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素人だから言えることもある

テレビ広告の陰り

スポンサーが広告費の減額を求めている

読売新聞にこんな記事があった
「エ〜シ〜」大量放送、もめる料金の帳尻合わせ

東日本大震災の後、テレビCMの広告主となっている企業の多くが、民間テレビ局に対して広告料金の減額を求め、交渉が難航している

各企業は自社のCMを自粛して、公益社団法人「ACジャパン」(旧公共広告機構)のCMに切り替えたが、今回のような災害時の広告料金の扱いについて明確なルールがないためだ。放送局、広告主、広告会社の業界3団体は月内にも災害時の広告料金のあり方について協議に乗り出すことになった。

震災の後、各企業は自社のCMを、無料の公共広告を通じて啓発活動を行うACジャパンのCMに切り替えた。ACジャパンは広告主となる民間企業や広告会社、メディアなど約1200社が会員で、その会費で運営されている。各社は、営利企業でないACのCMなら震災後に放映されても不興を買いにくいと考えたとみられる。

CM総合研究所によると、ACのCMは震災から1週間後の3月18日まで全CMの約8割を占め、3月末までに計約4万5000回放送された。

日本民間放送連盟によると、通常、今回のように広告主側の判断でCMをACに切り替えた場合、広告料金は当初の契約通り広告主から放送局に支払われる。CMの自粛は、不祥事など広告主側の都合によるケースが多いためだ。

しかし、今回は震災で番組そのものの内容が変わったり、企業自身も被災したりするなど特殊な事情があるとして、多くの広告主は放送局に広告料金の減額を求めている。だが、災害時のCMの取り扱いに関する明確なルールがないため、個々の放送局、広告主、広告会社の交渉は難航したままだ
(2011年6月1日17時35分 読売新聞)

テレビ広告は、もともと番組の時間枠を買うことで成り立つ。したがって、スポンサーは、震災前までは、本来の番組を想定して時間枠を買っていたわけだ。ところが、震災以後、スポンサーたちの経済状態が変わってしまった。かといって、「ACジャパンという穴埋めCM」で
会員媒体社は、CM、新聞広告、ポスターなどの枠を無償で提供しています。(媒体と広告実績)
とある通り、ACジャパンからは広告料をとることができない。したがって、
通常、今回のように広告主側の判断でCMをACに切り替えた場合、広告料金は当初の契約通り広告主から放送局に支払われる。(「エ〜シ〜」大量放送、もめる料金の帳尻合わせ)
はずだった。ここから伺えるのは、テレビ局とスポンサーの関係が、霞が関と企業の癒着と同様に、官僚の前例主義が横行していることだった。スポンサーが広告費の減額を求めるなどということは、テレビ局の前例になかったことなのである。

番組の質の低下とスポンサーの減少

また、テレビ局の番組の質の低下がある。内容がつまらない分、金をかけて作ってきたテレビ局の体質がある。
予算がないとおもしろいものが作れない理由は、今テレビ局内でエラくなっている人たちが、低予算での番組作りの経験がないというところが一番大きい。バブル華やかなりし80年代は、「オマエら頭ねえんだから金使え!」とハッパをかけられていた、そういう時代だった。

テレビ番組とはすなわち、多大な金と時間をかけてバカをやって見せる、そういうものだったのである。バカの部分は、ロマンを追うとか違うものにいろいろ置き換えてみると、なんでもあてはまる。(小寺信良著「USTREAMがメディアを変える」ちくま新書)(「USTREAMがメディアを変える」から読み解くテレビ局の変質)

今回は、その金を出したスポンサーすら減りつつある現実をあらわにした。その理由は何か。芸能評論家の肥留間正明氏は、大阪進出のバラエティ番組がスポンサーを減らせた理由だという。
――ネットでは、日本テレビ系のドラマ「ごくせん」第3シリーズが初回視聴率26.4%に達しただけで騒いでいます。そんなに、テレビが面白くなくなったのですか。

肥留間  面白いコンテンツがなくなって、テレビ離れが進んでいます。テレビを一番ダメにしたのが、バラエティ番組です。吉本興業が東京進出を果たし、さんまや紳助、今田が自分の番組を持つようになって、関西のお笑いが定着しました。その結果、吉本の影響をモロに受けている東京のテレビ局のバラエティ番組は、どう見ても、大阪でやっていた番組作りなんですね。大阪のバラエティ番組は、お金がないので、後ろで笑う観客と関西のお笑いタレントを集めて、番組を作っていました。つまり、お茶の間の井戸端会議版を東京に連れてきたということです。今バラエティ番組に出ているお笑いタレントは、芸人ではなくひな壇タレント。例えば、「行列のできる法律相談所」なんかがそうです。若い人に向けて番組を作っていますが、陳腐な光景でみな飽き飽きしてしまったんですよ。

――なぜ、そんな安請け合いのような番組作りになってしまったのですか。

肥留間  テレビ局の社員に番組を作るノウハウがなくなってしまったからですよ。例えば、5000万円で1時間ドラマを作るとすると、テレビ局が2000万円を抜いて下請けに出す。さらに下請けが2000万を抜いて、結局孫請けが残りの1000万で番組を作る。そんなピンハネで、いい番組ができますか。だから、関西テレビの捏造番組のような例が出てくるんですよ。傘下にトンネル会社や孫請けがある今の官僚システムと同じです。孫請け会社のスタッフが年収200万円では、靴下も買えない。「ユニクロ、そんないいもの着ているのか」とスタッフ間で話題になった、という話すらあります。

――それで、番組が面白くなくなって視聴率が下がると、スポンサーもつかなくなる。こういう悪循環になるんですね。

肥留間 スポンサーも楽ではないので、数字が出ないとつきません。昔はテレビ局にCMの依頼が多く、「もう入らないよ」と依頼を断っていました。今は、テレビ局の系列会社の社長自らが、スポンサーにお願い行脚をしています。時々、テレビで自局の番組の宣伝をしているCMを見ますが、これは番組のスポット広告が埋まらないからですよ視聴率は、5年前までは20%が合格ラインだった。それが15%になり今や12%になってしまって、2ケタだったらいいというプロデューサーすらいます。ごくせんの26%というのは奇跡に近いんです。それで、ジャニーズタレントのような人気者を引っ張ってきて、安易な番組作りをやってしまう。ますます、テレビ局は芸能プロダクションや制作会社の言いなりになる。せめて面白いのは朝のワイドショーぐらいですが、それにしてもテリー伊藤やデーブ・スペクターといった金太郎飴のような同じコメンテーターばかりですよ。(バラエティが腐らせたテレビ スポンサーはそっぽを向く芸能評論家の肥留間正明氏に聞く)

もともとテレビ局は、放送権に守られ、少ないキー局で、どうやっても儲かる仕組みだった。
基本は、公共財である電波を、私企業であるテレビ局( NHK は少々性格が異なるが)が占有し収益を上げるという業界構造にある。

放送業界は、政府が認めない限り新規参入ができない業界だ。日本でアナログのテレビ放送が始まったのは1953年。それ以来、テレビ業界は新規参入が極めて困難な業界であり続けている。この特性を利用し、東京にあるキー局が確実に高い収益を上げることができる業界構造を構築してきたのである

その一つの例が系列だ。地方にテレビ放送を展開するにあたって、郵政省(現総務省)は都道府県ごとに電波の免許を出した。そうすることによって地方資本を利権の構造の中に取り込んだのだ。各地方局は、建前上は独立した放送局であるが、実際には東京のキー局の系列に入った。


地方局はキー局の作成した番組を放送する。その際に、キー局から地方局には放送料という金銭報酬が支払われる。「番組を使用するならば、地方局がキー局に金銭を支払うのが筋だろう」と思うだろうが逆なのだ。なぜならば、この構造によってキー局は放送料以上の収益を上げることができるからだ

地方局に番組を回すことで、キー局は自分の製作した番組を全国で放送することができる。このことが番組の価値を大きく高め、コマーシャル収入をぐっと押し上げる

地方局に流す放送料は、同時に地方局の番組製作能力を萎縮させ、地方局をキー局が回す番組一辺倒に依存させることになる。キー局としては地方局の離反を防ぎつつ、コマーシャルで高い収益を上げることが可能になる。(ネットにあらがうTV業界の現在と未来)

これは吉野次郎氏の「テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか」(日経BP社)の書評の一部だが、地域ごとに独占企業と系列化を作るという考え方は、東京電力の例でも見るように、官僚主義の発想である。結局、テレビ局は総務省に連なる関連部署となり、建前は表現の自由を担わされていながら、放送免許により独占企業となった。ここを通さなければ、テレビ広告が打てないとすれば、スポンサーが一斉に集中し、もうからないわけがなかった。

社会主義国家がそうであるように、競争のない独占企業もまた、腐敗する。番組作りよりも、ピンハネに集中すれば、一番大事な番組つくりのノウハウは失われ、視聴率は落ち、スポンサーは減少する。特に今年は、7月24日の地デジ化を前に、各局はスタジオのハイビジョン化と地デジアンテナの中継塔造成に疲弊しきっている。そのうえ、今回の震災によって、スポンサーの減少、減額というダブルパンチである。果たして、テレビ局は、全局、生き延びられるだろうか。
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