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素人だから言えることもある

今年だから「伝えたい言葉」(現実がひっくり返る年・7)

ネガティブにとらえるかポジティブにとらえるか

僕は、今年の1月から今年は「現実がひっくり返る年」だと言い続けてきた。「現実」という言葉をひっくり返してみれば、「実現」という言葉になる。「現実がひっくり返る年」といった瞬間、どうしてもネガティブな言葉と感じる人もいるかもしれない。だが、実現するためには、現実をひっくり返さねばならないこともある。例えば、中東や北アフリカで起こった革命。今まで、独裁政権でマスメディアは統制されてきた。市民は、フェースブックなどのソーシャルメディアによって、市民たちのためのメディアを手に入れたのだ。前項「ソーシャルメディアの「透明性」とは何か」で引用したウィキリークスのくだり、
情報を独占し隠蔽することでつくり上げられた権威に対しては、それが政府であれ、企業であれ、宗教組織であれ、内部告発という倫理的には評価が分かれる手段を通じて、機密を暴き、その権威を崩壊させる。そのプロセスを経ることでのみ、不正はなくなり、社会の透明性と正義が担保される。そして、それをデジタルやインターネットに象徴される情報通信技術が後押しする。(ジョン・キム著「逆パノプティコン社会の到来」P232/ディスカヴァー携書)
などは、市民の自由を「実現」するために、独裁政治という「現実」をひっくり返したのだ。

言葉には二面性がある。僕は、鍛冶哲也氏のエントリー「しあわせって何だっけ?」のコメントでこう書いた。

幸せの語源について考えたことがあります。
幸せとは、もともと「仕合せ」のこと。つまり、めぐり合わせのことなんです。だから、良い仕合せもあれば、悪い仕合せがあった。たまたま、巡り会わせが悪かっただけのこと、昔の人はそう考えていた。今の現代人は、それを幸せとはこういうものと決め付けている。
また、happyという言葉もhappningと同根。たまたま仕合せになっても、明日のことなどわからない。幸福も不幸も同等と考えていたんです。明日は明日の風が吹く、それでいいんです。
語源由来辞典にはもっと詳しく、
しあわせは、「しあわせる(為る+合わせる)」の名詞形として室町時代にうまれた語。本来は「めぐり合わせ」の意味で、「しあわせが良い(めぐり合わせが良い)」、「しあわせが悪い(めぐり合わせが悪い)」と、評価語を伴って用いられた。江戸時代以降、「しあわせ」のみで「幸運な事態」を表すようになった。更に、事態よりも気持ちの面に意味が移って「幸福」の意味になり、「幸」の字が当てられて「幸せ」と表記するようになった。
漢字の「幸」は手かせを描いたもので、「手かせ」や「刑罰」を意味した。やがて、手かせをはめられる(刑罰にかかる)危険から免れたことを意味するようになり、思いもよらぬ運に恵まれたことから、幸運・幸せの意味へと広がっていった。(幸せ-語源由来辞典)
昔は、ネガティブな環境が日常だった。独裁社会では現代でもそれが当たり前だったが、日本では、民主主義のためにそれが最低限の権利であった。そうなると、もっと日常的に健康的な生活がとれるのが当たり前になったので、ネガティブな意味が消えてしまったのだろう。

今年の漢字は「絆」と決定した。昨年、流行したのは、「無縁社会」(無縁社会と三ない主義参照)だった。その意味で、独裁社会であれ、民主社会であれ、絆が希薄だったのが最近だったのだ。今年は震災にあって、改めて人と人との絆の大切さを思い出した人も多かったのだろう。中東や北アフリカでその絆をつなぐ役割を果たしたのが、新しく登場したソーシャル・メディアだったのではないだろうか。現在の日本は、「現実がひっくり返る」真っ最中である。新たな現実がどこにあるのかまだ見えてこない。どうやらこれから数年は「現実がひっくり返り」続けなければならないらしい。


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