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追悼・小松左京(現実がひっくり返る年・5)

作家の小松左京氏が亡くなった。

壮大なスケールのSF小説「日本沈没」などで知られる作家の小松左京さんが、26日に肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去したことが28日、分かった。80歳だった。関係者によると、今月8日から同病院に入院しており、最期は家族にみとられて安らかに逝ったという。小松さんは創作活動の傍ら、旺盛な好奇心と博識で、未来学・文明論にも積極的に発言。無邪気で飾らぬ人柄で、座談やテレビでも活躍した。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。

日本SF界の巨星が逝った。小松左京事務所の乙部順子社長によると、小松さんは発熱症状があり、今月8日に入院。しばらく症状は安定していたが、26日になって容体が急変し、同日午後4時36分、帰らぬ人となった。亡くなる直前には、東日本大震災について「この危機は乗り越えられる。日本は必ずユートピアを実現できる。日本と日本人を信じている」と語るなど、最期まで日本の行く末を気にしていたという。(日刊スポーツ「日本沈没」SF作家小松左京氏死去)

僕は、「日本沈没」について、何回かエントリーで引用した。この「日本沈没」の発想について、「日本沈没 第二部」(小学館)のあとがきで小松左京氏はこう書いている。
そもそも昭和48年(1973年)に出版された『日本沈没』第一部を書きはじめたのは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年だった。悲惨な敗戦から20年もたっていないのに、高度成長で浮かれていた日本に対して、このままでいいのか、ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。そこで、「国」を失ったかもしれない日本人を、「フィクション」の中でそのような危機にもう一度直面させてみよう。そして、日本人とは何か、日本とはどんな国なのかを、じっくりと考えてみよう、という思いで、『日本沈没』を書きはじめたのである。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより)(ケータイホームレス・さまよえる日本人論(2) )
このあとがきの後半には、
したがって、国を失った日本人が難民として世界中に漂流していくことが主題だったので、当初はタイトルも「日本漂流」とつけていた。しかし、日本を沈没させるまでに9年間もかかり、出版社がこれ以上待てない、ということで、「沈没」で終わってしまった。そして、「第一部 完」としたのである。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより)(想定外の事態(現実がひっくり返る年・2) )
これは、ドナルド・キーン氏が「日本人の謎」とした「極端から極端へ」と重なる。キーン氏は、高見順の日記の
よくもいけしゃあしゃあとこんなことがいえたものだ。そういう憤怒である。論旨を間違えていると思うのではない。全く正しい。その通りだ。だが如何にも正しいことを、悲しみもなく反省もなく、無表情に無節操に言ってのけているということに無性に腹が立つのである。常に、その時期には正しいことを、へらへらといってのける。その機械性、無人格性がたまらない。ほんの一か月前は、戦争のための芸術だ科学だ、戦争一本槍だと怒号していた同じ新聞が、口を拭ってケロリとして、芸術こそ科学こそ大切だとぬかす、その恥知らずの「指導」面がムカムカする。莫迦にするなといいたいのである。戦争に敗けたから今度は芸術を「庇護」するというのか。さような「庇護」はまっぴら御免だ。よけいな干渉をして貰いたくない。さんざ干渉圧迫をして来たくせに、なんということだ。非道な干渉圧迫、誤った統制指導の故に、今日の敗戦ということになったのだ。その自己反省は棚に挙げて、またもや厚顔無恥な指導面だ。いい加減にしろ! (ドナルド・キーン著/角地幸男訳「日本人の戦争 作家の日記を読む」文藝春秋)(ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2) )
という言葉を取り上げているが、これはメディアや政府の無節操な転向ばかりではない。「日本沈没」で取り上げられたのは、日本民族全体の無節操な転向である。もともと、日本人全体のこの無節操な転向は、現在の原発問題まで続いている。なぜ、こんなに日本民族は無節操な転向を繰り返すのか。

ドナルド・キーン氏が、外から見た日本人の「無節操な転向」への疑問と、日本人の内から見た小松左京氏の「無節操な転向」への疑問。これを突き止めていくと、図らずもガラパゴス問題に突き当たる。僕は、[お題]ガラパゴスかパラダイス鎖国かで、僕はこう書いた。

ケータイ自体(モノ)は進んでいるのに、経営や海外への売り込み(人)がガラパゴス化しているという認識である。モノの問題が、いつの間にか人の問題になり、ミスマッチは解消されない。そもそも、人とモノを一緒くたにして「ガラパゴス」論を論じるのは無理があるのではないか。
そこで、パラダイス鎖国という言葉を取り上げた。この言葉を発明した海部美知氏は、補足としてこう書いている。
パラダイス 鎖国 とは、「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」である。昨年の夏、日本に行った時に感じたことなのだが、第一回の記事に書いたように、アメリカは世界一の 鎖国 パラダイスである。

悔しいことに、アメリカはそれでもコトが済んでしまう。このところの住宅バブルもあって、アメリカの消費額は全世界の消費の 3 分の一だと 日経新聞 に書いてあった。たくさん買うお客は強い。それに、アメリカには移民だの永住外国人だのがたくさんいて、それらの国とのつなぎ役の専門家集団をかかえているようなものだ。 9/11 まで、アメリカがテロの標的にならなかったのはそのためもある。

しかし、日本はそうはいかない。かといって、一般の日本人が住みやすい日本を離れたくないのは無理もないことだし、一般人のパラダイス 鎖国 状況は仕方ないと思っている。 (パラダイス鎖国に関する補足)(日本流が通用しない原因は「パラダイス鎖国」 )

いわば、小松左京氏の「日本沈没」とは、「自国が住みやすくなりすぎ、外国のことに興味を持つ必要がなくなってしまった状態」を強制的に流民化させる実験小説であった。海外で失敗しても、日本に帰れば温かく迎えてくれるという甘えを断ち切ろうというのである。無節操に転向を繰り返していても、日本本土に戻れば、やり直せるという甘えである。だが、映画「日本沈没」ではそこまで描けず、第二部(小説)が完成した2006年の映画では、結局日本は沈没しなかった。

現実的に「日本沈没」が起こらないにしろ、今年は、過去の想定したことのほとんどが逆転する時代になる。しかも、この振動は世界中に引き起こされる年なのだ。

「いわばこれは、日本民族が、否応なしにおとなにならなければならないチャンスかもしれん……。これからはな……帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧で何もわからん民族と立ちあって……外の世界に呑み込まれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。……それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の“おとな民族”に大きく育っていけるか……日本民族の血と、言葉や風俗や習慣はのこっており、また、どこかに小さな“国”ぐらいつくるじゃろうが……辛酸にうちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、失われたものに対する郷愁におぼれたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の“冷たさ”に対する愚癡や呪詛ばかり次の世代に残す、つまらん民族になりさがるか……これからが賭けじゃな……。」(小松左京著「日本沈没・下」光文社文庫)([お題]ガラパゴスかパラダイス鎖国か)
この年に小松左京氏が亡くなったのも大きな意味があるに違いない。過去の栄光など振り捨てて、一人一人が前を向いて歩きはじめる年なのだ。
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