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素人だから言えることもある

映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話

映画「はやぶさ HAYABUSA」

映画の話が続く。映画「はやぶさ」を見てきた。そのなかで気になった言葉がある。宇宙研を作った糸川英夫氏が、初期のロケット打ち上げの失敗の連続で、マスコミに「またも失敗」とあまりにも書かれるので、「失敗ではなく成果と言え」といったエピソードである。しかし、日本にジョブズは誕生するのかでも触れたように、「失敗」には2種類ある。
失敗には二種類あります。一つは、手抜きをした、きちんと準備をしなかった、全力を出さなかったといった類の失敗です。これは、二度とそのようなことがないようにと、厳しく指導することが必要です。
一方で、失敗には、「全力で挑戦した。しかし結果が思うようにはいかなかった」という類の失敗もあります。(河合太介+渡部幹著「フリーライダー あなたの隣のただのり社員」講談社現代新書)
つまり、成果の残る頑張った失敗と、手を抜いただけの成果の残らない失敗があるということだ。この成果の残らない失敗を「成果」という人間が、「失敗ではなく成果と言え」という糸川氏の言葉でごまかす危険があるのではないか。もし、そのような言葉が宇宙研に今でも存在したら、これこそ問題ではないかと思った。そこで、10冊以上の「はやぶさ」関連の本と糸川氏の著書を手当たり次第に読んだ。だが、「失敗ではなく成果と言え」という言葉はどこにもなかった。

2つの文章から

たまたま、NTTアドの目黒発 vol.29未来を伝える広報JAXAの広報について次のような文章が載っていた。
こういった日々の広報活動には、パブリシティ目的のほか、組織の透明性を確保する効果もあるようだ。「我々は“悪い情報こそすぐに公表する”ことを大切にしています。都合の悪いことを隠すような組織では信頼を得られませんから」。常に最先端の技術を追求するJAXAにとって、失敗もひとつの成果と言える。組織全体に、「マイナスな情報であっても即座に開示する」という姿勢が貫かれているのだ。実際、「はやぶさ」がエンジン停止や通信断絶のトラブルに見舞われた際も、すぐさま情報を開示した。いずれも、回復の見込みが少なからず残されていたにも関わらず、だ。結果的に、柔軟な設計と技術者の機転や努力が功を奏し、「はやぶさ」は数々の困難を乗り越えたわけだが、こういった広報の活動がなければ、我々はミッションの重要性や宇宙技術の進化を知ることはできなかっただろう。(メディアへの丁寧な情報発信、国民との直接的対話で理解を深める)
はやぶさのプロジェクトマネージャーの川口淳一郎氏も同じようなことを言っている。
起きたことは、たとえそれがあまり都合のいいことではないにしても、ちゃんと発表していかなければいけません。それが信頼関係につながるからです。いいことだけでなく、悪いこともちゃんと発表することで、信用してもらえるようになる。その後の「はやぶさ」を信用してもらえる。日本の宇宙開発を信用してもらえるのです。スポンサーである国民に信用してもらえなければ、日本の宇宙開発は終わってしまうでしょう。(川口淳一郎著「高い塔から水平線を見渡せ!」NHKテレビテキスト仕事学のすすめ2011年6月)
もう一つの文章は、できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由
アイデア、提案、計画等を聞いたとき、まっさきに、「それができない理由を指摘する」人と、まっさきに、「できるようにする方法を考えてみる」人がいる。そして、たいていは、できない理由を指摘する人の方が圧倒的に正しいし、説得力もある。できる方法を考える人の「こうすればできるんじゃないか」というその場の思いつきは、たいてい穴だらけで、間違ってる。なのに、ある程度歳をとってみて、周りを見渡してみると、風通しの良いまっとうな会社では、おもしろい仕事と良い年収を得ている人たちに、「まっさきに、できない理由を指摘するタイプ」ってほとんどいない。おもしろい仕事と良い年収を得てる人たちの多くは、「まずは、できる方法を考えてみるタイプ」の人だ。(できない理由を指摘する人よりできる方法を考える人が成功する理由)
この文章は、やはり川口淳一郎氏の次の言葉に合致する。
その宇宙研の文化や気風は、私の目にはとてもユニークなものに映りました。私も大学を卒業したばかりで、社会に出たことがないので、社会の標準は知らないのですが、それでも宇宙研はユニークに思えた。そこにいる人たちは変人ばかりに見えたのです。実際に本当に変わった、いい意味での変人ばかりだったと思います。

どんなところがユニークだったかというと、非常に前向きで、悲観的な考え方がまるでないのです。「できる」ということを最優先で考える。たとえそれに多少の問題があったとしても、やろうとしていることができるのだから、それでいいじゃないか、ということです。マイナス面に目を向けるのではなく、プラスを見る。

日本人は往々にして、一点の曇りもない完璧な製品を作ろうとします。もちろんそれが日本製品の品質を高めて、経済成長を支えていたのは間違いないと思いますが、一方で完璧でないものは駄目だと考えてしまう。どこかに一点でも曇りがあったらやらないということになってしまう。(川口淳一郎著「高い塔から水平線を見渡せ!」NHKテレビテキスト仕事学のすすめ2011年6月)

確かに、厳しい経済状況の中、税金で食っているJAXAだからこんなことが許されるのだと言ってしまえば、終わってしまう。普通の会社でもネガティブ思考よりもポジティブ思考で進まないと結局はじり貧になってしまうのだ。

糸川英夫氏のペア・システム

さて宇宙研のようなポジティブ思考を持つ人間を集めるにはどうするか。糸川英夫氏の本にこんなことが書かれている。
当時の新聞を見るとわかるが、ロケット打ち上げは失敗の連続で、秋田の実験場でロケットを上げるたびに、「糸川ロケットまた失敗」と書かれる状態が続いた。どういうわけか、新聞というのは失敗すると嬉しそうに書き、成功すると残念そうに書く。「糸川ロケットまた失敗」―そう書いた方が気分がよかったかもしれないが、書かれた方は、東京に帰ってくるたびにみんなにバカにされ、失意の日々が続いた

秋田に何カ月もいて、東京に帰った時に、気分を変えようと新宿の安いバーに行くことがあった。そこでも、「あんたどこかで見たね」とホステスに言われ、「秋田でロケット上げてる糸川さんじゃないの。年じゅう失敗ばっかりしてダメね」などと言われたことを、今でも思い出す。


あまりに失敗が続くので、こうも失敗するのはなぜかと、真剣にシステムと組織について考えた。そして、6人で共同作業をするということは、運動会でいうとムカデ競走をするようなものではないか、と気がついた。

何人かの人の足を全部前後につなげ、オイチニッ、オイチニッと声をかけて走るのがムカデ競走だ。はじめのうちはうまくいくが、せっかちな人と少しテンポの遅い人がいて、足を出すタイミングがちょっとでもずれると、たちまち転んでしまう。

では、ムカデ競走で勝つには、どうすればいいのだろう。それにはまず、二人三脚のトレーニングからやった方がいいのではないか、と眠れない夜にふと考えた。その時は、本当に目の前がいっぺんに開けたような気がして、こんな単純なことをなぜ考えなかったのかと思ったものだ。

つまり、まず、6人を2人ずつのペアに分けて、二人三脚のトレーニングをする。それから、次に、2,2,2と6人を縦に並べてムカデ競走をすれば、トレーニングの効果がずっと上がるはずだ。さっそく研究員を集めて、こう宣言した。「まず、私が誰かと二人三脚のペア・システムというのを組んでみようと思います。残りの4人は、自分の研究室に戻って下さい。これがうまくいくようだったら、あとの4人の方にも、2人、2人と組んでいただきます」ということで、当分、開店休業にした。

そのとき高木昇教授と私は組んだわけだが、これがペア・システムのスタートだった。(糸川英夫著「糸川英夫の創造性組織工学 講座」プレジデント社)

人間というのは、周りからネガティブな情報が流されると落ち込んでしまう。糸川氏のすごいことは、これをシステム論まで追求したことだ。さて、ペアの組み方について、
一つはお互いの専門が違うということ。

同じ専門の人が二人集まってペアを組むと必ずけんかになる。専門家というのは、一つの専門について一家を成しているし、識見を持っているから必ずぶつかる。

したがって会社の中で、ペア・システムを採用するときは、専門領域のまったく異なるパートナー同士がいい。一人がエンジニアだったら、一人は事務系の人か営業の人というのがいい。技術系同士のペアの場合でも、一人が機械の専門家だったら、もう一人はエレクトロニクスの専門家とか、一人がバイオの専門家だったら、もう一人は機械とかエレクトロニクスが専門といった具合にするといい。とにかく専門領域の違うことが必要な条件と言える。

新しいアイデアは異質のものの組み合わせから生まれる」というのは、ポアンカレの法則だ。(糸川英夫著「糸川英夫の創造性組織工学 講座」プレジデント社)

糸川氏がこのような発想を得た理由は何か。組織工学研究所が設立された時の糸川氏が述べたことは、
日本民族の根底にあるのは、赤信号みんなで渡れば恐くないという横並びの思想です。それは別な見方をすれば、集団の和を作るという一種の特技があるということです。その背景には、日本語という日本民族が共通に持つ文化の特性があります。和を尊ぶというのは必ずしもマイナスではありません。ただ、クリエイティブな仕事をする場合には、意見の食い違いはむしろ当然のことですが、その面で少数意見が出にくいという欠点があるでしょう。そこで、日本民族が得意とするところの和の精神や組織運営の特徴をそのままプラスの面としてとらえ、それに新しいものをつけ加えて、その和の中でクリエイティビティが生まれないか、という発想から、当組織工学研究所が設立されたのです。そして、1人の天才に頼らず、必ずしも天才ではない人々の集団で独創的な開発をするシステムを作るという課題に、これからみんなで挑戦するわけです。(的川泰宣著「やんちゃな独創 糸川英夫伝」B&Tブックス日刊工業新聞社)
日本人のややもすれば伸びていく人間の足を引っ張ることで、画期的なアイデアが出にくいとうことをペア・システムで解消していこうというのである。そして日本にジョブズが誕生しなくても天才ではない人々の集団で独創的な開発をしていこうと考えたのではないか。

はやぶさのマトリクス型プロジェクト

はやぶさ」もまた、糸川氏のペア・システムと同様なシステムをとっている。「はやぶさ」のプロジェクトマネージャーの川口淳一郎氏はこう書いている。
JAXA宇宙科学研究所は、前身が、文部省の大学共同利用機関で、大学のように研究分野別の組織形態を採っています。いわば縦割りで、私はその中の一つ「宇宙航行システム研究系」の研究主幹を務めています。

何か特別の集中的な業務を行う時、一般的には、企業も含めて、「プロジェクト」という特設の部署を設けて取り組むのが普通です。どんなプロジェクトでも、様々な分野の専門家を必要とするので、スタッフは各分野から集まってもらわねばなりません。皆、恒常的な縦割り組織と兼任になります。

分野ごとの組織を縦割りを縦糸とすれば、プロジェクトは横糸。つまり、プロジェクトチームは、分野別の組織とマトリクス型の構造をとり、時限でスポット的に活動します。一般企業でのプロジェクトでは、多くの場合、期間は数年ですが、宇宙開発では、それがかなり長期になります。「はやぶさ」は開発段階が7年超、打ち上げから帰還までに7年、都合15年かかりましたから、普通に言う短期のスポット的プロジェクトではありません。

(中略)

こうしたマトリクス型の組織を、恒常的な縦割り組織と比較すると、当然ながら長所短所両方があります。プロジェクトマネージャーとしては、これをきちんと認識しておく必要があります。

長所の方から述べれば、まず「息苦しくない」ことが挙げられます。たとえば、あるプロジェクトの運営にあたって、専任のスタッフだけのピシッとした組織で、あるいは一つの表の組織として設けられたチーム員だけで取り組んだ場合には、どうしても空気が重くなります。人事権も、考課権もふくめて組織定義が行われるためです。

亡くなられた小杉健郎先生は、昔、これをチーム員が「ヒラメになる」と表されました。スタッフが上目遣いでトップの顔色を見るようになってしまう、という意味です。もちろん、それはトップの人柄や能力によるものですが、傾向としてそうなるものです。

専任のスタッフは、そのプロジェクトの組織以外に行き場がありません。大袈裟な言い方をすれば、そこで評価されないとドロップアウトしなければならなくなります。すると、どうしてもそのプロジェクト(組織)に特化されてしまう。言葉を換えれば、同じ考え方、同じ発想をするようになっていくということです。

これは、何か解決すべき問題にぶつかった時、障害になります。解決に向けていろいろなアイデアが欲しいのだけれど、似たような話しか出てこないのですから−。他の縦糸組織や、他のプロジェクトの間で、同種の問題を解決していたとしても、また情報を共有するうえでも、スムーズにいきません。

これに対して、マトリクス型のプロジェクト組織だと、軸足を専門分野別の縦割り組織に置いたままなので「ヒラメになりにくい」という特徴があります。一つのプロジェクトに特化されず、各スタッフが異分子のままぶつかり合うことになるのです。アイデアのバリエーションでは、こちらの方が豊富になるでしょう。他のプロジェクトに参加しているメンバーも兼務するので、問題解決への柔軟性も高いというメリットがあります

また、なかなかいいアイデアが出ない場合、担当メンバーは所属する縦割り組織に問題を持ち帰ることもできます。そこには同じ分野の専門家でまた別のプロジェクトに参加している先輩、同僚がいますから、彼らと意見を交換し、問題解決の糸口を探ることも可能なわけです。

もし彼らも似たような問題にぶつかっているなら、共同して解決策を模索することになるでしょう。たとえば、推進という分野なら、その専門家たちが、複数のプロジェクトに共通の課題を解決するという視点で動き出すわけで、当然、解決能力は高くなります。

(中略)

一方、こうした組織の短所は、まとめるのが大変だということです。また、責任の所在が不明になりがちだという問題もあります。メンバーはそれぞれ分野別の縦割り組織に軸足を置いており、パートタイマー的にプロジェクトに参加しています。しかも、ほとんどの人が、複数のプロジェクトで専門分野を担当しています。「はやぶさ」でプロジェクトマネージャーだった私も、同時進行で「のぞみ」では推進を、イカロスではシステム支援を担当していました。メンバーがみな、そういう状態ですから、一丸になってこのプロジェクトにという雰囲気にはなりにくいのです。

もし、各分野の長が「あなたはこのプロジェクトに参加しなさい」という、命令に近い指示を出し、ほとんど専任という形なら、たぶんそういうことにはならないでしょう。出向のようなものですから、集まったメンバーはそのプロジェクトに専念しやすいはずです。

しかし、頼りになる専門家ほど、どこのプロジェクトでも必要としているわけですから、専任は無理です。みな、いくつかのプロジェクトを掛け持ちすることになります。

したがって、プロジェクトマネージャーの仕事の一つは、メンバーが一丸となれる雰囲気、環境を作ること。そのために最も必要なのは、チームの全員がモチベーションを共有することでしょう。「はやぶさ」では、私は「何としてでも帰還させよう」と何度も繰り返しました。(川口淳一郎著「『はやぶさ』式思考法 日本を復活させる24の提言」飛鳥新社)

ヒラメの多い会社の会議は、トップの顔色を伺う社員ばかりで何の画期的アイデアも出ないというのは、耳の痛い人も多いだろう。「失敗は成果」だという言葉こそはなかったが、宇宙研では確実に「失敗を成果に変える」仕組みができている。
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