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素人だから言えることもある

なぜ、日本のテレビは貧しくなったか(3)

今回は、日米のテレビの作り方の違いについて。今回のエントリーも、前回同様「テレビは余命7年」(指南役著/大和書房)から。

アメリカのスポンサーは番組に口を出せない

なぜ、日本のテレビは貧しくなったか(2) では、テレビ局は視聴者の方を向かず、スポンサーの方を見ていると書いた。もちろん、番組は、視聴者が多い方がいいに決まっているが、CM視聴率を伸ばすための前フリなどの姑息な手段は、かえって視聴者を飽きさせるものだ。もちろん、テレビ局としては、そんなことをしない方がいいとは思っているだろう。それでも、それをやらざるを得ないというのは、初めから良質な番組を作る気がないのだと思うしかない。アメリカでは、スポンサーが番組について文句を言えない仕組みができているという。
アメリカの番組と日本の番組の違いに、スポンサーの概念もある。
日本では、スポンサーは「タイム」と「スポット」の2種類があると、先に記した。
一方、アメリカには、タイムのスポンサーは存在しない。基本、スポットのみである。どの時間帯に、どのCMを流すかは、スポンサーとテレビ局との交渉によって決まるが、そこで検討されるのは、番組の内容ではなく、単純に視聴者数(視聴率)である。
視聴率とCMの投下量の掛け算で出される数値を「GRP」と呼ぶが、スポンサーが気にするのは、このGRPのみである。番組の内容に口を出すことはない。
さて、そうした違いが、日米の番組作りにどう影響してくるかというと――アメリカではスポンサーに配慮した番組を作らなくてもいいことになる。
日本の場合、スポンサーが制作費も出しているで、当然、内容面でもスポンサーに配慮しないといけない。具体的には、ライバル商品が画面に映るのはNGだし、例えば、刑事ドラマだと、殺害方法までスポンサーに考慮しないといけない。自動車会社がスポンサーだとひき逃げはNGだし、製薬会社だと毒殺はNGだ。結局、それがエスカレートすると、大半の刑事ドラマの殺害方法は、無難な「撲殺」にならざるを得ない。
気が付けば、日本のテレビ局は無難な番組しか作れなくなっている。番組のクオリティは低下し、そうなるとDVDも売れないし、当然、海外へも売れない。

とはいえ、番組プロデューサーとしては視聴率が欲しい。そうなると、いかにして視聴者に見てもらおうかと、今度は“小手先”で視聴率を稼ごうとする。
それが、先の章でも触れた、CM前に煽りを入れてCMまたぎをやったり、番組終盤にCMをまとめて入れたり、バラエティ番組でやたらにテロップを投入したり――といった小手先の方策である。
それらは、ザッピングする視聴者を一瞬引き止める効果はあるかもしれない。でも、長い目で見れば、結局は番組のクオリティ低下に加担しているだけである。
いわば、“負”の連鎖である。

それに対し、アメリカの番組は、CMは一定の区切りで淡々と入るし、トークの内容をテロップで煽ることもしない。番組全体として、落ち着いて見てほしいという制作側の姿勢が伝わってくる。
そうなると、視聴者も、日本のように過度にザッピングしなくなる。(指南役著「テレビは余命7年」大和書房)

放送と制作の分離

また、アメリカでは、放送局と制作会社は対等だという。
70年代初頭までのテレビ業界は、3大ネットワークが強権を握る世界だった。およそフェアな市場とは言い難かった。
そこで、アメリカの放送行政を担当するFCC(連邦通信委員会)は、「フィシン・ルール」と「プライムタイム・アクセス・ルール」という2つの法律を制定したのである。

順に説明しよう。まず、フィシン・ルールとは、正式名称を「ファイナンシャル・インタレスト&シンジケーション・ルール」と言って、簡単に言えば、放送局が番組を売ることを禁じ、番組の著作権は制作会社が持つ――とした法律である。
つまり、番組は制作会社が作り、かつ著作権も保有する。対して、放送局は制作会社から番組を買い、それを流す、と。
そう、この法律の制定により、制作会社はそれまでの“受注生産”ではなく、自らプランニングし、番組をセールスする立場になったのである。
その代わり、放送局は、これまでの制作費よりも安い番組のファーストラン(最初の放映権)を購入できるようになった。例えば、1億円の予算で作られた番組なら、7000万円で購入できる。著作権を保持しないので、市場原理的には相応だろう。


でも、それでは制作会社は赤字になってしまう。
じゃあ、彼らはどうやって赤字分を補てんするかというと、全米のローカル局に「再放送」の権利を何度も売るのだ。また、日本のテレビ局と同じようにDVDを販売したり、海外へ売ることだってある。そうして制作費を回収してしまえば、あとは売れば売るほど儲かる一方だ。
そのようにして、制作会社は次第に力をつけていった。

もっとも、この法律制定の背景には、70年代初頭、斜陽化しつつあったハリウッドの事情もあった。当時、映画産業は不振で、倒産寸前の映画プロダクションを救済すべく、強力なロビー活動があったともいわれる。
事実、この法律制定を機に、ハリウッドのプロダクションはテレビ制作に進出して完全復活。今では映画ばかりか、テレビ番組の制作においても彼らは巨大なシェアを誇るまでになっている。

さて、もう1つの法律が、「プライム・タイム・アクセス・ルール」である。
この法律、夜19時から20時までの1時間を、ローカル局は系列(ネットワーク)の番組を流してはいけない――とした法律である。
つまり、各地方局は、その1時間は自ら番組を制作しないといけなくなった。その背景には、ローカル局に“地力”をつけさせようというFCCの狙いがあったと言われる。

とはいえ、日本でいえばゴールデンタイムにあたるそんなドル箱の時間帯に、ローカル局が低予算で作った番組など、見てくれる視聴者などいるはずもない。そこで――ローカル局は、“市場”を通じて番組を購入するようになった。その市場を「シンジケーション」と呼ぶ。
シンジケーション。
聞き慣れない用語だと思う。
実は、これがアメリカのテレビ界の最大の特徴と言っていい。簡単にいえば、テレビ番組を自由に売り買いできる市場である。

実は、アメリカは日本と違い、ローカル局は所属するネットワーク(キー局)の番組だけを流しているわけではない。
日本の地方局はキー局に全面的に縛られているが、アメリカではローカル局とキー局は、基本、対等な関係にある。他のネットワークに魅力的な番組があり、条件が整えば、系列を乗り換えることだってめずらしくない。その点はすごく柔軟である。さすが、市場原理の国である。

そもそもアメリカでは、キー局が配信する番組は、朝のモーニングショーと夕方30分の全国ニュース、そしてプライムタイムと呼ばれる20時から23時までの番組に限られる。なので、それ以外の時間帯については、ローカル局は各々、市場(シンジケーション)を通じて番組を買うしかないのだ。
その際、ローカル局はネットワークに縛られずに番組を購入できる。もっとも、そもそも制作会社から買うので、そんな縛りは意味がない。当然、視聴率が欲しいから、ネットワークに関係なく、視聴率の取れそうな人気番組を購入する。例えば、NBC系列のローカル局が、ABC系列で流されたドラマを購入して流すことも珍しくない。日本で言えば、フジテレビのドラマを、TBS系列の地方局が再放送するようなものである。(指南役著「テレビは余命7年」大和書房)

90年代には、この2つの法律は廃止されたそうだが、このシンジケーションはアメリカではなくてはならない存在になっているという。制作会社は、キー局の意向にとらわれず、自由に面白いコンテンツを競って作っているのだ。日本でも海外ドラマが放送されるが、いつもシーズン終わりになると、とんでもない事件が起こり、新しいシーズンが制作されずに打ち切りになってしまう例が多いのは、それだけアメリカのドラマの競争が激しいゆえか。スポンサーや局の意向で無難な番組を見せられている日本の視聴者から見ると、何ともうらやましい限りである。
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