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素人だから言えることもある

伊藤穰一氏インタビュー補足情報

メディアラボ所長就任について

伊藤穣一:私の経歴を見れば、私はまるで、まったく落ち着きがなく、何事にも集中できない人間のように見えるでしょう。MITメディアラボは、このような「すべてに関する興味」を組織化して相互関連性を持たせ、「境界線から、はみ出ればはみ出るほど良い」という考えの下、複数分野にまたがる学際的なアプローチをとっており、すべてについて、クレイジーでオープンな思考ができる場です。私にとっては、まるで「わが家」のように感じられます。大学の学位がない私をMITが指名してくれたことは、彼らの柔軟性を示すものであり、安心することができます。(MITメディアラボ新所長、伊藤穣一氏に聞く)
また、伊藤氏はメディアラボとの出会いを次のように生き生きと描いている。
ビルに入ると、僕は中世の大聖堂に迷い込んだ旅人のような気分になった。そして、自分がMedia Lab そしてMITのような「施設」にいて良いのか、と恐れ多い気持ちを覚え、少しショックを覚えた。

教授や生徒達とノンストップにミーティングを一日中続けた結果、僕は、自分の仲間を見つけたのだと気付いた。皆、とんでもなく頭脳明晰で、積極的で、本当にクールな事に取り組んでいる。彼らは、挑戦することを恐れていなかった。それは、本当に多種多様な内容ではあったが、共通のDNAも存在していた。僕は、このスペースが作り出している物理的な密接感やブランドに与える力、そしてMedia Labのレガシーによる使命感を覚えた。それは、僕が今まで見たことがないような機敏かつ長期的に考える力を作り出していた。
皆、当たり前のように、「このラボからセンサーを持って来て」、「表皮組織の専門家も必要かも知れない」、「そしてロボットをあのラボから持って来て」、「映像化技術はこの研究室から」、といった具合に会話をしながら、一つの研究をまた違う方向に進めているのだ。
まるで消防署のような賑やかさでつながり合い、創造して行く。僕は完全にチャージされて、細胞が活性化されたように感じた。

僕はリスクをいとわず機敏なシリコンバレーベンチャーのスタートアップの熱心な信者だが、その一方でベンチャーキャピタルと公開マーケットの性質によって起こってしまう長期的なトレードオフには本当に失望していた。

政府や大企業の研究機関は長期的だが、僕たちが今直面している素早い解決が求められる問題や複雑な問題にすぐに柔軟な対応をするということが難しくなってきている。
僕は自分自身の人生を、非営利、ベンチャースタートアップ、大きな研究機関との良好な関係、そして長期にわたるアジャイルソリューションについての研究によって育んだ世界中の人々とのネットワークの中に存在させてきた。

John Seely Brownはよく、"引き出す力 (The Power of Pull)"について話をする。
資産やリソースを貯め込むのではなく、僕たちは必要に応じて、それらをどのように引き出すべきか。知識を押し込んで、中心から物事を指し示すのではなく、僕たちのネットワークの中から、コンテクストを生み出してくれる人を引き出していく。細かいことを全て計画するのではなく、偶然の機会を快く受け入れ、そして一般的な曲線に当てはめて未来を予想し、全てを一緒に高度なコンテクスチュアルでアジャイルな方法で引き出していくのだ。

そのような問題に真正面から取り組むために必要な要素が、Media Labと、そこで交わした会話の中に、あったように思う。普通の人々は嫌がるであろう混沌とした複雑さを楽しんでしまう、僕らのような人種をひきつけるものがあるように思った。(MIT Media Labに参加するにあたって)

伝統的な科学の問題とイノベーションのための9つの原則

一方で、伊藤氏は、
「我々の世界というのは、集中してきちっとお利口さんの人間たちが集まって、企画を立てて言われたとおり、ものをこなすというのが、ちゃんとした人、ちゃんとした会社。ちゃんとした人、ちゃんとした企業っていうのは、予想外のものはあっても見えない。」(抜き書き「“混とん”に飛びこめ!MITメディアラボ所長 伊藤穰一」)
と予想外の出来事に対応できない現代社会を批判する。
Wired.com伝統的な科学では、ひとつの専門を深く研究するように教育されます。伊藤さんはたくさんのことに実績がありますね。専門と総合のバランスについてはどう考えていらっしゃいますか。

伊藤穣一氏:望ましくないのは、全部の新聞の見出しを読み、他の人が消費するような内容を消費して、自分をジェネラリストと呼ぶような人です。それでは役にたちません。そういった人は、他の誰もがすでに知っていることを知っているだけであり、おそらくは同じ考えを思いつくだけでしょう。

しかし、なんであれ深く追究すれば、他の人の知らないニュアンスを発見し始めます。そういったニュアンスこそ、ブラックボックスをあけて、「ちょっと待てよ、この方法で考えていていいんだろうか」と問うための助けになるのです。

たとえば、シリコンの結晶以外の材料を使用すれば、コンピューター・チップの反応をまったく違うものにできることはわかっています。しかしわれわれはそのブラックボックスを開けません。なぜなら、現在のチップの製造技術に完全にとらわれているからです。あるいは、細胞研究の専門家と、人工補装具やロボット工学を結びつけて考えたことがあるでしょうか? そういった錬金術のような研究領域が存在するのです。メディアラボを他と違うものにしているのは、相互関連性を重視する精神です。(MITメディアラボ新所長、伊藤穣一氏に聞く)

伊藤:変化がすべてよいものとは限りません。メディア業界を見てみましょう。構造変化は伝統的な情報メディアのビジネスモデルを根底から揺さぶっています。しかし、新聞ビジネスが立ちゆかなくなることは、必ずしもよいことではない。新聞は民主主義にとって必要なものですから。独裁者を追い出し、イノベーションを「エッジ」に移動させるときに同時に生じることが、すべてよいものだとは限らない。しかし、それが生じているということが現実です。

WIRED:そのなかでわれわれはどうすればいいのでしょうか。

伊藤:われわれがすべきことは、そういう変化が現実に起きているということを理解し、そしてこれから起ころうとする破壊的変化にしなやかに対応できるようなシステムや政府、ものの考え方を作り上げることです。そうした変化は本当に予測困難で、コントロールすることも難しい。計画を立てることがほぼ不可能な、無秩序で予測不能なシステムの中で、ひとりの人間として、あるいはひとつの組織として、どうすれば生き残ることができるでしょうか?

WIRED:その答えをご存知ならば、ぜひ聞かせてください。

伊藤:こうした世界で向かうべき9つの原則を紹介します。

1. 強さではなくしなやかさを持つこと。つまり、失敗に抵抗しようとするのではなく、失敗を認め、受け入れた上で、そこから跳ね上がっていくこと。
2.「押す」のではなく「引く」こと。資源を中央に集めてコントロールするのではなく、必要に応じてネットワークから引き出すこと。
3. 安全に焦点を当てるのではなく、リスクを取ること。
4. モノではなく、システムに焦点を合わせること。
5. 地図ではなく、よいコンパスを持つこと。
6. 理論ではなく、実践に基づくこと。なぜそれが機能するのかわからないときもあるが、大事なのは、理論を知っていることではなく、それが機能するということだ。
7. 服従ではなく、反抗すること。人に言われたことをしても、ノーベル賞は取れない。多くの学校は服従について教えるが、われわれは反抗を賞賛するべきだ。
8. 専門家ではなく、クラウド(人々)に向かうこと。
9. 教育ではなく、学習に焦点を当てること。

われわれもまだ途上ですが、そうした方向を目指しています。(伊藤穣一が語る「イノベーションの民主化」とその破壊的変化にしなやかに対応するための9つの原則)

伊藤穰一氏と福井謙一氏の関係

前項抜き書き「“混とん”に飛びこめ!MITメディアラボ所長 伊藤穰一」には書かなかったが、VTR部分で、ノーベル賞学者が伊藤氏に人生の岐路を諭した部分がある。
父の恩師であるノーベル賞学者の福井謙一さん。
福井さんは、池に浮かぶ木の葉を指さして、伊藤さんに言いました。
水面に浮かんで揺れる葉っぱ。
この動きを数式にするのは非常に難しい。
この世界は例えば、大気の流れにしても株式市場にしても一見、複雑な現象ばかりでまさにカオス。
しかし、そこにはある一定の美しい規則性がある。」
MITメディアラボ所長 伊藤穰一さん
彼は目をつぶって、で開いて『カオスのこと勉強したほうがいい』と言って、それでもうガラッと僕の考え方が変わるんで、何年大学行っても思いつかないようなこと。」
伊藤さんは大学を中退。
実社会で、みずからカオス混とんを学んでいきました。(“混とん”に飛びこめ!MITメディアラボ所長 伊藤穰一)

そこで、伊藤氏と福井謙一氏の関係について調べてみた。

「米国のIT分野で社会に貢献している人たちをみると、(フェイスブックを創業した)マーク・ザッカーバーグにしても、ビル・ゲイツにしても、大学を中退している人が多い。だから(学位とは)いったい何なんだろうという議論があるわけです。メディアラボもMITの中では先端というか端っこというか、やや変わったところなので、学位よりも実際のインパクトの方が重要だという意思表示を(今回の人事に)込めたのではないでしょうか」

 伊藤氏はタフツ大のコンピューター科学科、シカゴ大の物理学科と2回大学を中退している。「型にはまった教育内容があまりにも退屈だった」という。十代のころ、父親の師匠だったノーベル賞学者の福井謙一氏に「大学が役に立った時代は終わったので行かなくていいよ」と言われたことも、影響している。1980年代、高校を出るか出ないかのうちから、パソコン通信などの分野でビジネスを始めていたことを考えると、まさしくゲイツ氏やザッカーバーグ氏に通じる、教育制度にはまりきらないIT起業家タイプだといえそうだ。(「オープンな場」で最先端のネット技術を MITメディアラボ所長に就く伊藤氏に聞く)

1966年、学者の父と岩手の名家のお嬢様である母のもと生まれる。父は京都大学にて化学を研究し、師はノーベル化学賞福井謙一であったため、幼いころからJoi(伊藤穰一)は家族ぐるみで彼と付き合いがあった。(日本が誇るエンジェル投資家 伊藤穰一(Joi) )

慶応義塾大学大学院で「人類・社会の新たなる発展を目指して」というシンポジウムの本が出ている。その三冊目に、伊藤穰一氏が登場している。そのパネルディスカッションで伊藤氏は、福井謙一氏とのエピソードを語っている。
伊藤 僕は今、学界に入ってしまったのですが、前は民間でベンチャーなどをやっていました。産業革命のあたりを見ていると、技術というものはどちらかというと、ものを早くしたり、効率よくしたりと、コストダウンするための大量生産型の考え方がある。経済もそういうことがあって、どちらかというとリソースを効率よく分配しています。

実は、私がインターネットで盛り上がっていたときに、福井謙一さんのところへ行って、「インターネットってこんなすごいんだよ」と話したことがあります。そのときに、彼は「気をつけてほしいのはFluctuation Amplificationだ」と言っていました。早く、効率よくすることだけを求めると、必ずfluctuation(変動)が激しくなる。それよりも、それをどうやってdump(低減)するか。どうやってもっと自然体に持っていくかも考えないと危険だよという意味です。

これは1980年代後半のことでしたが、非常に重要な指摘だと思います。北野宏明さんのやっているシステムバイオテクノロジーではないですが、「効率よく」「安く」という技術の社会での役割以外の、民主主義の考え方や自然のいろいろなシステムをシステムとして考えたときに、何が必要か。

例えば安定性を求めるときに、インターネットの設計にしてもロバストネスを考えなくてはいけないのですが、やっと最近になって企業や技術者が考えるようになってきたと思うんです。先ほど村井(純)先生が言ったように、エンジニアリングも、今までやっていたものをもうちょっと早くしたり、もうちょっと小さくしたりということばかりに比較的投資していたけれど、安く早くしたからといって、社会的にどんなインパクトがあるかをやっと最近考えるようになったのではないかと思っているところです。(所眞理雄編「人類・社会の新たなる発展を目指して?」(慶應義塾大学 ソニー寄附講座 連続公開シンポジウム) 慶応義塾大学出版会)

インターネットによる世界の破壊的変化とインターネットのロバストネス

国谷 政治とインターネットと融合した時に、合意形成の在り方が変わるのではないか。まあ、そうあるべきだと長い間、伊藤さんは、おっしゃってきたわけで、だからこの最近の動きを見ていると、インターネットで民主化が進む例もありますし、一方で、民衆が操作されているような、そういう逆のことも起きてますよね。諸刃の剣と言いますか。


伊藤 多分、今のインターネットの使い方というは、それこそ、悪い政府をひっくり返すとか、隠れている情報を出すとか、本当に破壊をする、悪いものを破壊するというところはだいぶ進んできた。破壊した後に組み立てることが次で、組み立てたり、運営したり、それこそ、憲法を書く。今、リビアで憲法にもっと国民の声を入れて、きちっとした憲法を作ろうということもいろいろ考えたりするんで、多分、次はそこが大きくて、すごく面白い波形がこの数年、出てくるんだろうなと思いますよ。(抜き書き「“混とん”に飛びこめ!MITメディアラボ所長 伊藤穰一」)

福井謙一氏関連の最後に「インターネットの設計にしてもロバストネスを考えなくてはいけないのですが」と出てきたが、ロバストネスとは、
ロバストネスまたはロバスト性とは、ある系が応力や環境の変化といった外乱の影響によって変化することを阻止する内的な仕組み、または性質のこと。ロバストネスを持つような設計をロバスト設計、ロバストネスを最適化することをロバスト最適化という。
「頑強な」という意味の形容詞 "robust" が語源であり、他に頑強性、強靭性、堅牢性、強さ、などと呼称されることもある。(ロバストネス-Wikipedia)
だという。けっっこう難しい言葉なので、伊藤氏の発言から理解していくしかない。先ほど取り上げた「人類・社会の新たなる発展を目指して?」の中で伊藤氏はこう続けている。
伊藤 もともとインターネットをつくった人たちは、ロバストネスを中心に考えていたけれど、今ではほとんどの人が考えていないんです。

例えば、今回のエジプトの事件でも、エジプトの警察で、抗議していた人たちに対して暴行した人たちの写真をすべてFlickrにアップしておいて、あとで裁判しようとしておいたところ、誰かから送られてきた著作権違反だというメールで全部がぱんと消されてしまったということもありました。そういう意味で言うと、上のサービスもまったくそういうユースのことを考えていない。警察がブロガーを拷問しているというあるエジプトの動画があったのですが、それをユーチューブか何かに載せて、みんなでコピーしてブログなどで議論していたら、それがぱんと外れて、まったく消えてしまうというケースもしょっちゅうあるのです。

結局、サービス業者は国などに対してフラジャイル(脆弱)にできてやっている。どちらかというと、著作権やお金があるロビーの人たちを守る仕組みをつくって、人権やロバストネスは考えていないわけですね。

ネットワークのほうも同じで、例えばシリアからPaypalにアクセスすると、アメリカでまず切断されて、アカウントを全部消されてしまうのです。アメリカでは輸出禁止法があるから、だから今は、Google App Storeも全部できない。シリアでは、みんながAndroid phoneでネットワークをやろうとして、自分たちでロバストネスを一生懸命に考えています。彼らがアメリカのサービスにつなごうとすると、ほとんど切断されてしまう。僕はMozillaの理事をやってますが、Mozillaはシリアに暗号の付いたブラウザーや技術を輸出できるわけです。なぜかというと、オープンソースフリーソフトウェアというのは、みんなに対してコードは発言であり表現であるといってオープンにしているから、プロダクトではないから、言論の自由ということで、アメリカの政府と交渉して、シリアの現場にソフトウェアを送り込めているのです。これがパッケージものだと、コマーシャルだから売れない。だから、シリアの連中は全部フリーソフトで動いている。(所眞理雄編「人類・社会の新たなる発展を目指して?」(慶應義塾大学 ソニー寄附講座 連続公開シンポジウム) 慶応義塾大学出版会)

大変興味深い話がたくさん出てくるのだが、これは伊藤氏の立ち位置が、国や政府と無関係な自由な存在だからできるのだと思う。
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