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)などのいわゆるプラットフォーマーは、ゲーム機を単体で捉えているように見える。単体でのビジネスはもちろんあるだろう。しかし、次に成長するプラットフォームを見たとき、それはソーシャル・ネットワークの中にある。ライブなエンターテインメントだと予測できる。実現形態としては、完全なサーバー型になる。

(中略)

ただ、一つ言えるのは、次の世代の製品をユーザーに届ける際には、前とは違うものを作らなければならないということだ。

既に、これまでとは全く違うエンターテインメントを生み出していく素地は十分に整いつつある。そのときの主役はネットワークであることは間違いない。今まで誰も見たことがない、「何だこれは!」いうことをやった人が勝つと思う。(日経エレクトロニクス5月16日号“メーカー”なんてもう古いシステム思考を磨け)

この「前とは違うもの」とは、立石氏や麻倉氏の独自な技術による独自な製品とは違う。それは、必ずソーシャル・ネットワークの中にあり、これまでとは全く違うエンターテインメントというのだ。このネットワークを入り口に
分野の壁が崩れている今、エレクトロニクスは、環境、バイオ、医学とか、いろいろなものと融合できるはずだ。

情報化社会が進めば進むほど、人間とコンピュータ・システムのインターフェースが重要になる。そのとき、インターフェースはありとあらゆるものの中に入るようになる。例えば、人間は気分や体調が時々刻々と変わる。そういったものをちゃんと横にいて見ていてくれる機器や、人間の気分に応じて動作する機器が求められるようになる。(日経エレクトロニクス5月16日号“メーカー”なんてもう古いシステム思考を磨け)

そうなると、ネットワークに結びつかない独自な技術による独自な製品は、かえって邪魔になる。むしろ、立石氏が嘆いていた
ストリンガー氏は製品の価値を製品そのものに求めるのではなく、インターネットなどネットワークにつなぐことでもたらされるサービスやコンテンツの価値こそが、製品に付加価値を与えるというのだ。(文藝春秋5月特別号/立石泰則著「さよなら! 僕らのソニー」)
こそが、まったく新しいソニーの「ものづくり魂」なのである。
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