夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

「マジョリティ憑依」と週刊誌ジャーナリズム

週刊新潮・齋藤十一氏

佐々木氏から、
「みんなが」と勝手に「幻想の多数派」を代弁する人たちが増えている。/「マジョリティ憑依」が多すぎる - 夢幻∞大のドリーミングメディア http://bit.ly/M0uknO
(https://twitter.com/sasakitoshinao/status/209423475910254592)
というリツィートがあったので、「マジョリティ憑依」という言葉は承認されたと勝手に判断して話を続ける。佐々木氏は、「当事者の時代」で、
これまで長い時間をかけて説明してきたように、メディアの空間は<マイノリティ憑依>というアウトサイドからの視点と、<夜まわり共同体>という徹底的なインサイドからの視点の両極端に断絶してしまっている。この極端に乖離した二つの視点からの応酬のみで、日本の言論は成り立ってしまっている。(「当事者の時代」電子版「終章 当事者の時代に」P94)
と書いているが、新聞ジャーナリズムでは、<マイノリティ憑依>の面が強かったが、週刊誌のような雑誌ジャーナリズムは、むしろ<マジョリティ憑依>の部分も強かったのではないだろうか。そして、この<マイノリティ憑依>と<マジョリティ憑依>の両面を巧みに操ってきたのが日本のマスコミの実態ではなかったか。

というのは、週刊新潮の名物編集者齋藤十一氏の言葉を思い出したからである。読者の中には、「人殺しのつらを見たくないか」という言葉を知っているかもしれない。「編集者 齋藤十一」(齋藤美和編/冬花社)には、さまざまな齋藤氏の名言があふれている。その中から、ノンフィクション作家の佐野眞一氏の「伝説の編集者」では、

見開き二ページで時代がわかる、を謳い文句にした「FOCUS」が創刊されたとき、殺人犯の顔写真を掲載することをためらう編集部員に向かって齋藤が言ったという言葉は、いまや伝説と化してひとり歩きしている。
おまえら、人殺しのツラを見たくないのか」(佐野眞一著「伝説の編集者」より/齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)
週刊新潮の人を食ったタイトル群は齋藤氏の手によるものが多いという。
58年夏、全日空機が下田沖に墜落したとき、「週刊新潮」は乗客名簿を必死で探す新聞各紙を尻目に、その便をキャンセルした乗客を探して話を聞き出し、特集を組んだ。齋藤の発案になるタイトルは、「私は死に神から逃れた 七時三十五分をめぐる運命の人々」だった。
パリ人肉食殺人事件容疑者の佐川一政心神喪失を理由に日本に強制送還されたとき、齋藤がつけたタイトルも語り草になっている。
気をつけろ 『佐川君』が歩いてる」(佐野眞一著「伝説の編集者」より/齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)

齋藤氏が86歳で亡くなった2000年に文藝春秋発行の「Title」に追悼企画として齋藤氏の名言特集を企画したそうだ。

人権よりももっと大事なものがある
俺は頭なんだ 君たちは足なんだ
売れる雑誌より買わせる雑誌を作れ
人間は生まれながらに死刑囚だろ」(佐野眞一著「伝説の編集者」より/齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)
この「編集者 齋藤十一」には、一緒に仕事してきた編集者や作家、カメラマンなどの追悼文が数多く載っている。その本の中で二本のインタビュー記事が載っていた。齋藤氏は裏方に徹していて、なかなか表面に現れることを好まない。それでも齋藤氏の人となりが現れていると思うので、その部分を引用してみる。
―― 部員を集めて編集会議で企画の説明をされる。
齋藤 僕は、編集会議をやったことがない。
―― どうやって企画を部員に伝えるんですか。
齋藤 ここで説明します(別館二階28号室)。今週のプランをね。野平君(注=二代目編集長)、松田君(注=三代目編集長)をよんでね。
―― なぜ他誌にはない企画を思い付くのか。
齋藤 俗物だからじゃないですか。俗物であるということに僕は自信を持っていますよ。僕みたいな俗物はまずいないだろうとね。
―― 「週刊新潮」の狙い目とは。
齋藤 申し上げたように僕は俗物ですからね。俗物が興味を持つものは決まっています。金と女と事件。(「ビジネス・インテリジェンス」誌によるインタビューより/齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)

―― 独裁者だったんですよね、齋藤さんは?
齋藤 そうだねえ。
―― 部下はたいへんだったでしょ。
齋藤 さあ。それはそうだろうな。
―― 何か、「フォーカス」の編集部や編集長にメッセージはありますか。
齋藤 メッセージ? うーん。まあ、面白いものをつくれっていうことだよな。
―― 顔ですか。
齋藤 それもあるが、うーん、まあ、キミも商売人だから分かると思うが、こういうものをつくるのはねえ、レベルっていうものが非常に大事なんだよなあ。誰をレベルにつくるか、あの娘を相手につくるか、あの人を相手につくるか、あの方を相手につくるか。つくる相手のレベルだよ。誰を対象につくるか。それが一番大事なんだよな。だからさ、ええ、お姉ちゃんを相手につくるのかさ、そうだろ? 非常に高貴な人を相手につくるのか、尊敬に値する人を相手につくるのか。それによって、ぜんぜん違ってくる。そうだろ?
―― どんな人に「フォーカス」を読んで貰いたかったのですか?
齋藤 オレかい? 普通の人だよ。ごく普通の人。
―― ふつう?
齋藤 ええ、ごく普通の人。誰でも、みんなに読んで貰いたかった。それなのに、お姉ちゃん相手につくったり、お兄ちゃん相手につくったりしてきやがったから、面白くない訳だよ。誰もお姉ちゃん相手につくったり、お兄ちゃん相手につくったりしろと言った覚えはないんだよ。
―― 誰を相手につくれと言ったのですか。
齋藤 普通の人だよ。それを特別な、そのお兄ちゃん、お姉ちゃんに絞ってつくるようになったから面白くないんだよ。普通の人なんだよ。一番大事にしているのは。
―― 齋藤さんも普通の人ですか?
齋藤 そうだなあ。うん。
―― でも、先ほど齋藤さんは、「私は独裁者だ」とおっしゃいましたよね。
齋藤 独裁者だよ。ああ。そうだよ。でも、独裁者だってさ、普通の人だってぜんぜん関係ないよ。(TBS番組「ブロードキャスター」によるインタビューより/齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)

俗物であり、普通の人であり、独裁者。矛盾しているようだが、次の一言に集約される。
「他人のことを考えていては雑誌はできない。いつも自分のことを考えている。俺は何を欲しいか、読みたいか、何をやりたいかだけを考える。これをやればあの人が喜ぶ、あれをやればあいつが気に入るとか、そんな他人のことは考える必要がない」(伊藤幸人著「人間、いかに志高く」齋藤美和編「編集者 齋藤十一」冬花社)
自分が読みたいものだけを書く。それで売れる雑誌にするには条件がある。その自分が決して高尚にならず、いつまでも俗物で普通の人であり続けることだ。その時、自分はマジョリティそのものになる。つまり、齋藤氏は、こうして<マジョリティ憑依>したのだ。

だが、「みんな」というものが消え去り、これから総合週刊誌は先細りになっていく。マジョリティはフラットになり、ピークは消えていくだろう。齋藤氏のような普通の人はどこにもいなくなり、誰もが特殊な人になっていく。
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