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素人だから言えることもある

なぜ日本人は説明がヘタか(「見えないから安心」と「見えたから不安」・4)

政治家の話は信用できない

「見えないから安心」と「見えたから不安」のシリーズでは、こういう捉え方をする日本人の思想の根源について考えているが、もともと日本人には、論理立ててものを考える習慣がなかったのではないか。例えば、自己紹介の下手さがある。自己紹介とは、要するに、自分を説明することである。日常のように、外国人と出会う生活ならば、自己紹介はうまくなるだろう。だが、終身雇用制が当たり前だったころは、一つの会社と一つの家庭の往復で済ませた人もいた。説明する必要がなかったのだ。勤勉とかまじめとか日本人の特性を表現されるが、これは所属している会社から追い出されないための所作である。官僚もまた真面目である。まじめだから、悪いことはしないだろうという感覚がそこにある。したがって「見えないから安心」とは、想定されなかったその部分までもフォローしているのではないかという、国民の深謀遠慮である。ところが、大きな誤差があった。そうなると、もともと説明が要らない世の中だったので、説明されるとかえって不安になる。「見えたから不安」とは、この説明は、そのうちひっくり返るのではないかという不安である。

マフィア型(やくざ型)信頼とは何か

このような説明がいらない社会をどういうか。「ソーシャルメディアの安心と信頼 (「見えないから安心」と「見えたから不安」・3)」では、「安心社会」と呼ぶ。アメリカのようなひとつひとつ説明が必要な社会を「信頼社会」と呼ぶ。
アメリカというのは社会の流動性が高くて、見知らぬ人と会う機会が多い。だから、まず、初めて出会った見知らぬ人であっても、とりあえず相手を信頼しないと何も始まらないわけです。だから、まずは相手を信頼するんだけど、その代わりに契約などでがちがちに固めて、ちょっとでも約束を破ったら信頼しないようにする。こういうふうに、個人ベースで相手を信頼するかどうかを判断していく社会のことを、山岸さんは「信頼社会」と呼んでいます。

これに対して、日本はそうじゃなくて、長期的に同じ関係にいるかどうかが大事なんですね。「マフィア型(やくざ型)信頼」とも言っているんですけれども、要するに盃を交わした間柄は義兄弟、みたいな人間関係ですね。「長期的に付き合って、情がわいていれば裏切らないだろう」というタイプの人の信頼の仕方をする。学校だったら、「同じクラスで一致団結して、仲がいい時間を過ごしました。だからみんな一生の友達です」みたいな感じ。


でも、これは結局人を信頼しているんじゃなくて、場を信頼しているだけなんです。あくまで共同体全体を一括で信頼しているだけであって、アメリカ社会のように、個人をひとりずつ信頼できるかどうかを見ているわけではない。山岸さんはこれを「信頼社会」じゃなくて「安心社会」だと呼んでいます。(濱野智史・佐々木博著/ソーシャルメディア・セミナー編「日本的ソーシャルメディアの未来」技術評論社

そしてこんな言葉が気になった。
日本はそうじゃなくて、長期的に同じ関係にいるかどうかが大事なんですね。「マフィア型(やくざ型)信頼」とも言っているんですけれども、 (濱野智史・佐々木博著/ソーシャルメディア・セミナー編「日本的ソーシャルメディアの未来」技術評論社
の中の「マフィア型(やくざ型)信頼」という言葉である。そこで、山岸俊男氏の「信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム」(東京大学出版会) 」を読んでみる。この本では、「やくざ型コミットメント」と表記している。山岸氏は、コミットメントには、「恋人型」と「やくざ型」があるという。
他人に搾取されてひどい目にあう可能性のある状況で、特定の相手とだけ付き合うことで、少なくともその相手から搾取される可能性を低めようとするのが、やくざ型コミットメント関係である。互いに深く愛し合っている恋人同士が相手以外の人間には目もくれないという恋人型コミットメントであるが、これに対してやくざ型コミットメントの場合には、下手な相手と浮気をするとエイズに感染する危険があるので、安心できる現在の相手とだけ関係を続ける場合である。(山岸俊男著「信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム」東京大学出版会)
かなりネガティブな関係にも見えるが、これは大企業と下請けの関係にも似ている。下請けは、大企業にぎりぎりまで搾取されているが、他の大企業を探すと、今の仕事がこれからも続くかはわからない。下請けと大企業が密接につながっているので、他社が入り込む余裕がないし、報復を恐れて逃げだすことができない関係である。これはまた、ようやく見つけた正社員の仕事にも似ている。現在の仕事が嫌いでも、ここをやめたら正社員の仕事はまず見つからないという関係である。こういう関係になると、上司や大企業と同等な会話はまずできない。相手の顔色を伺いながら、おどおどと話さざるを得ない。

ソーシャルメディアの安心と信頼 (「見えないから安心」と「見えたから不安」・3)」に「おじさん」はなぜソーシャルメディアを使えないかという話が出ているが、これはまた会社というコミュニティ漬けになってしまった会社員の悲哀に満ちている。どこかの会社に所属する人間ではなくて、個人としての誇りを失っているようで物悲しい。
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