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素人だから言えることもある

日本人は考えるようになったのか

「当事者性vsないものねだり論者」

そもそも、僕は現代日本人の特徴を「三ない主義」ととらえている。詳しくは、現代日本人の精神の貧困「三ない主義」で書いたように、「対話がない」「考えない」「希望がない」のことだ。特に、「考えない人」というのは深刻で、好況の時は、先輩の行動を真似していれば、自分で考えずに行動できた。不況になると、総てのモデルケースは崩壊し、独自の生き方を考えていかなければならない。だが、考える習慣のない人は、人や本に頼ったりする。そして、うまくいかないと、その頼った人や本のせいにするのである。

佐々木俊尚氏は、8月29日のツィートをまとめた「当事者性vsないものねだり論者」という新しい対立軸というトゥギャッターにおいて、

3.11後の基本的な認識として、フラット化の次にやってきたマスメディアvsネットという対立軸は昇華されて、いま当事者性の問題がメディアの立ち位置の問題として浮上してきてるということです。

当事者性の立ち位置という観点においては、マスメディアもそれを実現してるメディアとそうでないメディアがあり、同様にネットでも当事者性を持つ人とそうでない人がいる。その意味でマスメディアvsネットという対立軸は融解しつつある。

そしてこの当事者性の有無という対立軸と、個人を中心としたソーシャルメディアの浸透拡散というフェーズを重ね合わせると、そこには情報の不均衡(不平等)という問題が浮上せざるを得なくなってくる。

そしてこの当事者性の有無に依拠した情報の不均衡(不平等)を許容するかどうかが、いまの非常に重要な議論のポイントとなってきていると私は思っています。

そして私の現時点での立ち位置は、この不均衡(不平等)は受け入れざるを得ないということ。

と書かれている。つまり、マスコミが悪い、ネットが良いという単純化するのではなくて、そこに当事者性の有無が問題になるというのである。もちろん、情報発信の側の問題もあるが、受け取る読者の側の問題も大きいような気がする。僕は、その問題を検証なきメディアは価値がない(マスメディアは人から腐る・2)
そもそも議論をする人は、その議論の正当性を示す根拠を示さなければならぬ。ところが、最低限のリンク先も読まず、どこからか流れてきた「、と。」抜きの発言を誤解して反論するのは検証が足りないというしかない。インターネットが普及して、マスメディアに登場する文言でもその根拠を探ることが容易になっている。少なくとも、ツィッターをする人なら、インターネットで最低限の検証をしてから発言するべきなのだ。
と論じたわけだが、さらに自ら、ニュースソースを狭めるべきではないでも、
どんな本でも、新聞・ネットでも、「これ面白いなあ」と思った文章がある。だが、参考書を面白く読もうとしない人には、その参考書はわからないだろう。自ら、面白いと思って読まなければ、その面白さが理解できないのだ。必要なのは、読者の学習意欲である。それさえあれば、地デジになっても、ネットでも新聞でもその価値は変わらない。
と書いた理由でもある。結局は、その情報を有意義に受け取るかどうかを決めるのは、読者側の問題である。それを理解しない読者まで情報発信者が救うゆわれはない。つまり、学ぼうとしない、言い換えれば当事者の気持ちになって考えようとしない人間はそれについて発言しても無視されるだけである。

「不安は増えても、不服を言わず」――震災後、そんな人が増えている

Business media 誠で博報堂生活総合研究所の調査が載っていた。
同研究所の調査によると、震災後の2011年に「世の中に気がかりなこと・不安なことが多い」(75.2%)と感じている人が急増。逆に「世の中にいやなこと・腹の立つことが多い」(65.9%)という人が減り、この2つの項目が調査開始以来初めて逆転した。回答者からは「不安だが腹が据わった」「文句を言わずに生活する」といった声があった。「不安は増えたが、不服を言わず、現状をたくましく受け入れようとする生活者の姿がうかがえた」(博報堂生活総合研究所)としている。(「不安は増えても、不服を言わず」――震災後、そんな人が増えている (1/2) )
これは2つのとらえ方がある。「世の中に気がかりなこと・不安なことが多い」けれど腹を立てるのはやめた。つまり、腹を立ててもしょうがないので文句を言わない。あきらめて我慢しようという考え方と、その原因を詳しく知って、次のチャンスに生かそうと考えるかだ。不満を抑えるか、前向きにとらえるかで大きく意味が変わる。その点で、
震災後、自己責任に対する意識も高まっているようだ。例えば「銀行や保険の金融商品で損をしても、自分の責任だと思う」(39.8%)、「地球環境の破壊につながるような商品が売れてしまうのは、買う方に責任があると思う」(38.5%)と答えた人が増え、いずれも過去最高となった。「回答者からは『自分で情報を収集』『自分で調べる』など、自分基準で情報を選ぶといった答えが目立った。人々は自分の基準と判断を信じて動き始めているようだ」(博報堂生活総合研究所)(博報堂生活総合研究所)としている。(「不安は増えても、不服を言わず」――震災後、そんな人が増えている (2/2) )
その点で、インターネットを使って自分の頭で調べようというのは良い傾向だ。

当事者の我慢に頼ってはいけない

だが、自分の頭で調べるとしても、当事者ではないので限界がある。同じようにしろというのは、冒頭の佐々木氏のツィートにもあるように、乱暴な議論で、自ら少しずつ学ぶしかない。現在、koba_bさんが日経ビジネスオンラインの池上彰の「学問のススメ」の加藤陽子氏の対談について、引用されているが、最新のなぜ日本人はリスクマネジメントができないのか?で、今回のエントリーの一つのヒントがあった。
池上:日本人は国民一人ひとりが我慢してしまう。我慢しすぎてしまう傾向があります。すでに民主主義国家になった今でも。世界中から、地震で被災された人たちの礼儀正しさ、我慢強さが驚嘆され、賞賛されました。でも、政府や東電は、こうした日本国民の我慢強さに寄りかかって、迅速な対応を怠ったきらいがあります。

東電原発事故でも明らかになりましたが、日本人はこういった危機の際、つまりリスクマネジメントを実行しなければならないとき、良くも悪くも、職人頼み、ヒーロー頼みのところがありますね。福島原発の事故の最前線に立って陣頭指揮を執った吉田所長もそうですし、3号機の給水活動にあたった東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方たちもそうです。そしてこのレスキュー隊の方が、奥さんから「日本の救世主になって」と言われた、という逸話が美談として盛んに取り上げられた。すごい、かっこいい、と。でも、そこで終わってしまう。確かにかっこいいのですが、論点がずれてしまった。

加藤:悲惨に中で頑張るヒーローというのは描きやすい絵ですが、その背景部分、「悲惨さ」を過大に描く競争になってしまっては困ると思うのです。

池上:マスメディアにも責任がありますね。彼らの行動を英雄としてただ称えるだけ。あれでは、戦時中の翼賛報道と変わりません。

これは、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1)抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) で日本人の美徳とされる点である。だが、このような美徳は、結局、個人の我慢強さに収れんされ、そんな我慢をしなくてもよい世の中に変えるべき努力を怠ってきたのではないか。ここに必要なのは、被災者との情報の共有である。しかし、それがないので、震災のとき、戦争中と比較する「ないものねだり論者」が登場するのだ。ところで、加藤陽子氏の次の発言は一考に値する。
加藤:欧米では、本当にリスクのあるシステムは、フールプルーフとフェイルセーフ、という発想を織り込んで設計する、と聞きます。フールプルーフとは「誰が扱っても大丈夫」、フェイルセーフとは「間違えても大丈夫」、という意味。人間は必ず間違える、という前提条件に立ったうえで、リスクを回避できるようにする、というのが基本的な発想だと思います。むちろん、大部分の日本の技術もそうなっていたはずなのですが。

池上:今回の原発事故の対応と原発施設のリカバリーの難航ぶりをみると、人的な面でのフールプルーフの思想も、技術面でのフェイルセーフの思想も、反映されていなかったことがはっきりしますね。

加藤:全電源喪失という危機的事態に至った時、ベントをおこなって圧力を逃がすバルブがあった。このバルブ、手動で開けられなければおかしいですね。しかし、なんと電動で開けるように設定されていたといいます。このバルブ、どの位の大きさでどの位の握力で開けられるのか、私は残念ながら知らないのですが、もし非常な力がなければ開かないような設定だとすれば恐いですね。

池上:それでもこれまでなんとかやってきたのは、日本では、現場のプロフェッショナルの腕が良く、しかも真面目だったからですね。ただ、現場に頼りきりになりやすいというのは、加藤先生が指摘されたフールプルーフやフェイルセーフの思想と正反対です。担ってくれるプロがいなくなったら、手の施しようがなくなってしまう。 (なぜ日本人はリスクマネジメントができないのか?)

現場の職人が知識を独占すると、扉ひとつあけるのにも、その職人が来なければ開かなくなる。そうなると非常時に全く対応できない。これは誰のための実用性かという発想がないからだ。プロにお任せの部分と素人でも学べば十分に役に立つという部分がきちんとシステムとして成り立っていなければ、人々は考える必要性を感じまい。
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