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素人だから言えることもある

テレビとツィッター(ホームサーバの戦い・第124章)

テレビの中にツイッターが入ることが重要になって来る。

前項「ロンドンオリンピックでNHKのテレビの見方が変わった(ホームサーバの戦い・第123章) 」で起きたことは、これから日常になることだ。今までは、新番組を作っても、新聞に広告を出すか、テレビが自分の局内で番組をPRするしか方法がなかった。しかし、テレビ内にツィッターが入ることで、一瞬の間に他の局で、こんなことをやってるよという情報を流すことができる。テレビ局が番宣を流すことよりも、ごく普通のユーザーが流す情報の方が色がつかない。

これは、ようやくテレビはネットの重要性に気付いた(2)(ホームサーバの戦い・第111章) の中で、中村伊知哉氏が、

中村 プロかアマチュアかというのを見る側が決めていく世界になっていくと思う。これまで、ひとにぎりのプロが作っていたから、ある種、編集されていた。これから情報があふれるんで、見る側、受け取る側が編集力を持っていかなくてはいけないですよね。その、見極める力といいますかね。それって、一人でやるのはなかなか大変だから、編集整理してくれる自分の好みに近い、編集者みたいなものをネットの上でうまく見つけることだと思います。
といい、佐々木俊尚氏が
佐々木 中村先生がおっしゃっているような、その、いい番組をどうやって見つけるのかというところにもっと「集合知」っていわゆる、ソーシャルメディア上でいろんな人がこんな番組面白いですよって紹介しあっている。その紹介し合っているような行為を、もっとどんどん普及させていきましょうみたいな感じになってくる。こういうのを、最近、キュレーションという言い方をしてるんですけれど、キュレーションっていうのはもともと美術館の学芸員のことで、絵の世界中の絵を集めて企画展をやるキュレターっていうんですけど。ああいう形で世界中の様々な情報から自分の価値観でいい情報を見つけてきて、それをツィッターとかフェイスブックとかソーシャルメディアで「皆さん、この記事面白いですよ。私の視線で、この記事目に留まりました」と紹介していく。それがキュレーション活動です。すごくネット上で広がっているんですよね。これで結構いい本を見つけたりとか、いいブログを見つけたりとか、こういうのがテレビの世界に広がっていくんじゃないかと思います。
しかも、PCをいちいち立ち上げてツイッターの情報を見るのはまだるっこしい。それだったら、テレビの中にツィッターやFBなどのSNSへのリンクがあって、そこから直にテレビにつながるのがいい。これが、スマートテレビの発想だ。それをモバイルにすれば、タブレットやスマートフォンになる。一番重要なのは、視聴者に選択権があることだ。

テレビ局は番組を壊されたくない

番組にも、ツィッターを活用した番組が増えた。でも多くは、番組の中に自分たちに都合の良いツィッターを選んでいる。それは、ツィッターで番組が荒れることを嫌ったためである。もし、とんでもないツィッターを選んで、それが番組批判の元になるかもしれない。多くのバラエティ番組が生ではなく、長時間の録画なのも影響する。そもそもツィッターの命である生の面白さと現在のバラエティー番組が逆行しているためだ。

なぜ、日本のテレビは貧しくなったか(2) で、

最近のバラエティで僕らが感じる“画一化”も、その1つである。
例えば、何かのVTRを流して、スタジオのひな壇にいるお笑い芸人やグラビアタレントの表情をワイプ(画面の片隅に設けられた小窓のような別画面)で映し、VTR開けに感想を述べ合う番組。ウケたコメントには大きなテロップがついたりして、流すVTRの内容が変わるだけで、大抵の番組は、大方そのフォーマットで作られている。
なぜ、そんな画一的な番組が増えたのか?
その種の番組は、オンエアの3倍くらいの時間をかけてカメラを回し、いいコメントだけを摘んで編集すれば、それなりに形になるからである。
まぁ、オンエアされたものを見ると、それなりに面白い。何しろ面白いカットしか使っていないのだから当然だ。でも、どこか人工的な匂いもする。スタジオに緊張感がないというか、すべてにおいて展開が予定調和なのだ。(指南役著「テレビは余命7年」大和書房)
つまり、登場する芸人の力があるからではない。テレビの編集やテロップで面白く伝えているだけだ。もちろん、彼らにも生の番組に登場する機会も増えている。だが、それは決して彼らの芸に期待しているわけではない。彼らには、せいぜいMCかコメンテーターの役割が待っている。テレビコメンテーターという不思議な商売で、
事前に作られたVTRを見て相づちを打ち、与えられた時間内でレールから外れずに話を膨らませ、できの悪い構成でもそれを指摘して番組の権威を損なわせるようなことはせず、積極的にサポートして不備をカバーしてくれる(元テレビ関係者のoribe氏)( TVコメンテーターの鑑としてのモリタク)
つまり、生にしても録画にしても、テレビ番組の流れを壊さない人が望まれるのだ。でも、本当のお笑いは、番組の予定調和の流れを笑い飛ばすことにあるはずなのに。そのお笑い芸人の本当の毒を知りたかったら、閉じられたライブの中でしかない。テレビには、あまりにもタブーが増えてしまった。そんな時、テレビに取り込まれないツィッターこそがテレビを変える最後のチャンスになるのではないだろうか。
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