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素人だから言えることもある

人間、この不思議な存在

出産の困難さ

海堂尊氏の「ジーン・ワルツ」を読んだ。主人公は帝華大学医学部産婦人科助教授の曾根崎理恵。大学では「発生学」を担当している。その講義の内容が興味深かった。
理恵は黒板に向かって大きな丸を描いた。その円は正円ではなく、横長の楕円だった。
「さて、この楕円は一体何でしょう」
理恵の問いかけに、最前列の金田が即答する。
「医学のたまご」
「残念でした。はずれ、です」
理恵は微笑を浮かべて、続ける。
「ここに描いたのは、女性の骨盤腔の模式図です。この横長の部分が、もっとも広い部分になります。そして、赤ちゃんは、一番広い部分をこの骨盤の長径に合せて生まれ落ちてきます」

最前列に座った眼鏡の女子学生、鈴本が尋ねる。
「あの、イメージが湧かないんですけど」
「つまりね、赤ちゃんの頭も大泉門と小泉門を結ぶ線が長いんです。だから、そのラインとお母さんの骨盤の長径が一致するように、ぐるぐる回りながら出てくるんです」
「ぐるぐる回りながら?」
金田がいつものようにすぐつっこむ。
「赤ん坊って、すぽーんって出てくるのではないんですか?」
満員の学生たちが一斉に笑う。理恵も笑顔になる。


「そういう風に思っている人も多いでしょうね。胎児の頭の長径と母体の骨盤を一致させるわけだから、ぐるりと回ってでてくるんですよ。まず、お腹の赤ちゃんはうなずきます。首をすくめるわけね。そして、横を見ながら骨盤の底にはまりこみます。そうすると、骨盤の長径に導かれるように、頭をぐるりと回して、母胎の肛門側を見る向きに回転します。産道に合せてのけぞり、産道の出口から頭を出します。頭が出切ると、また半回転して、今度は一番長い肩を結ぶラインを長径に合せるために、また横を向く。こうやって赤ちゃんはぐるりぐるりと回りながら、お母さんの産道をくぐり抜けて行くんです」
最前列の金田は、しきりにのけぞったりうなずいたりして、その様子を再現している。理恵はそれを見ながら、続ける。
「こうした過程がひとつでも狂うと、それは異常分娩になる。そうなると大変だから、帝王切開などを考慮しておかないと危険になるんです」
理恵は、産道の通り道にそれぞれバツ印を書き込んでいく。
「こうした分娩異常には、いくつかありますけど、一番有名なのは骨盤位。つまり逆子ね」
理恵は、母胎の横断図の模式図を描いてから、頭を上にした子どもの絵を描く。
「骨盤位は、たいてい帝王切開になります。特に初産婦の場合はね。なぜ難しいかというと、一番大きな頭が最後に出てくるので、途中でつっかかる可能性が高いからなんです」
理恵は胎児のバリエーションを描く。
「ほかにも、腕がばんざいをしていたりとか、出しにくい形になりやすいから、自然分娩はとても難しいわ」(海堂尊著「ジーン・ワルツ」新潮社)

この胎児が回転しながら出産するという話は、NHK「ヒューマン」覚え書きで引用した言葉にも重なる。

この世に生まれてくるとき、人間ほど危険と隣りあわせで、人間ほど苦労をする動物はいない。祖先が直立二足歩行を始めたために骨盤の形が変わり、頭も大きくなった。そのため、人間の赤ん坊は回転しながら産道を通っていかなければならない。はじめは母親の腹側を向いた状態にあるが、生まれる直前に回転して横向きになる。その後、さらに 90 度回転し、母親の背中側を向いて生まれてくる。逆向きに回ってしまうと、産道の急カーブで赤ん坊の脊椎が後ろ側にねじれ、重い損傷を受けるおそれがある。

ゴリラやチンパンジーの出産はこれほど大変ではない。類人猿はしゃがむか四つんばいになって子供を産む。産道は人間に比べるとかなり広い。頭も小さいので、胎児は母親の腹側を向いた状態でいられるうえ、自力で産道から体を引き出そうとまでする。胎児が産道をゆっくりと落ちてくるとき、母親が手を伸ばしてうまく導いて外に出してやることも多い。 (チップ・ウォルター著/梶山あゆみ訳「 この 6 つのおかげでヒトは進化した 」早川書房)

なぜ、これほど人間の出産は難しいのか。

人間はチンパンジーより多産だった

NHKから出版された「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」によると、
ヒトの出産がほかの霊長類と異なるようになったのは、二足歩行を始めた結果だと考えられている。森を出た祖先は、およそ700万年前に直立歩行をはじめた。そのために、骨盤が変形し、いまのような狭い形になったのだ。さらに加えて、脳は拡大の一途をたどる。大きな脳を持つ胎児と直立歩行に適した骨盤が、ヒトの出産を困難なものにしたのだ。

それは予期せぬ変化だったと、(アメリカデラウェア大学古人類学者、カレン・)ローゼンバーグ博士はいう。
「ヒトの場合、出産の制約要因は複数あります。二足歩行、大きな頭と幅広い肩、それに無力な赤ん坊です。人類の歴史上、最初に二足歩行という変化が起き、はるか後に大きな脳の拡大が起きました。そのあいだのどこかで無力な赤ん坊という制約も起きました。私たちの祖先は地面を二足で効率的に歩くようになって初めてヒトになりました。その歩行の変化が分娩方法の変化をもたらしたのです」

この出産の違いが、人間の生き方を決めるうえで大きな要因になったとローゼンバーグ博士は考えている。

出産からして、人間はほかの人の介助を得なければならない。介助は、母親や胎児の死亡や怪我などを回避し、妊婦の不安を解消するのにとても役立つ。出産を介助する習慣は世界共通だという。
「難産であるということと同時に、ヒトの赤ん坊は大変脆弱だという特徴があります。簡単に体温を失います。頸筋も弱いです。頭には柔らかい部分があります。ほかの動物にはないさまざまな種類の脆弱性があるのです。脆弱な赤ちゃんと難産。これを乗り越えるためには、他者の介助が必要なのです」(NHKスペシャル取材班著「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」角川書店)

出産は母親一人だけで行うのは難しい。育児にしてもそうだ。一方、チンパンジーは出産も育児も母親だけが行う。
「ヒトの場合、授乳期間は長いですが、ほかの食料も与えはじめます。それが離乳ですね。この離乳では、母親が赤ちゃんに食料を与える責任を持っているのではなく、父親も、祖父も、兄姉も赤ちゃんに食料を与えます。さらに、群れのほかのメンバーも同様に子供に食料を与えることができます。これはほかの動物には見られないことなんです」

しかも、もうひとつのメリットがあった。
「この離乳のおかげで、母親はすぐに次の妊娠に取りかかることができます。子どもが母乳に依存していないからです」
じつは母乳を与えているあいだは、排卵が抑えられ、次の妊娠がきわめて難しくなっている。これは母体の耐えられる負担を超えて妊娠しないようにする仕組みとなっているのだ。

そのことで、何が起きたのか。
「ヒトはチンパンジーと比べてたくさんの子どもを出産することができます。多産なのです」

ヒトが多産と聞くと、まさかと思ってしまう。少子化で悩む日本など、どういうことかという感じだ。でも、これは意識的に産まないだけ、産もうと思えば、産める。私たちは霊長類のなかでは生物としての多産能力が高いのだ。それはチンパンジーとして比較すれば明らかだ。

チンパンジーは5年間、大事に育てて、なんとか独り立ちした次の子どもを持つ。そのサイクルを基本的には繰り返すのだ。
チンパンジーは50年ぐらい生きるが、10代で子どもを産みはじめて、20代、30代、40代でも産む。だから、いわゆる祖母という意味でのおばあさんはいない。人間のように、子どもを産み終わった女性がそれからも長い人生があって、孫の世話をすることもないのだ。
もしも人間がチンパンジーのように1人ずつ育てていけば、出産間隔は相当に開く。(NHKスペシャル取材班著「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」角川書店)

ここで、NHKのスタッフはチンパンジー研究の権威、京都大学霊長類研究所所長の松沢哲郎博士に聞いている。
松沢さんに再び登場してもらおう。
「チンパンジーは5歳になると、母親のそばにはいますけれども、自分で木に登り自分で木の実を食べることができます。人間は、もっとかかるでしょう。小学生の3〜4年生ぐらいまでは、十分な世話が必要だとすると、8年とか9年になってしまいます。チンパンジーと同じように育てていると、8年間隔でしか子どもが産めないということです。それだと種を存続させていくのは難しいはずです」(NHKスペシャル取材班著「ヒューマン なぜヒトは人間になれたのか」角川書店)
人間は、初めから多くの誰かの手助けがないと生きていけないようになっていたのだ。

人類進化の4つの謎

たまたま、図書館で「進化の傷あと」(エレイン・モーガン著/望月弘子訳/どうぶつ社)という本を読んだ。1999年の本だから最新の学説ではないし、この著者の学説が正しいとは限らない。ただ、ここに書いてある4つの謎というのは面白い。
人類関する最大の謎は、以下の4つである。
(1) なぜ二本足で歩くようになったのか?
(2) なぜ体毛を失ったのか?
(3) なぜ脳がこれほど大きくなったのか?
(4) なぜ言葉を話すようになったのか?( エレイン・モーガン著/望月弘子訳「進化の傷あと―身体が語る人類の起源」どうぶつ社)
人間の出産の困難さは、この4つの謎のうち、(1)と(3)が関係している。大きな頭を持った胎児を直立歩行によって骨盤が変形し、回転しながら出産するという形を取らざるを得なかったからだ。

二足歩行の困難さ

四足なら、体が安定する。しかし、それでは手が使えない。二足歩行で両手が使えて初めて、道具を作ることができたのである。この二足歩行の困難さを改めて体験した人がいる。ホンダのロボット、アシモを作ったホンダの開発者たちであった。僕は、「アシモとアトム」で、アシモの開発の発端を描いたが、今回は開発ストーリーから、
人間は「動歩行」をしている。
ロボットを人間のようにすたすた歩かせるためには「静歩行」ではなく、敢えてバランスを崩しながら推進力を得る「動歩行」が必要であることは分かっていた。しかし、人間サイズのロボットを動かすための動歩行の実践的研究はなく、ましてや測定値や実験データは皆無という状況だった。
「人間はどうやって歩いているのだろう」

それまでは意識しなかったほど、素朴な疑問が、開発チームのまえに浮かび上がった。
広瀬たちが選んだ手段は、あらゆる動物の歩行を観察し、自らを実験台にして人間の歩行の仕組みを確かめることだった。データがないのなら、自分たちで集めるしかなかった。
そろそろ冬の寒さが忍び寄る平日の昼間、ビデオカメラを持って動物園に出かけ、ダチョウやツル、キリン、カバなど、ありとあらゆる動物の歩行動作を撮影した。昆虫を買ってきて、足の仕組みをじっくり調べたこともあった。

人間はどの筋肉を使って歩いているのか?このしくみを知るための最適な方法は、歩きにくい状態で歩いてみることである。整形外科の医師に「麻酔を打てないか」と掛け合ってみたが「元に戻らない可能性があります。危険ですからそれだけはやめてください」と止められた。

身体をガムテープでぐるぐる巻きにするなど試行錯誤した末に、整形外科できちんと全身の型を取って、身体に合うコルセットを製作してもらった。足だけを動かして歩行する様子を観察するため、肩と腰の部分をすべて固定したうえ、各々の部位に長い棒をつけて目立つように工夫し、歩行に最低限必要な器官を探った。

当時、ミイラのようにテープを巻きつけたり、珍妙な鎧をつけて歩くメンバーの姿は社内でも異様に見られることは間違いなく、すごく恥ずかしかったが、一生懸命に実験を続けた。みんな必死だった。(凡平著「解剖!歩くASIMO二足歩行ロボット・アシモ 歩行システムの秘密」技術評論社)

ロボットを研究することは人間を研究することである。人間の行動を観察して初めて、ロボットの機能に置き換えることができる。
2本足で歩いているASIMOを見ると、ロボットが2足で歩くのはたやすいことに見える。しかし、実際には無謀ともいわれるほどの挑戦だった。
みなさんも、条件をいろいろと変えて歩いてみよう。
両手を振らずに。目をつぶって。1本足で。それから、板で関節を固定して。
こうしてみると、歩くにはなにが必要かというヒントが得られるはずだ。
平衡感覚(加速度、角速度、体性感覚)、視角、衝撃をやわらげるしくみ……など、思いつく要素をあげてみてほしい。

さて、ホンダのロボットチームはどうしたか。これまでの研究から、足の指はなくても歩行に支障はなく、むしろ指のつけ根や、かかとの上の関節が体重を支えるのに重要な役目をはたしていることがわかった。この足関節がないと床にぴったり接地できず、前後の安定にも弱い。また、ひざの関節がないと階段の昇り降りや平地歩行の実験から関節の動きを測って、それぞれの動く範囲を決めた。足の寸法や重さ、重心の位置も人間の身体を参考にしている。

このようにしてできた足を動かすのに欠かすことのできないのが、センサーだ。
まず、私たち人間は3つの平衡感覚をもっている。1つは耳の中にある耳石による加速度センサー。2つ目はこれも耳の中にある三半規管による上下左右などの角速度のセンサー。3つ目は筋肉や皮膚などにある深部知覚とか体性感覚と呼ばれるセンサーで、これは間接の動きの角度や速度、筋力、足裏の圧力の間隔(圧覚)、皮膚の触覚などを総合したものだ。
これに加えて、重要なものに視角がある。視角は3つの平衡感覚の補助や代わりのはたらきをしたり、脳に移動情報を送ったりしている。

こうしたことから広瀬さんたちは、ロボットが足の運動状態を知るセンサーとして、重力を感じるGセンサー、足にかかる力の方向を感知する6軸力センサー、また姿勢を知るものとして傾斜計、関節角度センサーを使うことにした。 (藤原和博・東嶋和子・門田和雄著「人生の教科書[ロボットと生きる]」筑摩書房)

今回のエントリーでは、人間の「出産」と「二足歩行」の2つの面について人間の不思議な存在について考えてみた。このように、様々な本を読み、文章を書けるというのは、4つ足時代には到底できなかったことであり、大きな頭によって思索を巡らすことができるのだ。
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