夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ボロをまとったマリリン・モンロー

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」より


映画「はやぶさ 遥かなる帰還」を見てきた。はやぶさの映画は3本作られている。去年10月に公開されたFOX版「はやぶさ/HAYABUSA」、今回は東映版「はやぶさ 遥かなる帰還」、来月上映される松竹版「おかえり、はやぶさ」である。基本となるストーリーは変わらないので、それぞれの映画の切り口を楽しむということになる。

ところで、この三作にはモデルとなる川口淳一郎プロジェクトマネージャーが主役級で登場する。それぞれ微妙に名前が違う。川渕幸一(佐野史郎)-FOX版、山口駿一郎(渡辺謙)-東映版、江本智彦(大杉漣)-松竹版である。川口淳一郎氏の写真を見る限り、佐野史郎氏が一番似ている。

さて、FOX版「はやぶさ/HAYABUSA」については、映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話というエントリーを書いている。映画の中で、2回ほど繰り返されたので、心に残ったのである。

今回、記憶に残ったのが、「ボロをまとったマリリン・モンロー」という言葉である。日経の映画・エンタメガイドで

ボロをまとったマリリン・モンローだな――」。映画の冒頭、「はやぶさ」管制室を訪れたNASA(米航空宇宙局)の関係者は思わずこう漏らす。技術は一流、だが設備は老朽化している様子を表現したものだ。この発言はノンフィクション作家・山根一眞氏による原作「小惑星探査機はやぶさの大冒険」に記されている。(青く静かに燃える、骨太の人間ドラマ『はやぶさ 遥かなる帰還』)
そこで、原作を読んでみる。この本は、山根氏のリポート記事とインタビューで構成されている。
打ち上げ前にちょっとのぞいた「追跡管制室」は、古びた工事現場の作業員宿舎のような建物だった。小さなドアを開けると、ふつうの家庭の玄関ほどのたたきにチームの人々が脱いだ靴がぎっしりと並んでいた。そこで、緑色のスリッパに履き替える。中は学校の教室よりも狭い部屋にコンピュータのモニターなどがずらりと置かれていた。真ん中にはこれも古びた会議テーブルがあり、飲みかけの茶碗や灰皿が見える。本当にここが小惑星探査機を宇宙のはるか彼方へと送り出す管制室なのかと思う。NASAの視察者にも、「ここが本当にコントロールセンターなのか?」といわれたという。そして、こういわれた。「ここはボロをまとったマリリン・モンローだ」

マリリン・モンローは、1950年代のアメリカで絶大な人気を集め、ケネディ大統領の恋人だともいわれたセクシーな大女優だ。なるほど、まさにそんな感じ。「中身はすばらしいが外見はボロボロ」ということだ。

この管制室でモニターなどに向かっているチーム全員が、「宇宙研」と書いた黄色のヘルメットを被っているのが不思議だった。打ち上げの管制室が巨大な要塞のようなコンクリートで守られている種子島宇宙センターでは見られない光景だ。ここでは、万一、ロケットが打ち上げに失敗して空中で爆発すると、その破片が飛んできてこの管制室の建物の屋根を突き抜けてくるおそれがある。この建物なら、簡単に突き抜けるだろう。その備えのため、この管制室では打ち上げ後までヘルメットが欠かせないのである。日本の経済力(GDP)はアメリカの約3分の1だが、宇宙予算はアメリカの10分の1。しかも年々宇宙予算は削られる一方で、とりわけ経済に直結しない科学研究目的の宇宙研の予算は語るも涙、聞くも涙の状態が続いている。(山根一眞著「小惑星探査機はやぶさの大冒険」マガジンハウス)

この「ボロをまとったマリリン・モンロー」といったNASAの視察者とはだれか。はやぶさで88万人の名前のプレートを集めて「小惑星イトカワに行こう」というキャンペーンがあった。署名したプレートをイトカワに置いていくものである。海外からの申請が多かったのは、10万人以上の会員を持っているアメリカ惑星協会の尽力によるものだという。そのプレートに名前を寄せた一人がそのNASAの視察者だった。
はやぶさ」打ち上げの4年前、1999年にNASA宇宙科学局長として内之浦宇宙センターを訪ねたウェンズリー・ハントレスさん(現カーネギー研究所)の名もあった。内之浦の宇宙センターを見学したハントレスさんは、M-Vロケットや管制システムなどを高く評価し、「日本の宇宙科学の未来は非常に有望で、21世紀に入っても大いに協力を深めていきたいが、ロケットや組立室の充実度に比べて、建物の老朽化が激しい」と感想を述べ、こう口にした。
ぼろをまとったマリリン・モンローみたいだ
そう、あの名言を残していった宇宙科学者なのである。(山根一眞著「小惑星探査機はやぶさの大冒険」マガジンハウス)

研究者とメーカー社員

今回の「はやぶさ 遥かなる帰還」の特徴として、JAXAの研究者の他にNECなどのメーカーの社員が宇宙研に派遣されている。この映画を監督している瀧本智行氏のインタビューがあった。なお、冒頭にストーリーの説明がある。
男同士のシーンでは、JAXAの藤中(江口洋介)とNECの森内(吉岡秀隆)の二人のシーンも印象的だ。二人は大学院で共にイオンエンジンを研究し、いまは研究者と企業の社員という異なる立場で「はやぶさ」プロジェクトに関わっている。脚本の西岡氏が周辺取材を進める中で惹かれていったエピソードの1つから発展していったそうだ。

瀧本 JAXAの研究者はリスクに対して割と積極的にアクセルを踏む側で、メーカー側はリスクに対してブレーキを踏んでいかなくてはいけないという話があり、面白いなと思いましたね。同じ目標を持って誰もが大成功を収めればいいと思っているにも関わらず、リスクに対するベクトルの違いから衝突が起きる。このプロジェクト全体を複眼で見られるという点でも、二人の役を大きくフィーチャーしていきたいと思いましたが、最終的に二人のシーンにいろいろなことが凝縮され、映画に広がりを与えてくれました。あまり宇宙開発とかよく分からない人でも、会社や何らかの組織の中で働いている人たちなら、誰かに共感できるのではないかと思います。 (『はやぶさ 遥かなる帰還』瀧本監督「組織で働く人なら共感できるはず」)

映画「はやぶさ」の「失敗は成果だ」という話でも、JAXAの研究員はいかに前向きかについて書いている。
その宇宙研の文化や気風は、私の目にはとてもユニークなものに映りました。私も大学を卒業したばかりで、社会に出たことがないので、社会の標準は知らないのですが、それでも宇宙研はユニークに思えた。そこにいる人たちは変人ばかりに見えたのです。実際に本当に変わった、いい意味での変人ばかりだったと思います。


どんなところがユニークだったかというと、非常に前向きで、悲観的な考え方がまるでないのです。「できる」ということを最優先で考える。たとえそれに多少の問題があったとしても、やろうとしていることができるのだから、それでいいじゃないか、ということです。マイナス面に目を向けるのではなく、プラスを見る。(川口淳一郎著「高い塔から水平線を見渡せ!」NHKテレビテキスト仕事学のすすめ2011年6月)

研究者は常にチャレンジングで、メーカー社員は、できるだけリスクを減らそうとする。

これで思い出すのは、昨年、直木賞を取った池井戸潤氏の「下町ロケット」である。ロケットエンジンの研究者であった主人公の佃は、父親の死で小さな鉄工所の社長になった。それでも宇宙への夢はあきらめられない。研究開発のために資金繰りに走る毎日だった。銀行から鉄工所に出向している社員が言う。

「社長、社内では誰もいわないから私が言うしかないと思って、それでいいます。社長はまだ研究者だったころの夢が忘れられないんですよ。だけど、もう社長は研究者じゃない。経営者なんです。社長は私ひとりが研究をこころよく思っていないと考えているかも知れませんが、社内には同じ考えの者が何人もいます。せっかく上げた利益が研究費に消えていく――そう彼らは思ってます。社長がいうように研究開発の成果が今の売上に結び付いていると理解しているものはむしろ少数です。このままだと社内、バラバラになってしまいますよ。ですから――研究開発を止めないまでも経営資源をもっと他のところへ回しませんか。水素エンジン絡みとかじゃなくて、もっと実用的なエンジン構造にテーマを絞れば社内もまとまるし、本当に実利に結び付くものになると思うんです。そうしましょう、社長」(池井戸潤著「下町ロケット」小学館)
この主人公は、研究者と経営者の両面で悩んでいた。
俺はな、仕事っていうのは、二階建ての家みたいなもんだと思う。一階部分は、飯を食うためだ。必要な金を稼ぎ、生活していくために働く。だけど、それだけじゃあ窮屈だ。だから、仕事には夢がなきゃならないと思う。それが二階部分だ。夢だけ追っかけても飯は食っていけないし、飯だけ食えても夢がなきゃつまらない」(池井戸潤著「下町ロケット」小学館)
夢を持たない人間には、ロケットなんて想像もできないだろう。たとえ、住まいがお粗末ならなおさら。

ブログパーツ