夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

ジャーナリストの死とジャーナリズムの死

フリー・ジャーナリスト山本美香氏の死が報道された。ジャーナリストの戦地での死は何人目だろうか。なぜ、危険と分かっているのに危険な場所に近づくのか。山本美香氏は、

かつてNHKの番組で、山本美香さんは「長崎県の雲仙普賢岳の噴火取材が大きな転機となった。突然命を奪われてしまう、大切な人を失うという点で、『災害報道』から『紛争報道』につながっていった。誰かが記録していく必要があると常に思っていて、伝えることで戦争は早く終わるかもしれないし拡大を防げるかもしれないので、時に過酷な状況はあるが伝え続けていきたい。」と語っていました。(【訃報】シリアで亡くなった日本人女性ジャーナリストは山本美香さんと確認)
皮肉な話だが、戦場を舞台にするジャーナリストの名前は、死んで初めて世間に知られる。それまでは、どれほどテレビで記事を伝えても、視聴者の記憶に残らない。つまり、彼らの偉業は死んで初めて明らかになるのだ。これは、「大切な人」の大切さを死んだときにわかるのと同じだ。山本氏の父親は、
 美香さんは3人姉妹の次女。「紛争地の女性や子どもの現実を、私が生きて帰って知らせる」。そんな思いを、孝治さんは美香さんの言葉の端々から感じていたという。「戦争ジャーナリストじゃなくてヒューマンジャーナリスト。娘を誇りに思っています」と孝治さん。(【シリアで山本美香さん死亡】「戦争ジャーナリストではなくヒューマンジャーナリスト」 紛争地の女性、子供ら伝える)
山本氏の仕事の大切さを父親はすでに理解している。ジャーナリズムの本質が、
いま伝えなければならないことを、いま、伝える。いま言わなければならないことを、いま、言う。「伝える」とは、いわば報道の活動であり、「言う」とは、論評の活動である。それだけが、おそらくジャーナリズムのほとんど唯一の責務である。(新井直之「ジャーナリストの任務と役割」p26『マス・メディアの現在』[法学セミナー増刊総合特集シリーズ三五]日本評論社)(ジャーナリズムはマス・メディアの特権ではない(マス消滅元年・6) )
とするならば、山本氏の取材活動は、確かにジャーナリズムの本道中の本道だ。ところが、テレビ局の特派員が直接取材することはまれだ。いつも戦地で犠牲になるのは、フリージャーナリストばかりである。からから亭日常というブログでは、
戦場のフリージャーナリスト。取材したものは、伝えなければならない。それも、早くに。一人で撮り、一人で喋り、一人で伝送する。
取材してもそれを伝える手段を持たねば、その取材は達成できない。メディア、媒体という意味でのメディア。それを持っていない。

日本のテレビ局は、戦争取材をフリーランスに依存する。山本美香さんはラジオプレスという“組織・団体”所属していた。そしてそのラジオプレスはテレビ局と契約していた。

大手メディアの戦争報道は、フリーランスの人達によって成り立っていたということ。また、フリーランスにならないと、現場には行けないということ。
大手メディアの支局員、特派員は、その近くまでは肉迫したとしても、最前線には行かせない、行かないということ。(“フリージャーナリスト”の死に思う)

(なお、報道によれば、所属しているのはラジオブレスではなくてジャパンプレスとなっている。)危険な場所には、フリーランスを使うという発想は、ジャーナリズムの本道から外れている。マスメディアは人から腐るでもこう引用した。
少なくとも報道、言論に携わる組織に、最も必要なのはジャーナリストの人材である。人材を育てるうえで、アウトソーシングはとても妥当なやり方とは思えない。
 それまでのプロデューサー・システムが、アウトソーシングへの移行を容易にした要因であったが、結果としてアウトソーシングは、大量の「ジャーナリストもどき」を生み出すことになった。プロセスが複雑になった分、「ジャーナリスト」に属するものが激増したからである。(小出五郎著「新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ」水曜社)
もちろん、ジャーナリズムのためには危険な場所へ大挙していけというのではない。それなら、フリージャーナリストの地位をマスメディア内で高める必要があるのではないか。そうしないと、フリージャーナリストは消耗品となり、ジャーナリズムの本質を理解したものが育たない。ともかく、マスメディアの報道の現場で今起こっているのは、フリーランスへの静かなる移行である。それは同時に、マスメディアが解体され、マスメディアからフリーへとジャーナリズムが移行しつつあることを意味している。
ブログパーツ