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素人だから言えることもある

ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1)

我が愛する日本へ〜ドナルド・キーン89歳の決断〜

クローズアップ現代で「我が愛する日本へ〜ドナルド・キーン89歳の決断〜」(6/29放送)を見た。解説には
70年近くにわたり日本文学を幅広く研究し、世界に広めた功労者、アメリカ・コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーンさんが、東日本大震災後、日本国籍を取得し日本に永住することを表明した。きっかけは、大震災による大きな打撃に苦しむ日本人と共に生きることで、これまでの日本への感謝を心から示したいのだと言う。その決意に、多くの日本人が勇気づけられた。18歳で「源氏物語」と出会い、その後、谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫といった名だたる文豪とも親交を結び、日本文学に情熱を注ぎ続けたキーンさん。番組では、大震災後に日本各地の人たちからキーンさんに寄せられた感謝や激励の手紙を紹介しながら、日本を愛してやまないキーンさんの半生や、キーンさんをとらえて離さない日本の美しさとは何かに迫る。
この番組を見ていない人のために、対談部分を書き起こしてみる。場所はニューヨーク・コロンビア大学


国谷裕子キャスター 松尾芭蕉奥の細道の旅支度をされていた時に、松島の月、まず心にかかりて、松島の月の面影を最初に思い浮かべられたんですけども、こうやってはやる気持ちを持ちながら、旅の支度をされてらっしゃるときに、どういう風景がキーンさんの、胸の内によぎりますか。

ドナルド・キーン 正直なことを申しますけれど、まず、私の東京の住まいにある細い道、霜降橋という細い道ありますけれども、そこ小さい道、歩くこと非常に楽しみです。そこの店の人たち、知っているし、皆、挨拶言うでしょう(1)。いつ帰りましたかと言ってくるでしょう。それ私の現在の日本です。

国谷 そうすると、その風景というのは、北区のご自宅の辺りはとても庶民的な商店街があって、そこの小道を歩くことを、

キーン 大好きです。まだ、かき氷があって、もういないでしょう。割合(2)最近まで、店の前でおじさんが「いらったい」と言っていました。「いらったい」って。

国谷 いらっしゃいじゃなくて、「いらったい」と。芭蕉っていうと、旅が終わると、また旅をする、また旅を繰り返すと。それはキーンさんにとっても、今回、そのニューヨークでの生活を終えて、またふたたび旅に出られるような、ご心境なのでしょうか。

キーン 旅に出てるという気持ちですが、しかし、これは特別な旅です。まあ、陰気な話は避けたいですけれど、最後の旅かもしれません。私は、日本についてから、どこにも行かないかもしれません。その可能性が十分あります。そして、それで満足してます。今度は、一種の帰国というような感じもします。

国谷 今回、キーンさんは、日本に国籍を取得するということを表明されてらっしゃるんですけれど、国とか民族とかそういうものを乗り越えてしまうようなお考えをお持ちの方が、あえて、この最後の旅とおっしゃったんですけれど、あえて決心されたのは、なぜなんでしょうか。

キーン 私はあらゆる面で、日本人に恵まれてきました。私は感謝のつもりで、自分の国籍、今までの国籍を捨てて、新しい日本の国籍をいただくことは、私の感謝のつもりでやりたいと思っていたんです。私は、何かやりたいと思っていたんです。普通でないようなものをやりたいと思って。素晴らしい本を書くこともいいかもしれませんけれども、しかしそれは私、象徴的なものをやりたいと思っていたんです。

<VTR>

<NA> 日本人となる、日本で新たな暮らしを始めることが、人生最後の旅だという、ドナルド・キーンさん。その人生は、まさに日本文化に魅せられ、日本人の内面を探求してきた日々でした。

キーンさんが、初めて日本文学に触れたのは、18歳の時、その前の年には、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発、世界中が重苦しい空気に包まれていました。そんな時、ニューヨークの本屋で偶然手にしたのが、英訳された「源氏物語」。ページをめくると、1000年以上前に日本の王朝貴族が繰り広げた美の世界が描かれていました。その魅惑的な世界に、たちまち心を奪われたキーンさんは、それまで危険な軍事国家だとばかり思っていた日本の新たな一面を発見しました。

しかし、その後、間もなく日米両国は、太平洋戦争に突入、キーンさんも海軍の将校として、アッツ島や沖縄などの激戦地に赴きました。日本語を学んでいたため、主な任務は、捕虜となった日本兵の尋問、そして押収した兵士の日記の翻訳でした。キーンさんは特に、兵士たちの日記をむさぼるように読んだと言います。

死が近いことを意識した兵士の日記には、自らの戦意を鼓舞する言葉ではなく、遠い故郷を懐かしむなど、生身の心がつづられ、キーンさんの日本人のイメージを大きく変えることになりました。

<朗読>「これらの日記は時に堪えられないほど感動的で、一兵士最後の日々の苦悩が記録されていた。

(中略)

私が本当に知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだったのだ」(ドナルド・キーン著「私と20世紀のクロニクル」より)

<NA> 源氏物語に描かれたような、独特の美意識を持つ日本人、軍国主義にひた走る好戦的な日本人、そして戦いに苦悩する生身の人間としての日本人、いったい日本人とは何なのか。その内面をもっと知りたいと、キーンさんは戦後、日本文学の研究にのめりこんでいったのです。

国谷 源氏物語のような美しい日本と、兵士たちのなかなか理解しがたい感情、そういうものがないまぜになった日本、日本人っていったいどういう人なんだろう。不思議だったでしょうね。

キーン 戦前から、そういう矛盾かありました。一方の、私は日本の浮世絵を知っていました。こんな素晴らしいものがあるとか、あるいは、日本の盆栽とかそういうものを見たんですが(3)同時に中国で侵入があって、どうして一つの国民が両方できるかと。

国谷 あの、米英撃滅、そういうことを合言葉に戦争にひた走った日本、そして、戦争が終わった途端に一転して熱狂的なアメリカ崇拝に日本人は変わっていった。こうした日本の極端から極端へと変わっていく日本人をまるごと、知りたい、理解したいという気持ちが強かったんでしょうか。

キーン 強かったです。そうですね、私にとって、特にあのころは大きな謎だったです。私が会ってる日本人は捕虜でしたが、私と冗談交わして、すぐ親しみができて、何も私と合わない壁は何もなかったです。(4)好きなことなんでも話して、そしてそういう人たちは、一時的な友達ではなくて、戦争が終わっても付き合いが続きました。この場合は。しかし、その極端から極端が大きな謎でした。

<VTR>

<NA> 日本人とは何か。キーンさんはその謎を解く手がかりとして、戦中戦後の作家の日記に注目しました。永井荷風伊藤整山田風太郎など、およそ30人の作家の日記。中でもキーンさんが共感したのは、もとプロレタリア作家で戦中に言論統制のもと、転向を余儀なくされた、高見順の日記でした。高見の日記には、10万人に及ぶ犠牲者を出した東京大空襲直後の日本人の姿が描かれています。

母親を疎開させるため、上野駅にやってきた高見、そこは焼け野原となった東京から逃れようとする人々であふれていました。家を焼かれ、家族を失い、極限状態に置かれているにもかかわらず、節度と冷静さを失わないで、我慢強く順番を待ち続ける人々。それを見て高見が記した、次の一節は、キーンさんの心に深い感銘を与えたと言います。

<朗読>「私の眼に、いつか涙が湧いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、共に死にたいと思った。

(中略)

何の頼るべき権力もそうして財力も持たない、黙々と我慢している、そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もひとりだった。

国谷 日記には探し求めてきた日本人論の手掛りが潜んでいた。とお書きになっていますね。日本人を知ろうという旅をずーっと続けてこられて、たどり着いたキーンさんの見た日本人というのは、どういう人たちですか。

キーン それは一番難しいご質問でしょう。私は日本国民を愛しているといってもいいです。また、私は大いに影響を受けたんです。例えば、ニューヨークで物を買って、店員がありがとうと言わないときは、私はえーっと驚きました。しかし、私のようにもう(5)60年前から日本に行ったり来たりしてわからなくなりました。ただ、私、一緒だという感じがします。

国谷 キーンさんそのものが日本人。

キーン そういう感じです。それを否定する人もいるでしょうけれども、私はそういう感じです。

国谷 ですから、日本人を知ろう、日本人って不思議な存在だ。一体、日本人ってどういう人たちなんだろうと、ずーっと探求を続けてきたら、キーンさん自身が日本人になってしまったということですか?

キーン そういう感じです。

国谷 あの、5年程前ですか。キーンさんはとてもうれしいことがあったとお書きになっているんですけれども。ある時、日本女性が地下鉄の駅の行き方をキーンさんに尋ねられて、とてもうれしかった。

キーン はい、そうです。本当にそうです。しかし、その時、聞かれてとてもうれしかったです。ただの人間になったんです。外人でなくて人間だったです。

国谷 今まで、ずーっと外国人、外国人という風に見られていたのが、日本においても普通の人間ていう感じの人間になれた。
今回、大震災が起きて、その時はキーンさんはこちらにいらっしゃったんてすけれど、その震災を体験した日本人を、キーンさんはここにいてどのように、キーンさんの目に映りましたか。

キーン 私は本当に感心しました。また、高見順の日記に戻りますが、彼はお母さんと一緒に上野駅に行ったんですが、そこに大勢の人がいました。皆、静かに待っていたんです。自分の番を待っていたんです。そして、高見先生の、結論は、私たちはこういう人たちと一緒に住みたいし、死にたいです。というふうに言ったんです。それは、私にしても大きいと思います。

国谷 同じお気持ちということですか。

キーン 私も同じ気持ちでした。

国谷 穏やかで我慢強い。

キーン それはあの、私、テレビを見ても津波が入っていく、強く(6)恐ろしい、何とも言えない気持ちでした。しかし、皆、我慢して、静かに。そこは、深く感心しました。

国谷 そういう人たちと共にいたい、寄り添いたい。

キーン はい。そうです。そういう気持ちですね。

国谷 キーンさんがなることを決心された、日本人ですけれども。日本の魅力、日本の心の中で、お好きな部分、一番魅力的だと思っている部分はなんですか。

キーン 一番は大変難しいですが、なんでもないことで、いっぱい頭に浮かんできます。今、私、思い出しまして、私は、室生(7)寺というお寺に行ったんです。そして、すごい雨が降ってきました。そして、なかなか雨が上がらないです。その時に、おばあさん(8)は、私を見て、私に傘を貸したんです。そしてわたしは、返せないかもしれないと言いましたら、かまいません、どうぞ使ってください、と。何でもないこと、私は忘れられないです。そういう親切さ、優しさは、私は一番好きかもしれません。

<VTR>

<NA> 18歳で源氏物語と出会ってから、70年。たくさんの本と出会い、数多くの著作を発表してきたキーンさん。

数々の英訳本や日本の作家たちによる貴重な文芸雑誌など多くの本を、日本の自宅がある東京北区の図書館に寄贈することにしています。キーンさんは、89歳になった今も、ほとんどの時間を机に向かって過ごしています。今、書いているのは、明治時代の俳人、正岡子規の評伝です。結核を患った正岡子規が、人生の最後を迎えるくだり、時に涙しながら執筆に没頭していると言います。

日本での新たな暮らしを心待ちにするキーンさん。日本国籍を取ったら、使ってみたいと思っている漢字の名前があります。

「鬼」と書いてキーン、怒なると鳴門を重ねてドナルド、しかも鬼怒川の鬼怒と、渦潮の鳴門というように、川と海をイメージさせるなど、キーンさんならではの遊び心が込められています。キーンさんは、これからは日本人として、さらに日本人とは何かを見つめ続けていくつもりです。

国谷 キーンさんは、ヤシの木陰に座って、海を眺めながら片手にラム酒一杯がある、そんなことはこれっぼっちもしたくないって、おっしゃっているんですけれども、常に次の仕事のことがいっぱい。この次にあれをやりたい、これをやりたい、そういう生活を70歳、80歳過ぎてもずっとやられてきたわけですけれども、今も同じ心境でいらっしゃいますか。

キーン そうそう。私、今年89歳ですが、だんだん頭のことを心配します。(9)最後まではっきりするかを考えて、しかし、できるだけ、これから同じように、面白いものを調べたり、書いたり、話したりしたいと思います。
ものの名前だとか、これなんというかを知りたい。何のためにもならないとわかっていても、知りたいということがあります。

国谷 何の役に立つかわからないけれども知りたい。

キーン 知りたい。

国谷 知りたい。知りたい。知りたい。

キーン 知りたい。知りたいです。

国谷 それがその、物事の理解に到達する唯一の道。

キーン そうなります。文士の道だと一番いいです。(10)それは一つの夢です。

国谷 夢?

キーン 夢。完全な文士になること。(11)

国谷 完全な文士になること?

キーン 昔の学者が、自分の研究で、ものを読んで自然を見て、いろいろ楽しんでました。私は、いつもこういう感じで、それも好きですが、しまいに、私は、昔風の東洋人のように、静かにしたいと思います。


次項は、番組に登場した2つのドナルド・キーン氏の著作「私と20世紀のクロニクル」と「日本人の戦争 作家の日記を読む」を元に、キーン氏の感動した日本人の心について考えていきたい。


追記 一部、聞き取れなかったところがあるので、推量であてはめた部分があります。 例 お坊さん(おばあさんかも) 無量寺(室生寺かも)

追記2 番組のページで出演者の発言が掲載された。そこで、一部を修正する。

(1)愛されているでしょう→挨拶言うでしょう

(2)もう見えないですけど、→もういないでしょう。割合

(3)また→そういうものを見たんですが

(4)何も私と合わない壁は何もなかったです。(挿入)

(5)よりもう→のようにもう

(6)黒い→強く

(7)無量→室生

(8)お坊さん→おばあさん

(9)して、→します。

(10)そうであれば、文士の道です。→そうなります。文士の道だと一番いいです。

(11)国谷 夢?(挿入)

完全な文士になる。→夢。完全な文士になること。
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