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素人だから言えることもある

震災から1年、日本人は何を学び何を見失ったか

我慢と頑張る

3.11の東日本大震災から1年。テレビでは、震災特集のオンパレード。1年もたつのに、復興は進まない。東北人は、我慢強いといわれる。また、人々がかける言葉は「がんばれ」と。テレビメモ「怪獣」と「我慢」(3)雑感・「我慢」編で、「我慢」と「頑張る」の語源について調べている。

我慢【意味】我慢とは、堪え忍ぶこと。辛抱すること。
【我慢の語源・由来】
我慢は、仏教語で七慢のひとつで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」である。
その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義語であった
そこから意味が転じ、我慢には「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになった。さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、近世後期ごろから、現在使われている我慢の意味となった。(我慢)

頑張る【意味】頑張るとは、困難に耐え、努力してやり通すこと。
【頑張るの語源・由来】
頑張るは、江戸時代から見られる語で、漢字は当て字である。
頑張るの語源は、二通りの説がある。
ひとつは「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説で、「目をつける」や「見張る」といった意味から「一定の場所から動かない」という意味に転じ、さらに転じて現在の意味になったとする説。
もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の「我を張る(がをはる)」が転じ、「頑張る」になったとする説である。
眼張る」の説が有力とされるが、東北地方の方言「けっぱる」は「気張る」から、「じょっぱり」は「情張り」からであるため、「我を張る」の説が間違いとは断定できない。(頑張る)

この二つの言葉には、「我」がキーポイントになってくる。つまり、結局「我=自分」の問題に矮小化しているのである。しかし、これほどの震災になると、「我慢」も「頑張る」も限界がある。当然、国を挙げての支援が必要だが、なくした命は戻ってこない。そうなると、今までの生活自体を見直して、ほかの場所で新しい街を作っていく覚悟が必要なのではないだろうか。

安心と安全の乖離

今まで、日本人は「安心」の元に「安全」の方策がなされているのではないかと誤解していた。たとえば、原発安全神話である。それについては、「見えないから安心」と「見えたから不安」シリーズで考えてきたこと、
見えないために、言い換えれば、知らされないために、安心だと思ってきたことが見えてきたためにかえって不安を増幅するという現実が起こったのである。普通は、「見えないから不安」とはいうが、現在起こっているのは「見えたから不安」ということである。
日本は地震国である。その程度は、予想してきたはずだ。だが、なぜか「安全神話」の名のもとに、そこまで考える必要はなかろうと思い込んできた。クローズアップ現代小松左京が特集された時のエピソードを思い出す。小松左京は1本の電話で驚かされたという。阪神大震災の時の話である。
NA 親友である石川さんはそのころ、小松さんからかかってきた一本の電話が忘れられないといいます。
理論上、倒れないといわれた高速道路がなぜ倒れてしまったのか。
小松さんは、ある高名な研究者に共同検証を申し入れました。しかし、その申し出は思いがけないひと言で断られたといいます。
地震が、私たちが考えるよりはるかに大きかっただけです。私たちに責任はない。」
石川 学者が「俺の責任じゃない」という(発言は)小松左京という人格にとって、信じられないような答えだったと思う。
おそらく彼の心がピシャッとつぶれたきっかけになったと思うのですよね。なんか彼が信じて生きてきた、人間の基本を壊されたと思うんだ。(抜き書き「想像力が未来を拓(ひら)く 〜小松左京からのメッセージ〜」)
専門家である学者が想定外の被害まで考えないで、誰が考えるのだろうか。今回、学者たちが「想定外」という言葉を連発しているのを考えると、彼らもまた「安全神話」にたぶらかされていたのだと考えざるを得ない。そういえば、「日本沈没」の発想の元も、
そもそも昭和48年(1973年)に出版された『日本沈没』第一部を書きはじめたのは、昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年だった。悲惨な敗戦から20年もたっていないのに、高度成長で浮かれていた日本に対して、このままでいいのか、ついこの間まで、「本土決戦」「一億玉砕」で国土も失いみんな死ぬ覚悟をしていた日本人が、戦争がなかったかのように、「世界の日本」として通用するのか、という思いが強かった。(小松左京・谷甲州著「日本沈没 第二部」小学館・あとがきより)(追悼・小松左京(現実がひっくり返る年・5) )
「安心」は住民の感情である。「安全」は専門家の方策である。安心と安全は両立しないで、僕は、中谷内一也教授の「リスクのモノサシ」からこんな言葉を引用している。
では、なぜ安全と安心がセットで追及されるのだろうか。それは、一方が現実の状態を表し、もう一方が心の状態を表す、別のことがらだからであり、それに加えて、両者は必ずしも連動していないからである
もし、災害が減少し世の中が安全なものになるにつれて、人々の不安も取り除かれ安心も高くなるのであれば、両者をセットにする必要などない。政府や企業は単に安全だけを高めれば人々の安心がついてくるはずである。
しかし、実際にはそうは行かない。だからこそ、安全とは別に、安心も謳っているのである。政府や企業の立場では、安心という心の状態にアプローチできなければ、政策や商品への支持につながらず、安全を高めるだけで満足しているわけにはいかないのである。 (中谷内一也「 リスクのモノサシ 」NHK ブックス)
安全性を高めようとしたいと思っても、住民たちの努力では限界がある。そこに専門家が存在する価値がある。ところが、専門家自体が「安全神話」にたぶらかされていては、何が安全なのか分からなくなる。小松左京がわずか20年で「世界の日本」とのし上がったことに対して危機感を持っているのかと疑問に思い、書いたのが「日本沈没」であった。

世界から見た日本

在、エントリーランキングでいつもトップになっているのは、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(1) である。小松左京が疑問に思った日本人を海外からうかがっていたのが、ドナルド・キーン氏である。僕は、ドナルド・キーン氏は日本人の何に感動したのか(2) で、こう書いている。
謎のほうは

米英撃滅、そういうことを合言葉に戦争にひた走った日本、そして、戦争が終わった途端に一転して熱狂的なアメリカ崇拝に日本人は変わっていった。こうした日本の極端から極端へと変わっていく日本人」(国谷裕子キャスター)

ということである。変わり身の早さと、変わらぬ庶民性、この矛盾した両面が日本人には同居している。

この矛盾した側面が日本人の特徴であった。マイケル・サンデル教授も
「日本の混乱の中での秩序と礼節。悲劇に直面しての冷静さと自己犠牲、静かな勇敢さ。これらは、まるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」(抜き書き・マイケル・サンデル 究極の選択「大震災特別講義〜私たちはどう生きるべきか〜」(1) )
ニューヨークタイムズの記事を通して語っている。だが、このほめそやした記事も、結局「我慢」と「頑張る」の言葉に集約できる。「我慢」と「頑張る」をぎりぎりまで追いつめてしまうと、東北人は一瞬で変わってしまうかもしれない。政治家や専門家がその官僚主義を脱して、本当に住民の限界に対応しない限り。
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