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素人だから言えることもある

朝日新聞は、今、何を考えているか・6(ホームサーバの戦い・第107章)

今朝、佐々木俊尚氏のツィッターを見ていると、こんな文章が

朝日のTwitter連携、こちらに記事全文が。私の長いバージョンの談話も掲載されてます。/朝日新聞デジタル:記者、つぶやく つながる ツイッター開始、読者と対話 http://j.mp/zQaUpf
(http://twitter.com/sasakitoshinao/status/167390444999811072)
長いバージョンの談話という言葉から、新聞紙上には短いバージョンが載っていることになる。そこで、どこが省略されているかを調べてみた。

まず、新聞紙上から

炎上恐れず生身の声を

ネットメディアに詳しいジャーナリストの佐々木俊尚さんの話

人々の価値観が割れ、マスメディアが一方的に世論を集約できる時代は終わった。記者一人ひとりが専門を生かした「ミドルメディア」となり、読者と対話しながら判断材料を提供する時代になる。

記者ごとに意見が違ってもいい。むしろ、記者同士が議論し合って、その過程をネットで公開し、透明化するべきだ。人々は完成された「冷たい記事」ではなく、生身の声を求めている。専門記者を積極的に育て、それぞれにフォロワーが付けば、総体としての新聞社への評価は高まる。


炎上は当然起きる。でも恐れる必要はない。面白半分に騒ぐ人々もいるが、多くは静かに記者のつぶやきを吟味している。ネットの向こうの人々を信じ、つながることに、新しいジャーナリズムの可能性がある。(2012.2.9朝日新聞37面)

次にネット全文、新聞に載ったところを太字にした。
■「炎上恐れず生身の声を」

朝日新聞の「記者ツイッター」の取り組みをどう見るか。自らもツイッターで発信しているジャーナリストの佐々木俊尚さんに聞いた。(アカウント @sasakitoshinao)

――「記者ツイッター」が登場する時代背景とはなんでしょう。


放射能リスクの評価や、環太平洋経済連携協定(TPP)への賛否、「ハシズム現象」など、人々や社会の価値観の分裂が鮮明になっている。かつてのように、新聞社などマスメディアが一方的に世論を集約できる時代は終わった。
受け手の関心に応じて、記者一人ひとりが専門を生かした「ミドルメディア」となり、読者と対話しながら判断材料を提供する時代になる。ツイッターなどSNSが変化を後押しするだろう。

――これまで新聞は、記者個人の意見が前面に出ることに慎重でした。

社論を無理に統一せず、記者ごとに意見が違ってもいい。むしろ、記者同士が議論し合って、その過程をネットで公開し、透明化するべきだ。私も新聞記者だったが、ブログやツイッターなどネットの文章と比べて、新聞記事完成されていて「冷たい」印象があることに気付いた。議論したり、感想を述べ合ったり、コミュニケーションをする余地がない。人々が求めているのは、記者の生身の声なのに。
ただ、自分の言葉を求められる分、記者の責任は重くなる。新聞社も専門記者を積極的に育てなければならない。会社が前面に出なくても、記者個人それぞれにフォロワーが付けば、総体としての新聞社への評価は高まる。

――炎上トラブルの懸念はありませんか。

炎上は当然起きる。でも恐れる必要はない。やっているうちに使いこなし、批判への耐性もついてくる。新聞記者の発言にからみ、面白半分に騒ぐ人々もいるが、それが多数ではない。
多くは静かに記者のつぶやきを吟味し、そこに価値があれば支持してくれる。ネットの向こう側にいる人々を信じ、つながっていけば、対話を通じて情報も入ってくる。そこに、新しいジャーナリズムの可能性があるはずだ。 (記者、つぶやく つながる ツイッター開始、読者と対話)

もちろん、限られた紙面なので、編集することはやむを得ない部分もある。ただ、今回のエントリーのように、オリジナルの文章をネットに出し、紙面では編集された文章を出すことによって、読者はどのように編集されていたかを知ることができる。開かれた新聞に向かって多少なりも一歩進んだと考えることもできるだろう。

だが、そのような例は今回のように非常に限られている。ましてや、朝日新聞は、今、何を考えているか・5(ホームサーバの戦い・第106章) で指摘したように、閉じられた新聞のツィッターでは、購読者のみの単なるサービスにすぎない。まるで朝日新聞ファンクラブのような購読者(ファン)と記者の自己満足な交流に見えてならない。

本当に記者を育てたいと思うなら、朝日新聞は、今、何を考えているか・5に引用した

わたしは新聞社を経営しているわけじゃないので分からないが、もしわたしが経営者なら次のようにします。まず記者全員にウェブログを開設するように命じます。それから読者にもウェブログを開設するように勧めます。エディターに記者と読者のウェブログの両方を読ませ、エディターのウェブログ上で面白いニュースへリンクを張らせるようにします。記者の情報、読者の情報は問いません。重要な方、面白い方の情報にリンクを張るわけです。読者と同じ程度の情報量や分析力さえ持たない記者のウェブログにはリンクが張られなくなる。その記者は廃業です。読者が集めてこれない情報、オリジナルな視点、解説を提供できる記者だけが生き残れるのです。これが読者を巻き込んだ新しいタイプのジャーナリズムの形です。(共同ブログ騒動にみる参加型ジャーナリズムの形)
という形で、読者と記者の能力を競わせるべきだと思う。
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