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素人だから言えることもある

日本人の謎「極端から極端へ」

郷に入れば郷に従え

日本語のことわざに「郷に入れば郷に従え」というものがある。Webiloによれば、
郷に入れば郷に従え

読み方:ごうにはいればごうにしたがえ
その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方である、などの意味の表現。郷に入っては郷に従う。

企業に入る時も同じである。その企業にはその企業独特の企業文化がある。もし、新入社員が自分の信念だけで生きていけば、たちまちトラブル連続になってしまう。したがって、その企業を理解し、それに合わせていかなければならない。その典型が「空気を読め」ということだ。空気が読めない人間は、企業から孤立せざるを得ないのである。

しかし、僕はこの考えは大きな問題を含んでいると考える。例えば、「ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1) 」で日本人の謎とされた「極端から極端へ」の転向である。あれほど、「生きて虜囚の辱めを受けず」として、愛国教育をしていた日本が、敗戦した途端、アメリカ様の意向に沿おうとしている。言い換えれば、日本軍国主義の会社からアメリカ主義の会社に転職したようなものである。日本人は、なぜこれほど主体性がないのか。

原発反対派と原発推進派は同根?

ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2) において宮島理氏のブログを引用したが、このブログの後半にこんな一節がある。
180度転換した「世論」の前では、「水力発電のためにダム増やしたら環境破壊になるけどいいの?」「火力発電を増強したら、温暖化ガス削減目標は絶対に達成できないけどいいの?」「原発即時廃止したら当面の電力が足りなくなるけどいいの?」という当然の疑問は何の意味も持たない。「正義」を着替えた彼らにとって、そのような「過去」にこだわるのは「ダサい」のである。もちろん、「風力・地熱・太陽光だけじゃ絶対に電力足りないよ?」という疑問もスルーされる。別に彼らは本気でエネルギー政策を考えているわけではなく、単に原発事故という責任から逃れたいだけだからだ。

それどころか、「本当に脱原発をしたいなら、既存原発を当面活用しつつ、地道に代替エネルギー確保やエネルギー安全保障強化をしていかなきゃいけないんじゃないの?」という主張をする者は、「時代遅れの原発推進派」として糾弾されてしまう。また、「浜岡原発停止“要請”は、電力供給対策を放棄して、いざとなれば電力会社の責任にして逃げられるポピュリズム的手法なんじゃないの?」と批判する者は、彼らにとって「原発利権の回し者」だ。浜岡原発停止“要請”を賛美することは、かつて民主党政権の積極的原発推進路線を支持していた忌まわしき「過去」を忘れるための大切な「儀式」なのである。「儀式」を邪魔することは、絶対に許されない。

こうした「空気」の時は、空想的理想論がもてはやされる。「原発の電気は使いたくない」という子供じみた言い回しをして、「自然エネルギー」がブームになるのは、「血塗られた平和は要らない」という子供じみた言い方をして、「非武装中立」を唱えた時代と重なる。そう、「自然エネルギー」とは、21世紀の「非武装中立」なのだ。

積極的原発推進路線にも原発即時廃止路線にも阿らない人々は、現在、息を潜めてジッとしている。積極的原発推進路線から原発即時廃止路線に「転向」し、絶えず「正義」を振りかざす人々の感情が収まるまで、何も言わないのが得策だとあきらめているのだろう。政治家もマスメディアも学者も奥歯に物が挟まったような言い方しかしないのは、敗戦後とまったく同じである。わが日本は、いつまで「正義」を簡単に着替える人々に振り回されなければならないのだろうか。(「正義」を簡単に着替える日本人)

日本人が目指す理想社会が脱原発であり、非武装中立であり、かつまた北欧型福祉社会(福祉と政治、何が問題なのか、改めて考える。)だという。しかも消費税0%ならもっといい。なぜ、日本人は現実を見ずに、多数派の考えに左右されるのか。

日本文化に潜む他人任せの論理

僕は、「異文化文献録」のシリーズで、このことを考えている。

生徒の能力は教師に左右される?

学校教育で問題になっているのは、モンスターペアレントだという。なぜ、親たちは、学校に文句を言うのか。それは教師に対して、過大な期待をしているためではないのか。

英語のEDUCATION・教育の語源は「引き出す」である。「能力」は個人個人がそれぞれ持っているものである。教育はその「能力」を引き出す手助けをしているに過ぎないのだ(赤祖父哲二「英語イメージ辞典 」三省堂)。従って人により引き出される能力はさまざまであり、違って当たり前なのである。

それに対して、日本の教育は同じ知的水準を要求する。いわばアメリカの教育が、「お前はお前、俺は俺」の教育なのに対して、日本の教育は「みんな一緒」の教育なのだ。「みんな一緒」の服を着て、「みんな一緒」の教科書を使う。だから、母親がよく言う言葉に「あの子に負けるのはお前の努力が足りないから」という。決して、ウチの子に能力が無いなんて考えもしないのである。だが、アメリカでは「努力」という言葉はほとんど使われない。「能力」の無い者に「努力」を強調しても無意味だという考え方があるからだ(加藤恭子、マーシャ・ロズマン「言葉で探るアメリカ」ジャパンタイムズ)。この考え方も、大変厳しい考え方である。無能力者と烙印をされたら、その分野での死を意味するからだ。学校の環境が日本よりも楽に見えるが、勉強をしない人間に厳しい点は、アメリカは日本以上なのである。

「みんな一緒」の教育を受けた人間は、独創的で個性的な人間を排除しようとする。目立つことはチームワークを乱す元だからだ。この点もアメリカと逆だ。アメリカでは、オリジナリティーの無い人間は認められない。独創的な人間は自分の能力に自信を持っている。このことがアメリカ国民の層の厚さとなっているのである。確かに日本の知的水準は上がっている。文盲率もゼロに近い。だが、この中に自分の本当の能力に自信を持っているものは何人いるだろう。真の教育とは、生徒に自分の持つ好奇心を最大限に引き出し、学ぶ楽しさを教えて生きる自信につなげることなのだ(稲垣佳世子・波多野誼余夫「 知的好奇心 」「 無気力の心理学」中公新書)。(学校なんて大嫌い(異文化文献録) )

日本は、本人がどれほどの能力があるかよりも教師や学校の力に重きを置く傾向がある。このような傾向はどうして起こったのか。

文化は外国から来る?

「文化」の「文」は、着物の襟元の形から生まれた。美しい襟元より「礼儀」や「文字」が生まれ「文学」「学問」の意味を含むようになった。「化」の「イ(にんべん ) 」は人の形、「匕」は転倒した人の形である。このように「化」の字の中に人が変化するという意味がある(山田勝美「漢字の語源」角川書店 ) 。中国語の「文化」は本来、学問や礼儀などで武力によらずに人を教化(教え導く)するという意味であった中田浩一「 漢字語源」誠文堂新光社)。この「文化」が日本に来てなぜ英語の「CULTURE 」の訳語になったかは不明であるが、「文化」の言葉の底に「他から教えられる」という意味があることがわかる。

さて「CULTURE 」の語源は「耕す」である。耕す土地は、環境により場所により様々だ。農作物も違えば、それに伴い風俗習慣も違ってくる(木村尚三郎「 耕す文化の時代 」ダイヤモンド社 ) 。これが「 CULTURE 」の意味であり、その底には、「自分の土地から生み出す」という思いが含まれている。

「日本人は、いつも思想は外からくるものだと思っている」 ( 司馬遼太郎「 この国のかたち 」文芸春秋社 ) 。この「思想」を「文化」に換えても納得がいく。「独創的な文明は、日本よりも外国で作られる可能性が大きいから、それを取り入れる方が能率的だ。中国に儒教があれば儒教をもってくる。インドに仏教があればそれをもってくる。ヨーロッパに科学技術があればそれを持ってくる。これが一番よいやり方だと考えた」 ( 梅原猛「 日本文化論 」講談社学術文庫

僕は「 CULTURE 」の「耕す文化」に対して、この考え方を「種まき文化」と名づけた。風に運ばれる種のように、「文化」も海外から運ばれるからだ。「耕す文化」が限られた土地から「引き出す」文化なのに対し、「種まき文化」は外国から「与えられる」文化だ。与えられる文化には限界がない。この考え方は「文化」を後世に伝える方法(教育観)にまで及ぶ。

日本とアメリカの間には大きな違いがある。アメリカでは、生まれ育った才能は一定の量に定まっていると考える。ところが日本人は、能力に到達点があるとは思っていない。限界があることを認めないんだ」 (R. ホワイティング「 和をもって日本となす 」角川書店)
(「耕す文化」と「種まき文化」(異文化文献録) )

なぜ「三匹のこぶた」で二番目に倒れた木の家屋を災害の多い日本で取り入れたのか
イギリス民話「三匹のこぶた 」 ( 福音館書店版)は、わらの家・木の家・レンガ(石)の家を造った子豚の物語だ。わらの家や木の家を吹き飛ばす「狼の息」は、自然や犯罪の脅威ととらえることができる。すると日本の「木と紙で出来た家」は、西洋の「レンガで出来た家」に比べて大変安全性が低いということになる。日本人はなぜこのような住まいを作ったのだろうか。今回は家を通して「安全」とは何かを考えて見る。

(中略)

これは、日本人の自然の取り組み方が影響を与えている。日本人は自分を自然の中に位置づけ、自然と対立せず自然に順応することに知恵を出してきたのである。一方、欧米人は「自然」と対立し、「自然」を征服しようとしてきた。従って、彼らにとって家の外は危険地帯なのだ樋口清之「自然と日本人」講談社 ) 。

欧米人は、「家内安全」に心を砕いたが、日本人が心を砕いたのは、近隣の人たちとの連帯感であり、人間関係であった。災害に弱い「木と紙で出来た家」は「仮の住まい」として考え、いざとなったら「安全」に逃げられるように、「家外安全」を計ったのである。これが地域社会の安全を生み、女性一人でも夜に歩ける「家外安全」の社会を作った

欧米人は厳しい社会環境に取り巻かれているため、「安全」の大切さを知っている。いくら「家内安全」に金をかけても、地域社会が不安であれば心の不安は取り除けない。「家内安全」の思想の根底には「人間不信」があるからだ。(家内安全・家外安全)

この家外安全システムは、被災地で有効に働いた。現場の我慢強く整然と並ぶ人たちは、その典型である。だが、都会で起きたらどうだろうか。マンションの孤立性が、家外安全システムを拒否しているのだ。

女性的な国家・日本

欧米人が日本人を理解しがたいといういわれについて考えた。

欧米人と日本人の性格を比べると、欧米人は合理的・論理的・対立的・個人的・攻撃的であり、日本人は非合理的・情緒的・協調的・集団的・防衛的である。一つの人格であれば、欧米人は「男性型社会」であり、日本人は「女性型社会」ということになる。(河合隼雄氏は「父性社会」「母性社会」と呼んでいる。 ( 河合隼雄「母性社会日本の病理 」講談社プラスアルファ文庫 )

「男性型社会」の特徴は、物事を二つに分けて白黒をはっきりさせるということであり、「女性型社会」の特徴ははっきりさせずに包み込むということだ。しかし、「男尊女卑社会」といわれる日本がなぜこのような女性的特質を持っているのだろうか。

「男性型社会」は、絶えず異民族との戦争に明け暮れてきた。彼らの舞台は戦場である。戦場では、自分を守るものは自分しかいない。しかし、自分の人生を切り開くのも自分の能力しかない。この論理は、平和時も変わらない。自由も、個人主義も、民主主義も、女性の権利も戦って勝ち取ることから生まれてきた。「女性は弱い」という幻想は、「男性型社会」の強者の論理から生まれたものだが、「女性の権利」の獲得もやはり女性たちの間に根づいた「男性的思考」から生まれたものだ。(ホーン川嶋遥子「女達が変えるアメリカ 」岩波新書

戦場では、自立しない人間は生きていくことができない。したがって「男性型社会」では、幼いうちから家庭で厳しく自立精神をたたき込む。

一方、「女性型社会」の舞台は家庭である。家庭の延長が会社であり、村であり、国家である。終身雇用制や年功序列制は、この家庭の論理から生まれたものだ。「家庭(会社)」に属さないものは半人前であり、社会への参加を制限された。儒教が中国から、渡ってきたとき女性たちに「男は強くなければ」という幻想を植えつけた。しかし、現実は男たちは権威の上にあぐらをかき、実質的な力を持っていたのは女性たちであった。

「女性型社会」では、厳しいしつけは「奉公先」や「若衆宿」など外でなされた。庶民は貧しい生活のために、子供を幼いときから外で働かせた。「他人と同じ釜の飯」を食った、子供を暖かく迎え入れるのが家庭であった。(木村尚三郎「 家族の時代 」新潮選書)

「女性型社会」日本は、幕末に「男性型社会」と初めてふれた。「箱入り娘」であった日本が、一段優れた欧米文化にふれて一目ぼれしたのは無理もない。日本は、明治時代、欧米と「デート」を始めた。(鯖田豊之「日本を見なおす 」講談社現代新書)「女性型社会」は、外国から文化を取り入れても、すべて自己流に変えて消化してしまうという特徴がある。この変化への対応の「しなやかさ」と「したたかさ」は敗戦からの回復の早さや現代日本の底力でわかる。 (日本の正体(異文化文献録) )


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