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素人だから言えることもある

ハードは急速にコモディティ化する。問題は中身だ。

タブレットは、持ちやすく、より安く、多機能になるだろう。今まで、隆盛を誇ってきたアップルも一つの到達点を迎え、これ以上伸びなくなる。アップルはやがて、アップルなりのスマートテレビを始めるかもしれないが、それもまたアジアやアフリカの新興国に抜かれるだろう。これは日本の家電と同じ道のりだ。ハードの差別化では限界があるのだ。電子書籍にしても、いまだにリアルな本よりも抜群に扱いやすいわけではない。そして、一つのタブレットに何千冊、何万曲を詰められるとしても、そんなに読む人間はいないし、流行に乗ってある程度、普及しても読者人口がすべての国民になるわけでもない。ただ、あるごく一部の人間が浮かれているにすぎない。

正月にテレビを見れば、そのテレビ番組の陳腐化に唖然とする。60年たってテレビは視聴者が求める限界までより安くなった。お笑い番組は同質化し、よりアクの強いダウンタウンが毎日登場する。歌手と言えば、ジャニーズ系とAKBの独占状態だ。「これが日本の音楽業界の現状です。」とレコード大賞のときに服部克久氏が語ったそうだが、音楽業界ばかりじゃない。テレビの中身にしても同じようなものだ。

「笑い」の本質は、憂さ晴らしである。現実世界が厳しいから、今を楽しめばいいという考え方だ。確かに、その面は必要だろう。だが、テレビをそれ一色にするにはあまりにももったいないのではないか。どれほどハイビジョンになって、きれいになっても、内容が充実していなければ、意味はない。一方、中身が優れていれば、日本の番組を世界に輸出できる。入れ物など、何色でも構わない。とにかく廉価で使いやすくあればいいのだ。

読者や視聴者が、その場しのぎのコンテンツで満足していれば、この国の没落は止まらないだろう。
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