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素人だから言えることもある

アシモとアトム

ホンダは、4年ぶりにアシモの発表をした。今回は、原発事故対応のためのアームロボットも発表されたという。

本田技研工業、および本田技術研究所は11月8日、研究開発中のヒューマノイドロボット「ASIMOアシモ)」を4年ぶりに刷新し、発表した。新型ASIMOでは、新たに自律行動制御技術を搭載し、人の操作を介在せずに連続して動き続けることできる。ソフトウェアだけでなくボディーも一新。凹凸のある路面を踏破し9km/hで走行できるほか、片足ジャンプや両足ジャンプが可能になった。また周囲の人の動きを予測して動けるようになった。

状況適応能力が向上したことで、多くの人が行き交う公共空間やオフィス内での実用化に一歩近づいたとしている。

また今回、ヒューマノイドロボット研究から生まれるロボティクス技術と応用製品の総称を「Honda Robotics」に定めたと発表。今後も引き続き、ヒューマノイドロボット研究を続け、量産製品への転用や応用製品の実用化にも積極的に取り組んでいくとした。また、東日本大震災による福島第一原発の事故を受けて、ASIMOで培った「多関節同時軌道制御技術」と「姿勢制御技術」を応用し、危険な場所や足場が不安定な場所で作業を行なう「作業アームロボット」の試作機も公開、デモを行った。

本田技研工業の伊東考紳社長は「今回は4年ぶりのASIMOの発表となる。世界初の自律行動制御を搭載したヒューマノイドとして進化したASIMOをご覧いただきたい」と述べて会見を始めた。

ホンダは戦後の混乱期、創業者の本田宗一郎氏が妻の買い物に便利なようにと開発した自転車用補助エンジンから始まった会社。創業以来の企業精神として「技術は人のために」を掲げており、「人を知ることはホンダのものづくりの根源」であるとしている。ASIMOも将来はもっと人の役に立てるように開発を進めているが、すぐにでも活用できる技術は実現させなければならないとし、今回発表となった作業アームロボットを紹介した。

福島第一原発の事故以降、「ASIMO原発に派遣できないのか」という声がホンダに多数寄せられた。そのことから世の中のホンダ、そしてASIMOへの期待を感じ、そこで今ある技術を世の中の役に立てるために、プラントの作業を想定してアームロボットを開発したと言う。

続けて「ホンダはロボティクス研究を通じて世の中を変える。その強い思いをこめて、ロボティクス技術とその応用製品について「Honda Robotics」と名づけた」と述べ、「ホンダの創業以来の精神は尽きない。引き続きご声援とご理解をお願いしたい」と語った。(ホンダ、進化した「新型ASIMO」とロボティクス製品「Honda Robotics」ASIMOは自律行動制御技術を搭載、原発での運用を検討中の作業アームも)

アシモと言えば、このロボットの発想の元が「アトム」であったことが思い出される。
「世界最高のヒューマノイド(人間型ロボット)」と絶賛され、世界中から注目された「ASIMO(アシモ)」。二年前、自動車メーカーのホンダが発表したとき、安定した足どりと愛らしいデザインが、それまでのロボットのイメージを一新させた。CMやイベントへの出演依頼は今も相次ぐ。「生みの親」のホンダ上席研究員、広瀬真人さん(46)の開発までの軌跡を追った。

鉄腕アトムみたいなロボットを作ってくれ

「えっ?」

一九八六年七月。ホンダに中途採用された広瀬さんは入社わずか二日目、こんな社命を受けた。工作機械メーカーの技術者を経て、当時三十歳。

「いやあ驚いた。戸惑いもしたが、『本当にやっていいのかな』という気持ちの高ぶりのほうが大きかった」(RoboCup-2002 Fukuoka/Busan ASIMO 「アトム」への夢)(手塚治虫は「考える人」だった)

一方、アトムはそのエネルギーが原子力であった(胸に原子炉がある)ために、原発のPRとして悪用されることもあった。話の栞「アトムと原発」によれば、1979年のスリーマイル事故以前の読売新聞(1977/9/10)にこんな「原発賛否でPR合戦」という記事が載っていたという。
いまや第二の“原発国”になった日本だが、原子力発電賛成派と反対派の間で漫画などを使ったPR合戦が白熱化、今月中旬には反対派自主製作の映画が完成し、賛成派もこれを追う構えだ。漫画は説明が簡単すぎるのと、部分的に大げさな表現が指摘されているが、両派とも「原子力の問題に一般の人が関心を持ってくれるだけでいい」と言っている。

漫画合戦は昨年の十月、東京都東村山氏の主婦清水百合子さん(三一)が「難しい原子力の問題をわかりやすい絵本にしたら」と自分で書いた絵本を反原発市民連絡会議、日本消費者連盟などに持ち込んだのが始まり。これは「げんぱつのえほん」と名づけられて、一部三百円で五千部発行され、一年間でほぼ完売した。内容はストロンチウム90などの危険性を説明したもので、結論は「やっぱりこんなのはいやですねエ」。

これに対し九電力会社、日本原子力発電などは、ことしの四月、手塚治虫さんの絵による「アトム、ジャングルへ行く」を発行した。鉄腕アトムが、氷河期に入って苦しむ動物たちを、原子力で救うというお話。カラー刷りの大型豪華版で、原価三百五十円なのを無料配布。全部で四万部刷り、九電力会社に分配した。

このうち二万部を買った東京電力では、管内百か所の支店、営業所と、福島原子力発電所のPRに置いたところ、たちまちなくなるほどの人気。

一方、映画は、原子力発電所の事故をテーマにした田原総一朗氏の小説「原子力戦争」をもとにしたもの。ATGと文化企画プロとの提携作品で、今月中旬に完成する。“社会派”の黒木和雄監督がメガホンをとり、五月中旬から八月まで、福島県いわき市を中心に撮影が行われた。

文化企画プロの友田二郎プロデューサーは「原発に反対とか賛成には関係なく、原子力の未来、そのこわさを映画にしたかった」というが、原子力の事故がテーマなので、原発推進派にとっては「おだやかならぬ」作品に違いない。

そこで、「アトム、ジャングルへ行く」などを企画した漫画社(東京銀座)を中心に、原発賛成映画製作の話が持ち上がり、こちらは向井プロダクションの向井寛監督を予定、採算のとれるメドがつき次第、撮影に入って、東映系で上映するという。

こうしたPR合戦について、口火をきった清水さんは「原発問題に触れる機会のない人に関心を持ってもらうのが最大の目的だったけど、絵本の関心層と原発の関心層にギャップがありすぎて、完全に成功とは言えなかった。でも“絵本のおかげで関心を持った”と手紙をくれる人もいるから、成果もあったと思う」と話している。(アトムと原発
しかし、手塚治虫本人は、その事実を知らなかった。以下「アトムと原発」を引用する。
初版では「アトム、ジャングルへ行く」となっているこの作品は、再版されるにあたって「よみがえるジャングルの歌声」とどうやら改題されたようなのだけど、この辺の経緯は不明である。そして、これらを原発推進の証拠として手塚治虫を名指しで批判したのが1981年の広瀬隆「東京に原発を!」であった。

しかしこの時はさほど反響は大きくなく、1986年のチェルノブイリ事故を受けて「東京に原発を!」が再版されるや同書は話題を呼び、手塚批判のくだりもクローズアップされることとなった。

事ここに至って、手塚はこれに反論する形で原発に対して明確なスタンスを示した。いわく「ぼくも原発に反対です」と。

以下は1988年の「COMIC BOX」8月号に掲載された手塚へのインタビュー記事の抜粋である。

 

―アトムがジャングルに原発を建てるという小冊子はご存じですか?

手塚「おれ描いた覚えないの。許可した覚えもない。樋口さんのとこ電話して、あれはちょっとカンベンしてくれといったら『二度とこんなことはいたしません』ということだった。それから彼の仕事にぼくは関わらない。」

―「よみがえるジャングルの歌声」は手塚氏本人によってあっさり否定された。では改めて、原子力発電について、いかがですか?

手塚「反対です。はっきりそう書いてください。ただ、ぼくは反核であらゆる核エネルギーに反対なんだけど、核融合エネルギーには賛成なの。核融合は当分まだできないだろうから(笑)。それができた時点でぼくはアトムを核融合エネルギーの産物だとしたいの。」

注)樋口さんとは漫画社社長の樋口信。樋口本人は手塚プロの承諾を得たとしている。(アトムと原発)

しかし、「描いた覚えないの」とはどういうことか。改題した「よみがえるジャングルの歌声」についてのブログ「原発のない社会をめざして鉄腕アトム/よみがえるジャングルの歌声」によれば、
このような記事を見つけました。以下…

鉄腕アトム/よみがえるジャングルの歌声」

地球全体がだんだんと冷えてきた時、アフリカのジャングルでは動物たちが飢えを凌ぐために、ジャングル全体を暖かくしようと決め、そのために日本に代表者を送り原子力発電の技術を学ぶことにする。

彼らアフリカの動物に原子力を教えるのが原子力大学のお茶の水博士と当のアトムなのである。

日本で原子力発電の技術を学んだ動物たちはアフリカに戻り発電所をたて、地震、津波がきても絶対に大丈夫な発電所のもと、たのしく明るく暮らしましたとさ、メデタシ、メデタシ…という話。

しかし、この○○(読み取れません)な絵をみれば判るようにこれは手塚治虫氏の絵ではなくこの小冊子の中に「鉄腕アトム」という記述はあれど、手塚治虫、あるいは手塚プロ等の表示はひとつとしてみあたらない。

表紙にも奥付けにも、発行、漫画社Cとあるだけである。これは、一体どうしたことか。手塚プロ、漫画社で話を聞いた結論のみ言えば、これは、ほとんど手塚治虫氏の関知してないところで作られたもののようだ。(原発のない社会をめざして鉄腕アトム/よみがえるジャングルの歌声)

本人の知らないところで、勝手に原発PRのために作られたのだろうか。さて、ホンダのその作業アームとは、
試作機として発表された「作業アームロボット」は、原発事故に伴って、「ASIMO」の技術を応用して開発したロボットアーム。全長(アーム長)1583mm、台座部の幅は338mm、台座部奥行き391mm、重量29.5kg。自由度は先端のツール部分込みで10。

発電所では固定された場所ではなく、高所、狭く入り組んだ場所で作業する必要がある。足下もふんばれない。そこで人にはできない複雑な高次元姿勢安定技術を応用して作業アームロボットを開発した。ASIMOの腕を単純に大きくしたのではなく、ASIMOの肩、腰、そして足首の技術を腕の先に応用したものだと考えればよいと言う。

自走式台車などに乗せて移動させ、高所に持って行くことができる。またエンドエフェクターの先端にカメラが付けられている。これらによって不安定な足場や障害物が多く狭い場所でも、遠隔操作によって作業対象にアプローチし、安定して作業を行える。

ASIMO」で培った、コンパクトなレイアウト構造設計技術と、多数のモーターを同時に制御する多関節同時軌道制御技術を応用し、配管などが複雑に入り組んだ狭い環境下においても、障害物を回避して対象物にアプローチできると言う。現段階では配管のバルブ開閉作業を想定しているが、アームの先端を交換することで多様な作業に応用できるようになるという。現在、東京電力の設備内で試験中で、福島第一原発への投入が検討されている。 (ホンダ、進化した「新型ASIMO」とロボティクス製品「Honda Robotics」ASIMOは自律行動制御技術を搭載、原発での運用を検討中の作業アームも)

アトムを目指して作られたアシモが、原発事故対応のロボットを作るというのも原発つながりで面白い。しかも、アシモを作った技術者が広瀬氏なら、告発者も広瀬氏というのも皮肉である。さらにさらに、チェルノブイリ事故が起こった1986年、「東京に原発を!」が再版された年、アシモの開発が始まったことも。


追記

一方、映画は、原子力発電所の事故をテーマにした田原総一朗氏の小説「原子力戦争」をもとにしたもの。ATGと文化企画プロとの提携作品で、今月中旬に完成する。“社会派”の黒木和雄監督がメガホンをとり、五月中旬から八月まで、福島県いわき市を中心に撮影が行われた。(アトムと原発)
の映画が判明した。タイトルは『原発戦争 Lost love』。今年の12月7日にようやくDVD化されるという。主演は故・原田芳雄。詳しくは日経映画・エンタメガイド原発問題に切り込んだタブー映画、故・原田芳雄主演『原発戦争 Lost love』
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