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素人だから言えることもある

体罰も力は正義(強いアメリカと強い日本・3)

前項力への幻想(強いアメリカと強い日本・2) において、一神教の「力は正義」について考えたが、振り返って日本ではどうか。現在大阪の桜宮高校の体罰問題で体育指導方法でもめているが、これもまた「力は正義」ではないのか。指導教諭が体罰をすることによって、運動能力の高い生徒を作るというのは、もちろん考え方も指導の在り方も間違っている。いじめが、表面に出ない場所で陰湿に行われるのに対し、体罰は、公開処刑のようなものだ。皆が見ているところで、行われ、それがいかにも学校の伝統であるかのように続けられる。生徒は委縮し、反抗できない空気を作る。体罰で体を壊したり、精神的に参ったりすると、それはその人間が弱いからだといわれる。体罰をする人間は、教諭だから逆らえない。そこに一種の階級が生まれる。

テロリストたちが少年たちを鍛錬して少年兵士を作る。当然、日常的に体罰を受けるだろう。少年兵士は、敵を殺すために鍛錬されるのだ。もちろん、テロリストと日本の体育教育を並列で考えるのはむちゃくちゃである。あちらは殺人を、こちらはスポーツの勝利を目的にされているからだ。目的は違っても、方法は変わらない。どちらも、体罰の原理は共通なのではないか。まず、体罰を受ける人間は、その場所から逃げられない。人間を恐怖で追いつめると、今までできなかった力が湧いてくるものだ。いい加減で適当に過ごしてきた人間を本気にさせるには、一番いいのは逃げ場をなくし、体罰の恐怖にさらすのが一番なのである。だが、それが日常的にならされると、果たしてどのような人間が生まれるか。かつての日本軍の軍国教育に似たものであることは想像に難くない。
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