欽ちゃんの笑いから全員集合の笑いへ(NHK「そのとき、みんなテレビを見ていた」第二部より)(1)
NHKの地デジ特番「そのとき、みんなテレビを見ていた」
7月24日、NHKで放送されていた「そのとき、みんなテレビを見ていた」。様々なドラマや歌番組、バラエティなどアナログ時代に放送されていた番組を振り返る特番だったが、その中で萩本欽一氏、加藤茶氏を交えた対談が興味深かったので覚書として書き留めておく。それを説明するために、後程、過去のエントリーから補足する。萩本欽一編
徳井義実(チュートリアル) コント55号が登場する前と、後ではテレビの笑いがすごく変わったと言われているんですけれども、コント55号以前のテレビの笑いってどういうものだったんですか。萩本欽一 あの、画面に収まる、ですから笑いでいうと、マイクから2メートル四方に、テープが貼って、ここから出ると音も絵もない。
森公美子 は、マイクがスタンドにあって、
萩本 ちょうどこのテーブルぐらいが、ここで2人でやらなきゃ、コントも。いい加減にしろってドツかれてもはみ出ないように耐える。(徳井に)いい加減しろって、押されても耐える。
徳井 そうなんですか。その中でのお笑いしかなかったわけですね。
萩本 だから、ですから、はみ出ないように、
森 私、はみ出てますからね。
山田五郎 もともとはみ出てるから。
萩本 ごめんなさい、もう、不可能だったんです。
徳井 そのころのバラエティーでは、森さんは出られなかった。
森 出られなかったということです。
徳井 そのころ、テレビに出てらっしゃらない頃は、萩本さんは何をやってらっしゃった?
萩本 テレビの仕出しとか、ドラマのちょこっと言って出るじゃないですか。
山田・森 エキストラ的な。
萩本 エキストラ的なじゃない、エキストラ。
森 エキストラですか。
萩本 ズバッと。
山田 もう舞台もすでに、ねぇ。
萩本 浅草で舞台はやっていましたけれど。
徳井 その、エキストラで出ていらっしゃった頃は、何歳くらいですか。
萩本 23,4。
山田 そちらの方、かえって知らなかったですね。舞台やられてたのはよく知ってますけれど。
萩本 あのね、テレビ出てもね、テレビって、わりと意地悪なの。有名人じゃないと顔撮らないの。全部後ろしか。ですから、森さんと映っていると、全部、こっちから(後頭部)映っているの。僕の頭しか映んないの。だから、どこに出てるかってあまりないんですよ、テレビは。
森 確認できないんですね。今、これに出てましたって言っても。
萩本 よかったですね。VTRもないしね。
徳井 舞台で活躍してた頃っていうのは、テレビに出たいなっていう気持ちはあったんですか。
萩本 テレビって、もう憧れだもんね。テレビに出たいって思いましたよ。
徳井 いつもね、テレビのフレームからはみ出すことを、あえて、それを笑いにしてみたりとか、そういうのは常に思ってらした。
萩本 テレビに出て失敗して、テレビに合わないから来るなって言うんで、テレビ19回止めちゃったことがある。それで、合わないと思ってテレビに出られなかった。と思ってテレビに出なかった。
山田 舞台の笑いとテレビの笑いが違ったということですか。
萩本 緊張して、テレビって相当緊張する。セリフが言えなくて。
山田 そっちですか。
萩本 どうも皆さんこんにちはって言えない。どう……(聞き取り不明)
森 でも、それって、後々、すごく面白くなったんじゃなかったんですか。
萩本 でも、ダメダメ、カット、カット。
徳井 それで19回NG出したってことですか。
萩本 もう不可能だっていうんで、それで、テレビに55号で出た時に、また怒られるのが嫌だから、テレビに映るの怒られるからって、2メートル四方しか、映んないよといったんで、まあ、かたき討ちだ、2メートル以内に入るのよそうって端っこでやってたんです。
徳井 すごいですね。
萩本 不思議だね、テレビって、そうしたら画面から飛び出す男たち。だから、狙ったんじゃなくて、テレビはいいやってあきらめていたら。
徳井 開き直りから。
萩本 テレビは僕は不可能だったと思ったとこから、テレビは好まれたとわかる、テレビって、だから、考えるとだめなのね。策がない方がテレビっていいんだね。
徳井 深いですけれども。萩本さん、どういう風にテレビの笑いを変えてきたのか、今から34年前の1977年のコント55号さんのコント、ご覧下さい。
<VTR>「机」
徳井 恥ずかしそうにしていらしたけれど。
萩本 自分のテレビ、恥かしいから見ないです。
徳井 ご覧ならないんですか。
萩本 見るとね。顔緊張してこのへん固くなる。見ないようにね。
徳井 今までだったら、ドタバタドタバタ、あっちこっち走り回るっていうのは、考えられなかったでしょう。
萩本 そうですね。だから、ダメって言われたことをやって、怒られる時もあるけど、ダメはね、それがいいんだよという人が一人いれば、それがテレビの進歩になっていくのね。10人のうちたった一人、動いて結構という人がいたって、その人に出会うということだもの。いいネタを作れってことじゃなくて、その人を理解してくれる人に会うっていう。
山田 例えば、時代とかに合ったんでしょうね。テレビの技術っていうのが、生放送で固定でカメラしかできなかった時から、振れるようになっていったということもあるし、時代のテンポが55号のテンポにぴったり合ったというのも、あるんじゃないですかね。
萩本 大変、いい解説してくれますね。私でも、なかなか説明できないところがあるんですよね。
山田 申し訳ありませんでした。出過ぎたことを申しまして。
萩本 ありがたいですよ、本当に。
徳井 僕らのイメージからしたら、総て計算ずくですべて狙ってびしっとはまっていったんやって。
萩本 あれは、55号の第一作目なんです。それで、3日前にあまり受けないもんですから、役を変えようと変えて、あんまり受けないから、飛ぶしかないと思って、とにかく命がけでやってる姿があれだったんです。あのコントが。で、飛んじゃったのね。
徳井 二郎さんがもともと袖から出てきて。
萩本 二郎さんが突っ込みの時は、飛んでいなかったの。僕と変わったんで、なんかやんなくちゃいけないと思って、飛んでっちゃった。
徳井 国民はみんな、あんな飛んで突っ込んでボケるとか、見たことないですもの。
森 今までなかったですものね。それがね。
萩本 苦労が、どっかに運が出んだね。その苦労があそこでふっと出たんでしょう。
徳井 浅草で、舞台の時は、ああいう感じで。
萩本 二郎さんが突っ込んでいた。お前、何やってんだ。
森 それを反対にして、テレビでは。すごかったですね。野球拳とか小学校で禁止になっていました。
山田 全国の小学校で。
萩本 それを見てたのよ、気をつけなさいよ。
森 本当に。見てました。
徳井 ピンマイクとか、そんなのも萩本さんの、こうしたらどうみたいなことで生まれたということを聞きましたけど。
萩本 いやいや、使っていない。僕たち、こうやってぶら下げていたんだ、太いのをね。だからさ、ニューヨークに行ったら、ちっちゃいの使ってた。これ(ピンマイク)使ってた。どこの国のもんだって言ったら、馬鹿言うんじゃない、お前んとこのものだ。
山田 日本製だ。
萩本 自分とこのものをアメリカで使っている。ちょっと、音が悪かったらしい。だから、音が悪いから使わないんじゃなくて、音が悪いから使うんじゃないの。使ってれば、作っている人が音悪いやって直すもの。だから、これはつけてればいいんじゃないの。
徳井 技術屋さんを動かすという。
萩本 そうそう。ああ、使っているよ、まずいよ、これって。どんどん進歩する。だから、デジタルとおんなじよ。なんか進歩するのに、変えるとまた新しくなる。
森 なるほど。
徳井 だからそれもやっぱり、コント55号さんの動きのある笑いがあるからピンマイクが必要であり、
山田 ピンマイクが合ったんだよね。
森 カメラワークもね。
萩本 つけてからね、あっという間でしたよ。音が良くなった。
徳井 そうですか。
萩本 技術の人ってすごい進歩しているんで。
徳井 コント55号で一斉風靡した欽ちゃんが新しいテレビの笑いを生み出すんです。そして出演する視聴率の合計が100%を超えたということで、「視聴率100%男」と言われている時代がありました。
<VTR>欽どこ
徳井 このぐらいになると、僕もガッツリ見ていた世代。
森 私は、これ見に行ってたんですよ。あまり、いい笑い声なんで、来週も来ないって言われて。本当に、はがきで応募して、当選したんです。本当なんです。
徳井 まさにこういうセット(テレビのある茶の間)ですもんね。
森 とんとんと、面白くて。テレビに映っているのは、ごく一部だったということを初めて知ったんですよ。本当に、他が面白かったのを覚えています。ディレクターの人が出てきたり、いろんなことをシチュエーションで笑わしてくれるんですよ、欽ちゃんが。お客さんを沸かせてくれて。そこが出てないのが残念だねって、収録の本番のあれを見てね。言ったのを覚えています。
徳井 このへんから萩本さんは素人さんを使った笑いとか、
山田 たくさん作りましたよね。(今までは)そんなことは考えられなかったと思います。どういう視点で素人さんを使ったらいいんじゃないかと思ったんです?
萩本 だって素人さんはうまいです。
徳井 えっ。
萩本 芸人て、中途半端に覚えるとわざとらしいのよ。笑いってね、わざとらしくないっていうのがいいのね。素人の人って、わざとらしいというのないですよ。
徳井 確かに、耳が痛いです。
萩本 でしょ。だからね、いつもね、感心して、あんな風に芸ってできないかなって、考えるより、出ていただこうって。
徳井 周りでも、焦ったでしょうね。欽ちゃんと、いくら何でも素人はまずいよみたいなことはならなかったんですか。
萩本 あの、素人の人を素人のまんま出すと、素人になるんですけれど、でも素人でも、見栄晴でもあれでも、結構10回から20回やってますから。
森 リハーサルを。
萩本 リハーサルっていうか、まず20回やるだけなんだけどね。だから、あそこを、ここを変えてというのは言わない。ただ、失礼だから、あの素人のまんま出るのは失礼だから、20回はやりましょうって、ただ20回やるだけなんだけど。
山田 あんまり、うまくなじんでしまっても困るわけですよね。
萩本 あの、素人って、なんか言うとどんどんうまくなるんですけれど、何も言わなければずーっとそのまんまです。
全員(笑い)
徳井 見栄晴さん、困ってるでしょうね。なんで、何にも教えてくれないんだと。
萩本 見栄晴も40過ぎてるけど、いまだに変化ないです。
萩本以外(笑い)
萩本 笑い事じゃない。
徳井 萩本さんの教えを守っているというか、
萩本 新鮮であるということが大事なんですよ、テレビって。
森 その通りですね。気仙沼ちゃん、出てきたときは、私たち、宮城県民が受けましたもん。宮城県民が、気仙沼ちゃんだーって。
萩本 だけど、気仙沼ちゃん、僕が笑っちゃったもんね。なんかね、普通の人に教えられたっていうかね。
徳井 確かに、プロが、時としてまったくかなわないですよね。素人さんの天然ボケというか、なんか計算できないところには。
山田 視聴率100%男と言われまして、何本もレギュラー持っていらして、寝る時間なんかもなかったんじゃないですか。
萩本 だから、逆なんですよ。よく聞かれるんだけど、よく寝てたんです。で、一番幸せで楽しい時。
山田 なんで寝れたんですか。
萩本 きちんと時間が、10時に起きて、夜中の3時に寝るという、もーずーっと変わりなくですから。それと、他のテレビ局で打ち合わせして、あっこれダメかという時、そのネタすぐ隣のテレビ局で使うから、
山田 効率がいい。
萩本 考えたものを捨てるものがないって一番幸せな時でしょ。ネタなんて、たくさん考えると、だいたい7割ぐらい捨てない?
徳井 そうです。ああ、これいかんこれいかんて。
萩本 捨てなくて。だから、こっちで出来ないっていうときは、隣の局でやってますから。
徳井 エコな感じですね。それはリサイクルっていう。
萩本 わらべっていうのは、隣の局のオーディションで決定して、最終的にテレビの隣の局でやっていますから。
徳井 数々の革命起こしてきた欽ちゃんですけれど、最後に漠然としたことを聞きたいんですけれど、萩本さんにとってテレビってなんですか?
萩本 テレビはね、ルービックキューブ。おもちゃのようで、正解がなかなか出ずらい。触っていれば触っているほど飽きない。でも、最終的に答えがちゃんとあるというのはわかるんだけどなかなか答えに近よらない。
徳井 偶然にそろってしまうこともある。