夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

もっとパラリンピックに目を向けよう・2

これは、もっとパラリンピックに目を向けようの4年ぶりの続編。これを書いたのが、2008年の北京オリンピックの時だった。今回のロンドンオリンピックでも放送状況はあまり変わらない。毎日、NHK総合とEテレで45分だけダイジェストが流される。乙武洋匡氏がこう書いている。

今年も24時間テレビが終わった。放送前、Twitterで「24時間テレビを放送するのと、パラリンピックを24時間放送するのと、どちらが障害者理解が進むのか」とつぶやき、みなさんから多くの反響をいただいた。だが、まだ僕自身の考えを述べていないことに気がついた。僕は、「どちらも一方では進まない」と考えている。(24時間テレビへの思い)
それは障害者に対する取り上げ方が一面的であり、
 だが、パラリンピックを放送すれば障害者理解が進む、とも思えない。彼らは、日々の研鑽を積み、大舞台で活躍する権利を得たアスリート。一般的な障害者像を体現しているわけでは、けっしてない。だから、パラリンピックを観戦した視聴者が得た「障害者って、こんなにすごいんだ!」という感想は、障害者の全体像を見誤らせる危険性をはらんでいる。
 「健常者とはこういう人」とひとくくりにできないように、障害者にだって様々な人がいる。いまだ苦しみのなかにいる人もいれば、障害を受け入れ、克服し、まわりに勇気を与えるような生き方をしている人もいる。どちらが「いい」「悪い」という話ではない。どちらも「いる」という“現実”が大事なのだ。(24時間テレビへの思い)
という。つまり、「24時間テレビ」に出る障害者も「パラリンピック」に出る障害者も一面でしかなく、これが障害者の姿だと思ってはいけないという。

ただ、4年間に大きく変わったことがある。NHKのEテレで障害者を積極的に起用したことだ。特に「バリバラ」では、障害を持ったお笑い芸人の障害ネタを見せてしまう。ここで有名になったお笑い芸人が民放のバラエティーに出たという話は知らない。もし、乙武洋匡氏が「24時間テレビは変わった」とするならば、これらの障害を持ったお笑い芸人を積極的に採用した時だと思う。視聴者にとって、障害者のチャリティ番組はテレビの1ジャンルに過ぎないが、障害者にとって障害は人生すべてにかかわってくる大問題だ。障害者が心から笑える番組を作ることこそ、チャリティ=かわいそうな人を救う=という偽善性をぶち壊す大きなきっかけになるのではないか

そして、そのことは障害者を特殊な環境に閉じ込めておくのではなく、日常に引っ張り出すこと、つまり、もっとパラリンピックに目を向けようの山田太一氏の言葉、

現代は非常に個人主義の時代で、他人にも迷惑をかけないかわりに自分もかけられたくない、というモラルがあって、それがある意味で人をすごく規制している。

そのために非常に孤独に陥ったりするということは身障者に限らずあります。しかし、人間の生き方の中には、迷惑をかけてもこのことはやらなければいけないということはいっぱいあるわけです。

組織を作るにしても、募金にしても、署名運動にしても、それは人の迷惑を考えたらやれないのです。単に身障者の話ということではなくて、そういう、もう少し普遍的なものをぼくは裏側に用意したつもりです」(山田太一著「男たちの旅路・対談『男たちの旅路』を終えて」日本放送出版協会

につながっていると思う。
ブログパーツ