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素人だから言えることもある

なぜ、日本人は寅さんにあこがれたか(「見えないから安心」と「見えたから不安」・5)

やくざと寅さん

前項「なぜ日本人は説明がヘタか(「見えないから安心」と「見えたから不安」・4)」で、「やくざ型コミットメント」という言葉が登場している。社会心理学者の山岸俊男氏の言葉である。信頼の意味と構造―― 信頼とコミットメント関係に関する理論的・実証的研究――というPDFによれば、
山岸らの信頼理論が扱っているコミットメント関係は,社会的不確実性を低減させる手段としてのコミットメント関係であるが,Yamagishはこのようなコミットメント関係を,やくざ型コミットメントと呼んでいる.談合型コミットメントと呼んでもよいだろう.この型のコミットメントは,そもそも社会的不確実性を低減させる目的で形成されるものであり,逆に言えば,関係外の社会における社会的不確実性の存在を前提とするものである.やくざをはじめとする犯罪結社が「鉄の結束」を必要とするのは,お互いに好意を持ちあっているためというよりは,外部社会からの「攻撃」に対処するためである.別の言い方をすれば,社会的不確実性に満ちた社会で安心していられるのは,お互いの利益を保証し合っている,つまり「内集団ひいき」をし合っている,固定した関係の内部においてである.この意味での,つまり「内集団ひいき」の相互保証を与え合っている関係を,Yamagishは「やくざ型コミットメント関係」と呼んでいるわけである.本研究の出発点の一つは,日本社会では,この種のコミットメント関係,すなわちやくざ型のコミットメント関係が重要な役割を果たしているという点である.(信頼の意味と構造―― 信頼とコミットメント関係に関する理論的・実証的研究――P53)
やくざ型コミットメント」では、敵対する関係と競争しているために「鉄の結束」が必要である。そして、このような社会では、「内集団ひいき」を維持するために同じ大学出身とか、同じ地域出身とかでコネクションが有効活用される。したがって、「やくざ型コミットメント」はやくざにかぎらず日本全体のコミュニティに共通する。

僕は、なぜか「やくざ」というと寅さんを思い出してしまう。年末年始になると、必ず松竹で上映された「男はつらいよ」シリーズである。寅さんは、自分のことを「やくざ者」と呼んでいた。だが、やくざの「鉄の結束」と寅さん、なんか違和感があるのはなぜだろう。「寅さんの社会学」(竹原弘著/ミネルヴァ書房)によれば、

寅次郎はやくざな男であり、自分自身も「俺は渡世人だ」とか、「やくざな人間だ」といった台詞を言い、またそれらしい格好をつけるが、やくざ映画に登場するような暴力団まがいのやくざとは違う。寅次郎は「男はつらいよ」の数々の場面で描かれている様に、一面は普通の社会から逸脱した様な行為を為し、また普通の社会人が持っている様な常識に欠ける所もあり、乱暴な言葉も吐くが、東映のやくざ映画に登場する様な、凄味があり、腕力も強い様な人物ではない。

また寅次郎の周りには、彼の妹のさくらをはじめとして、彼のおじやおば、またとらやの裏にある中小企業の印刷会社を経営しているタコ社長、それに旅先で出会い、彼が惚れる数々の美女達等、彼の言う堅気の人間が常に居て、そうした人達と関わりながら生きている。いわば「男はつらいよ」は、社会から逸脱し、また本人もその様に振る舞っている一人の男を中心にし、その男、車寅次郎が引き金になって引き起こし、堅気の人々を巻き込む騒動を描いている喜劇である。(竹原弘著「寅さんの社会学」p2/ミネルヴァ書房)

日本全体のコミュニティが「やくざ型コミットメント」で覆われているとするならば、寅さんの立場は、そのコミュニティから逸脱した存在になる。しかし、寅さんは、必ず「とらや」というコミュニティに帰ってくる。いわば、とらや並びにその地域のコミュニティは、その逸脱した寅さんを認め合うゆるい「やくざ型コミットメント」ということになるのではないか。僕は映画「おとうと」に見る家族内コミュニケーションでこんな引用をしている。
寅さんだって、彼の場合は不良になっちゃったけど、「本当に大事なものは何か」という価値観についてはギリギリ持ってる。だから犯罪者にはならなかった。生育の過程で、地域の人々の愛情を受けたからでしょう。みんなが「寅ちゃんは私たちの街の子だから、しょうがないね」って認めてた。とても大事な要素だと思う。小春も、もちろん街の人たちの愛情にくるまれて、愛すべきキャラクターに育ちました。(「おとうと」パンフレットより)
この山田洋次監督の言葉は、地域や家族がそういう存在を許さなくなったということではないか。

渥美清と車寅次郎

しかし、この寅さんという存在、いろいろ資料を集めてみると、渥美清という稀有なキャラクターなしでは成立できなかったことが明らかになっていく。例えば、彼の少年期。山田洋次監督は「寅さんの教育論」(岩波ブックレット)でこんなことを書いている。
渥美さんがいろいろぼくにしてくれた話のなかでこんなのがあるんですね。
彼はクラスのお荷物だから、一番後ろに坐らされている。彼の隣は知恵遅れの少年。
授業はさっぱりわからないし、興味もない。面白くもおかしくもない。だからぼんやりと先生を観察したり、一所懸命勉強している生徒の横顔を見たりしながら、退屈な時間が過ぎていく。ところが一所懸命勉強している少年たちも一時間の授業のうちに、一度や二度、一息入れる時間があるんだそうです。先生も、ちょっとくたびれて、このへんで一息という感じになると、チョークを置いて言葉を止める。
そうすると、生徒たちは一斉になんとなく渥美少年のほうを振り返ってみる。そのとき、渥美少年は、そこで俺の出番だとばかり、ニコニコッと笑うんだそうです。少年のころから、四角い顔した渥美さんの笑顔はとても面白かったんじゃないでしょうか。もう見ただけで吹き出すような笑い方をしたんじゃないでしょうか。
それで、みんなが「ワァーッ」と大声で笑う。そうすると、なぜかみんな元気が出てくるというんです。そしてふたたび授業が始まり、みんな勉強に戻る。そして、渥美少年には退屈な時間が始まる。

渥美さんが面白おかしく話してくれたことですから、多少の誇張もあるかもしれませんが、しかしぼくがこの話から考えることは、少年渥美清は、成長してからも、ずうっと一貫してそういう役割を、かつてのクラスにかわってこの社会で果たしている。その「役割」というのは、つまり俳優ということです。
俳優になって「寅さん」を演じるということは、一所懸命働いている人たちが、ときどき疲れて一息つきたいとき、いやなことが続いて、映画でも観て気を晴らしたいなと思うときに、精一杯の楽しい演技を観せて、その観客をワーッと大笑いさせて、大笑いした観客は少し元気が出て、また明日から頑張って生きていこうと思う、そういう役割を果たす、ということです。(山田洋次著「寅さんの教育論」p5-7/岩波ブックレット)

また、「寅さんと日本の民衆」(山田洋次著/抱樸舎文庫)では、中学の頃の渥美清のことが述べられている。
中学に入ると、休みの日には上野、浅草あたりをうろうろして、テキ屋に興味を感じる。街頭で大きな声を出して売っているテキ屋のおじさんやおにいちゃんたちに愛情を寄せていく。そして、かれらの口上を全部覚えちゃって、休み時間になると教壇に駆け登って、みんなの前で「四谷、赤坂、お茶の水、イキな姉ちゃん立ちしょんべん」なんてやって(笑い)、勉強に疲れた級友たちをさんざん喜ばしていた。授業中はだめな生徒だったけど、休み時間の英雄であっただろうと思います。

寅さんの映画のなかでいろんな口上を述べ立てるんですけど、あれは僕の創作ではないんです。あの手の言葉は渥美さんの引き出しのなかにたくさん詰まっている。彼が少年時代にあこがれて、メモしたことが全部頭に入っていますから、いくらでも出てくるんです。まったく見事な蓄えというかね。(山田洋次著「寅さんと日本の民衆」p22/抱樸舎文庫)

寅さんの言葉で有名な「労働者諸君!」という言葉について巻末の対談で明らかにされている。
住井すゑ ところで、寅さんが「労働者諸君!」というあのおかしさ、あれでわれわれはみんな味方だと思うわけですよね。あの「労働者諸君!」というセリフは山田さんがお考えになったの?

山田洋次 いえ、そうじゃないんですよ。あれは渥美さんのアドリブから始まったんです。台本にはないセリフでした。小さい印刷工場に寅さんが入ってきて、まじめに働いている労働者をからかうというシーンで、ぼくは「おい、君たち」とか、「お前たち」みたいなセリフを脚本には書いたんじゃないでしようか。渥美さんはそれを「おい、労働者諸君!」っていったら、ものすごくおかしかったんです。なんでこんなにおかしいんだって分析すると、とてもたくさんのことがそこにはあるのでしょうが。

例えば、これも予想しないときに渥美さんがひょいとアドリブでいったんですけれども、第五作ですからだいぶ前、松山政治君が機関車の助手の役になった。松山政治君は当時若かったので、渥美さんが彼を呼びかけるのに「おい、青年!」っていったんですよね。それがもうおかしくてね。一人の人間はいろんなジャンルに属していますから、さまざまな呼び方ができますね。「おい、男」「おい、女」とか、「おじさん」「坊や」「おい、おまわりさん」「駅員さん」「運転手さん」などなど。

しかし、この「青年」という呼び方は面白いですね。「青年」という言葉には、希望が託されているといえるんじゃないか。高い志を抱いて真剣に生きる、未来を目指してがんばっているという、そういうイメージをもっている。

だれもがそういったってだめなんです。渥美さんが、「おい、青年!」って呼ぶと、そんなイメージがふわっと、ちょっと戯画化されているけれども伝わってくる。そして、現実の日本の青年と渥美さんの心に描いている素敵な「青年!」というイメージとのずれがちょっとおかしくなるというところが、「おい、労働者諸君¡」というのと似ていますね。

つまり「労働者諸君!」というと、そこにある尊敬とあこがれ、つまりたくましい腕にハンマーを握り、労働歌を歌って人民の未来を真剣に考えているというような、ちょっと古風な人間像なんです。しかし、現実にそう呼ばれている青年たち、あるいは今日の日本の労働者と寅さんのイメージしている古風な労働者像とがちょっとずれていることに、何ともいえないおかしさと同時に、ものかなしさも交えてつい観客は吹き出しちゃうみたいなところがあるんですね。(山田洋次著「寅さんと日本の民衆」p57-59/抱樸舎文庫)

私たちは、寅さんの眼を通して世間を見ている。

「寅さんと日本人」(浜口恵俊・金児暁嗣著/知泉書館)には、山田洋次監督の言葉が引用されている。

……[たそがれ]清兵衛とは違う世界ですが、あの景気のいい高度経済成長の時代に、世の中の進歩とか変革とかその手の一切に背を向けて、定職につかず住む家もなく、年中失恋をしている情けないダメ男に、日本の中年男女が夢中になった。さあどんどん働いてお金を稼いで、洗濯機やテレビを買おうじゃないかという時代にです。寅さんのどこかに、日本人が憧れる部分があったんじゃないか。一生懸命働いてお金を貯めながらも、何か喪失感のようなものがあって、それを寅さんを見ることで、ふと安心できたというのかな。俺だって、何も喜んで欲望を追求しているわけじゃないんだ。寅さんみたいな生き方だってしてみたいんだよと思った時に、何か救われるような、癒されるような思いがしたのではないかと思うのです。……」(山田洋次「侍の生きていた時代に」文藝春秋、9月臨時増刊号『和の心の日本の美』2004年9月、48頁) (浜口恵俊・金児暁嗣著「寅さんと日本人―映画「男はつらいよ」の社会心理」p12-13/知泉書館)
正月になるたびに、ダメ男の寅さんの世界に浸るという行為は、会社というコミュニティに閉じこもっていた会社員たちが、日常から逸脱した非日常の世界から自分たちの姿を見渡すということなのだろうか。

奇人・変人とコミュニティ

また、山田監督は寅さんという奇人・変人の大切さを強調する。
1960年代から70年代にかけて、能率主義という言葉が産業界を中心に唱えられ出しました。

映画の世界にも当然この考えがもちこまれ、少数精鋭主義という言葉が流行しました。少数でもいい、精鋭がいれば映画はできる。更には精鋭が少数で作った方が良い映画ができる、という考え方でもあったのです。いままでのスタッフ編成はあまりにも無駄が多すぎた。従来50人でやって来たとすれば、よく働く優秀なスタッフなら25人でよい、そうすれば映画はもっと経済的に安くつくられるというわけです。

事実、そのころから映画のスタッフはどんどん少なくなってきました。人数を減らすとなれば、当然、よく働かない人、つまり会社的な見地から言って成績の悪い方の人から整理されていきました。しかし、そのことによって、次々とつくられ続けてきた日本映画は、芸術作品であれ娯楽作品であれ、全体としてだんだん面白くなくなっていきました。映画の面白さとはなにかというのはむずかしい問題で、言葉ではうまく説明しにくいのですが、たとえば楽しい喜劇といわれるもの、観客の心にいつまでも残るといった名作ではないけれど、見ている間は楽しくてならないような映画がかつてはたくさんつくられたものです。そして、こういう種類の楽しさを生み出すためには、チームに一見無駄に見えるような人間を平気で何人も抱えているようなゆとりがなくてはならないように思います。あるいは、そういう人間を自分のチームに抱えられるだけの心の広さがないといけないということかもしれません

映画界には、昔は変人・奇人がたくさんいました。今にして思うと、人を楽しませる映画をつくるためには、スタッフの中に変人・奇人がいなければいけなかったんだとぼくは思います。そういう人を仲間として抱えて、みんなで彼を笑ったり、愛したりするというチームであってこそ、はじめて人を笑わせたり、楽しませたり、感動させたりする映画ができたということなのでしょう。

ましてや、ぼくたちのチームは寅という人間を主人公にしているわけです。寅というのはまさに落ちこぼれであり、変人・奇人です。役立たずです。その人間を描くぼくたちが、自分たちの集団からそういう人間を排除するわけにはとてもいかないわけです。(山田洋次著「寅さんの教育論」p33-34/岩波ブックレット)

世の中が不況になり、真っ先に首を切られるのは奇人・変人たちである。効率的にはなるが、発想が同質化し画期的なアイデアが生まれにくい。また、残った社員たちも絶えず上司の顔色を伺い、クビにされないことのみ考える。奇人・変人たちはこれと違う。「寅さんの社会学」では、こう書いている。
寅次郎は権威を前にしても、その権威の力に怯えることもなく、卑屈になることもない。またそうした権威の力を認めないというよりも理解しなかった、といった方が適当かも知れない。言い換えれば、寅次郎の心象風景は、ある意味では狭いし、ある意味では明快だと言えるだろう。彼の心象風景の中には、さくらと始めとするとらやの人々や、それから旅で出会う人達が有り、旅で出会う人々が陶芸の世界的な権威者であろうと、著名な作家であろうと、東大の教授であろうと、寅次郎にとっては同じであった。


寅次郎は現代の資本主義社会が、あるいはその中に組み込まれている人達が追求する利潤を、そうした人達と一緒に追求しようとはしない。彼にとっては、今晩寝る宿と気持ち良く酔える酒があれば、一応は満足なのである。寅次郎も地道な生活をしようと努力したことはあるが、いつもその努力は報われず、また寅次郎自身がそうした地道な生活に向いていないため、常に挫折に終わる。(竹原弘著「寅さんの社会学」p9/ミネルヴァ書房)

寅さんは、コミュニティから絶えず排除されてきたため、コミュニティに所属するあこがれはない。寅さんはあくまでも、個人主義の人である。そのことが、コミュニティ内の上司に盾つけないサラリーマンたちの寅さんへのあこがれになっていたのである。
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