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素人だから言えることもある

テレビメモ「怪獣」と「我慢」(3)雑感・「我慢」編

「我慢」は日本人の美徳か

NHKで「セカイでニホンGO!」という番組の、「ニホンの大切なことは怪獣から教わった」で放送されたもう一つのことは、「我慢」という言葉である。取り上げられたニューヨーク・タイムズの記事では、
1995年の大地震の時、神戸港は壊滅的被害を受け、街中の店の窓ガラスは割れてしまっていた。しかし、驚くことに、略奪や救援物資を奪い合う光景はまったく見なかった。ニホン人は忍耐強く、冷静で整然としていた。そんなニホン人の姿を象徴するのが「我慢」という言葉である。英語では「我慢」と同じ意味の言葉はない。その根底には自然災害は、日本の「運命の一部」であるという考えがある。つまり気長にみんなで助け合うことは日本人の魂に染みついているのだ。(テレビメモ「怪獣」と「我慢」)
そういえば、マイケル・サンデル氏の究極の選択でもニューヨーク・タイムズが取り上げられていた。
例えば、これは、ニューヨーク・タイムズの記事だが、「日本の混乱の中での秩序と礼節。悲劇に直面しての冷静さと自己犠牲、静かな勇敢さ。これらは、まるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」こう書かれている。(抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) )
「セカイでニホンGO!」の放送で、「我慢」に似た語の例として
Gaman≠perseverance?
Gaman≠endurance?
Gaman≠patience? (テレビメモ「怪獣」と「我慢」)
と表示されていた。そこで、それぞれを調べてみる。「perseverance」を英辞郎で調べると、
• perseverance
【名】
1. 〔称賛すべき〕忍耐(力)、粘り強さ、根気(強さ)◆【同】persistence
・Perseverance wins in the end. ; Perseverance brings success. : 最後には忍耐が勝つ。/忍耐が成功をもたらす。/石の上にも3年。
2. 《キリスト教》〔カルビン派の〕堅忍◆【参考】perseverance of the saints
(http://eow.alc.co.jp/perseverance/UTF-8/?ref=sa)
「endurance」は、
• endurance
【名】
1. 耐久性、耐久力、持久力、忍耐(力)、我慢(強さ)
2. 持続(時間)、存続(期間)
3. 《航空》航続時間
(http://eow.alc.co.jp/endurance/UTF-8/)
「patience」は、
• patience
【名】
1. 忍耐、我慢、辛抱強さ、根気
・Even the patience of a saint has limits. : 聖人の忍耐にさえ限度はある。/仏の顔も三度。
・Have a little more patience. : もう少しの辛抱です。/もうちょっと辛抱しなさい。
・I lost patience with his selfishness. : 彼のわがままにはもうこれ以上我慢できない。
・Patience is a virtue. : 《諺》忍耐は美徳である。/石の上にも三年。
2. 〈英〉ソリティア◆一人で遊ぶトランプゲーム。◆【参考】solitaire
(http://eow.alc.co.jp/patience/UTF-8/)
正直言って、違いがわからない。ただ、goo辞書に類語として
[類語]patience困難に対処するときの冷静さと寛容などの心の持ち方を強調. endurance逆境に耐え抜く精神的な持続力と身体的な耐久力を強調. forbearance怒りや憤りにまかせた言動を慎む自制心を強調. fortitude苦難を乗り越える勇気と不動の精神力を強調.( patience[pa・tience] )
とあったり、Weblioで「がまん」を引くと、
がまん 我慢
〈忍耐〉endurance; patience
〈頑張り〉perseverance (がまん)
とあり、ニュアンス的に微妙に違いがあるのが分かるだけである。そこで、「我慢」について調べてみる。語源由来辞典にはこうある。
我慢【意味】我慢とは、堪え忍ぶこと。辛抱すること。
【我慢の語源・由来】
我慢は、仏教語で七慢のひとつで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」である。
その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義語であった。
そこから意味が転じ、我慢には「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになった。さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、近世後期ごろから、現在使われている我慢の意味となった
我慢の元となる「七慢」は、「慢(まん)」「過慢(かまん)」「慢過慢(まんかまん)」「増上慢(ぞうじょうまん)」「我慢(がまん)」「卑慢(ひまん)」「邪慢(じゃまん)」で、それぞれの意味は以下の通りだが、文献によって解釈が異なる部分もある。
慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方が上だと思うこと。
増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと
卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。(我慢)
我慢の本来の意味は、決して美徳なんかじゃなかった。外から見える姿が、「人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿」に似ていることから外国人から見ると美徳に見えた。また、この文章の中の「我を張る」という言葉も気になった。「我を張る」が「頑張る」になったのではないか。みんな「頑張れ」と叫ぶが、結局、「我慢しろ」と聞こえてならないからだ。そこでこれも語源由来辞典で調べてみた。
頑張る【意味】頑張るとは、困難に耐え、努力してやり通すこと。
【頑張るの語源・由来】
頑張るは、江戸時代から見られる語で、漢字は当て字である。
頑張るの語源は、二通りの説がある。
ひとつは「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説で、「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所から動かない」という意味に転じ、さらに転じて現在の意味になったとする説。
もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の「我を張る(がをはる)」が転じ、「頑張る」になったとする説である
眼張る」の説が有力とされるが、東北地方の方言「けっぱる」は「気張る」から、「じょっぱり」は「情張り」からであるため、「我を張る」の説が間違いとは断定できない。(頑張る)
さて「我慢」には問題かある。もともとが自分に執着することなので、総てが内向きになり、外に発信できない。イギリスのエコノミストは、
日本の冷静さと忍耐の精神である「我慢」には懸念する面もある。何も言わずに我慢する期間が長引くほど、復興へ向かって行動する気力がなくなるのではないか? (テレビメモ「怪獣」と「我慢」)
ニューヨーク・タイムズでも
ニホン人はもう少し不平を言った方がいいかもしれない。そうすれば、日本の政治家たちは、もっと敏感に反応するようになるだろう。(テレビメモ「怪獣」と「我慢」)

「我慢」と「空気」

ところで、ニューヨーク・タイムズで外国人と日本人の考え方の違いとして、
アメリカ人は「自然」は“立ち向かうもの”と考えている。しかしニホン人は「人間」は“自然の一部”と考える。“nature”を表す「自然」という言葉は、ニホンではわずか100年前にできたばかりだ。なぜならニホン人は伝統的に「自然」というものを言葉に表す必要がなかったからだ。(テレビメモ「怪獣」と「我慢」)
僕は、この「自然」を「空気」と読み替えてもいいかと思う。私たち日本人は、会社でも学校でも、地域でもそのコミュニティの空気を読むことを強いられてきた。そして、自分のその空気の中の立ち位置を常に気にしてきたのだ。今回の震災でも、
田原: 例えば、炊き出しをやると公平にいかない平等にいかない、だから、やめる。僕の行った避難所でもお饅頭とか何かが配られる。人数に達しないと、配らないでやめちゃうって言うんですよ。
佐々木: でもそれは批判は出来ない。
NPOの『日本ユニバ』って、ずっと被災地支援やっているところを継続的に取材しているんですが、そこの人に聞くと、例えば50人くらいの避難所のコミュニティがあって、物が足りないけど仲良くしている。そこに30個きちゃうと、それでコミュニティが崩れてしまう。結束心が崩れてしまって、あの人は貰っているのに私は貰っていないとかのトラブルが起きてしまう。
そんなことが起きるくらいだったら、足りなくても公平性を保ってくれたほうがいいと思う面はあるようです。(震災が露呈した情報のミスマッチと日本人の疎外感)
とか、
高橋ジョージ ちょっと、いいですか。今回、パニックが起こらなかったということは、僕は東北被災地の出身ですけれども、本当に、いわゆるコミュニティって今、博士、おっしゃいましたけど、まず、日本人の考え方は、家族、これが一番ちっちゃなコミュニティです。これが一点あります。東北の方々の考え方は、「私たちよりもっと大変な人たちがいる」ということで、我慢しています。我慢強いんです。非常に、考え方が。なので、その横を見ればもっと大変な人たちがいる中で、自分たちだけがどうだっていうパニックが起こらなかったというのが現実です。それは言えます。(抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) )
自我の欲求よりも、コミュニティのバランスを気にする。これが空気を読むということである。これは、ドナルド・キーン氏の疑問に思っていた謎の一つ、
私には、理解できなかった。なぜ日本兵は、最後の手榴弾をアメリカ兵に向かって投げずに、自分を殺すことに使ったのだろうか。(ドナルド・キーン著/角地幸男訳「私と20世紀のクロニクル」中央公論社)( ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2))
「生きて虜囚の辱めを受けず」という言葉があるが、兵士たちが、捕虜となって生き延びることよりも、自害を選ぶのは、決して捕虜の待遇が嫌だったからではない。生き延びて祖国に帰った時、その空気の中に自分が立ち入られない環境を恐れたからである。あれほど軍国主義だった日本が一晩で変わってしまったのも同様である。「空気が変わったから」、それしかない。この空気の本質が理解的できない限り、外国人には日本の「我慢」は理解できないだろう。

「我慢」と「辛抱」

パックンの言葉が気になった。
パックン 辛抱と我慢が微妙に違うと思いますね。辛抱は乗り越えるものですね。我慢は解決しないもの。
いとう 閉じ込めちゃう。
パックン だから辛抱して、つらい時期を乗り越えて再浮上する…(テレビメモ「怪獣」と「我慢」)
我慢と辛抱をわかりやすく分けているブログがあった。
A氏の意見
「我慢」とは、精神的肉体的に苦しくて訴えたい気持ちを発散させないで抑えること、という意。「辛抱」とは、環境の苦しさに押し流されないで、向上心を持ち続けること、という意。

昨年の暮れあたりから、我慢と辛抱の違いについて考えていたが、我慢の先には 不満 が、辛抱の先には 希望 があるのでは・・・と思えてきた。

B氏の意見
我慢と辛抱の違いがわかりますか?の質問に対して・・・我慢というのは、耐え忍ぶことですが、自己にとらわれ、そのことに対して 不満の気持ちがある状態、辛抱というのも、辛さ・苦しさに耐えるのですが、その気持ちの中に 不満がない状態 だと私は理解しています。つまり、耐える、ということは、同じなのですが、そのときの心の状態が違っているのです。
我慢はいつか爆発する恐れがあります。我慢しているものを吐き出すために、モノにあたったり、虐待やいじめなど抵抗できない相手を攻撃する形で処理しようと、してしまったりといった問題が起こることもあります。

我慢しているものを吐き出すと一時的にはすっきりしますが、根本的な問題は解決されていないので、再び溜め込んで爆発せざるを得なくなってしまい、結局それは、自分自身をも傷つける行為になってしまうことになります。

でも、辛抱はいつか解決できる時期が訪れるのではないかと私は思っています。
私が尊敬する人の言葉に「辛抱はしても 我慢はするな」(我慢と辛抱)


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