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素人だから言えることもある

文明の進化と人間の退化

前項「宇宙戦争」と「日本の自殺」で考えたのは、19世紀に書かれた「宇宙戦争」よりも、現代人は文明の進化によって、より楽に生きやすくなったかという疑問である。むしろ、文明が進化すればするほど、ますます人間が退化しているという現実があるのではないか。

例えば、日本は毎年3万人以上の自殺者がある。それはなぜか。僕は、ショートカットな人生、ショートカットな社会でこんな言葉を引用している。

貧困感覚とは実に相対的なのである。これを証明してくれるかのように、ある社会学者が実に的確な分析をしている。つまり、「生きることに最大の関心を向ける、経済的困窮度があまりに高い国では自殺率は低い。経済発展途上の、チャンスに満ちた国も然り。経済的豊かさを一度体験した後、深刻な不況や失業の渦中に身を投じ、富裕層の生活を見ることを通じて、『自分は疎外されたと絶望感を抱く』人が増えると自殺率は急上昇する」と記している。(なぜ自殺者は増え続けるのか━雇用不安と窮乏感の病理 14年後の日本考(2))
つまり、日本中が貧困であった時代は、自殺者は少なかった。人と同じように、大学に行き、会社に入ったのに、ある者は裕福に、ある者は貧困に陥る。そこで疎外感が生じるのである。他国と比較して日本人全体の生活水準がどれほど高いかは関係ない。自分の周りのほんの小さな社会の中で、疎外感を抱くと、何も見えなくなり、引きこもったり、自殺したりする。

また、600万人の社内失業者でも、

どれだけ大事な仕事を効率良くやっているかは本人にしかわからない。外見では他人の仕事ぶりが分かりにくい。じっとパソコンの画面を見つめている人は、真剣に問題を考えている場合もあれば、表の罫線の消し方がわからなくて悩んでいる場合もある。真面目な顔で腕組みしている人は、大事な問題を考えている場合もあれば、前日の二日酔いで仕事に集中できない場合もある。忙しくキーボードを叩いている人は、重要な企画書を作っている場合もあれば、同僚に飲み会の連絡メールを流している場合もある。

(中略)

昔であれば、働いている様子を見れば大体その社員の仕事ぶりを推測できた。手際が良いとか、困っているとか、トラブルに巻き込まれているとか、それなりに周りの人が感じ取ることができた。近くにいる人ほどその社員の人柄や能力もわかりやすかった。昔の職場では複数の社員が仕事を分担していたので、いい意味でも悪い意味でもお互いに干渉しなければならなかったからだ。(内田研二『成果主義と人事評価』講談社現代新書)(増田不三雄著「社内失業 企業に捨てられた正社員」146ページ/双葉新書)

パソコンは、文明の進化の象徴である。パソコンができたからこそ、仕事が進むのだが、それがかえって社員を孤独にする。また、「失敗学」の畑村洋太郎教授の言葉を引用した「まじめに働く時代は終わったのか」では、
——コミュニケーションがおかしくなっている原因は何でしょうか。

畑村 身近な例だと、正社員の代わりに派遣社員やパートタイマーを雇用すること、仕事のある部分を外注に出すこと、そして企業を分社化することなどです。これらは一見コストダウンのように見えますが、その金額に見合うよりももっと大きな“潜在的な危険=リスク”を金額に換算しないから、コストダウンのように見えているだけです。

派遣社員やパートタイマー、外注が増えれば増えるほど、企業のトップやプロジェクトのリーダーが考えていることや決めたこと、他社や消費者が考えていることなどが伝わらなくなります。上司が部下に伝えたつもりでも、何段階かいくと変質したり消えてしまったりして、企業が本来行わなければならないコミュニケーションが、ぶつ切れになる怖さがあるのです。コミュニケーションが不足・断絶した状態で業務を推進すると、結局は何かしら失敗が起こり、企業は莫大なコストを払うことになります。

(中略)

——ほかに「失敗学」から見て最近気になることがありますか。

畑村 これもコミュニケーションの一種といえますが、人とシステムの関係もおかしくなっていると感じます。人とシステムの間にも、やりとりしなければならない情報はたくさんありますが、人々の多くは情報を狭い意味でしか捉えていないという感じがします。情報をやり取りするということが本質的にどういう意味を持ち、自分が何をしなければならないのかを、きちんと考えている人はほとんどいません。だから日本の社会全体で、ものすごい退歩が起きています。人間が致命的にダメになる状況、“縮退”へと急激に進んでいるのです。

——“縮退”のわかりやすい例をあげてください。

畑村 わかりやすい例としてカーナビゲーションがあります。カーナビを使うと何が起こるかというと、第1段階はドライバーが道や地図を覚えなくなる。第2段階は自分の頭の中で経過の選択をしなくなる。第3段階は、この経路を通ったときに何が起こりうるかをあらかじめあらかじめ想定できなくなる。カーナビより自分の方が経路をよく理解しているのに、カーナビは「経路の訂正」を求めます。カーナビへの依存が続けば、カーナビがないと運転できないドライバーが増えてくると思います。

(中略)

社会の中では便利になったと称して、実は人の頭脳を“縮退”させてしまっているという恐ろしい事柄がたくさんあります。人間は横着ですから、サポートがあると必ずサポートを前提に行動するようになります。だから物事が進歩・発達しているといっても、果たして本当に進歩かどうかは、根元の問題をよく考えてみないとわからないのです。(「失敗学」のすすめ

人間はパソコンに依存すると、その職務は外からは見えなくなり、それぞれの社員からも全体が見えなくなる。人間は孤独になると、どうしてもわがままになり、仲間のことを考えなくなる。しかも全体が見えないから、目先のことばかり考える。

必要なのは、自分がその業務のどの位置にあり、何をなさなければいけないのかを自覚することである。そしてできれば、パソコンがなくてもある程度のことは自力でできることが望ましい。ところが、パソコン依存によって、パソコンがなければ何もできなくなる人間が増えてくる。そのような人間は、不満は言うが、世の中を変えようとは思わない。ヘタなことをすると、日本のシステムを変えてしまい、自分たちの既得権が消えてしまうことを恐れるからだ。

宇宙戦争」が書かれたのは、1898年だが、110年以上もたっても、

たとえば、家でおとなしくくらしてるような連中や、おなじような生活をしてる事務員なんてものは、ぜんぜんだめだ。そもそも根性がない。誇らしい夢も、誇らしい欲望も持っていない。どっちかを持っていれば別だがな! ひとつもないなら、用心深いただの臆病者じゃないか?

やつらはこせこせ勤めに出かけるしか能がない。そういうやつらを山ほどみているよ。手に弁当を持って、定期券で乗るちっぽけな通勤列車に遅れまいと、懸命に走っていく。乗り遅れたらクビになると、こわがってな。仕事をするとなれば、面倒くさがって、わかりもしないままやっている。帰りは、晩飯に遅れまいと、やっぱり大急ぎだ。晩飯が終わると、裏通りが怖いから外にも出ない。それで女房と寝てしまう。女房とだって、好きで結婚したわけじゃなく、ちっぽけな持参金を持ってくるから、しみったれた生活をして世間を渡るのが都合がいいからだ。(H.G.ウェルズ著/雨沢泰訳「宇宙戦争」偕成社文庫)(「宇宙戦争」と「日本の自殺」)

その姿は現代もまったく変わっていない。むしろ、文明の進化により、一人一人が孤独になり退化しつつある。だから、
(1)国民が自らのエゴを自制することを忘れたこと(2)自らの力で解決するという自立の精神と気概を失うこと(3)エリート(政治家、学者、産業人、労働運動家など)が大衆迎合主義に走ること(4)年上の世代がいたずらに年下の世代にこびへつらうこと(5)幸福を物や金だけではかること、(日経新聞電子版2011/9/30パンとサーカスがはびこる「日本の自殺」) (「宇宙戦争」と「日本の自殺」)
を続けている。だからこそ、一人一人が自分の欲求を連ねるのではなく、もっと全体を見通し、コミュニケーションのためのコミュニティを作って知恵を合わせ、日本を危機から救うためには一人一人が何を我慢し、何を築いていかなければならないかを学ぶことである。「宇宙戦争」で砲兵が、
だが、種族を救うだけじゃだめだ。ネズミだって同じことをしてる。大事なのは、知識を保存し、つけたしていくことだ。

そこで、あんたのような人間の出番がやってくる。本がいるし、模型もいる。俺たちは深い地下に安全で広い場所を作り、そこに集められるだけの本を入れなければならない。小説や詩ではなく、思想や科学の本をな。そこで、あんたのような人間が必要になる。大英博物館にいって、そういう本をすべて持ち出すんだ。特に科学には、ついていかなくてはならないし、さらに知識を増やさなければ。(「宇宙戦争」と「日本の自殺」)

というのは、それである。
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