夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

誰でも簡単にできるのに、誰もしようとしない事

はてなブログにきて10日たった。(はてなに引っ越しますは1月31日)「NHK×日テレ60番勝負」T部長ムチャぶりの理由は、2月3日のエントリーだが、現在アクセス数が3000を超えている。もちろん、土屋氏にツィートでPRしたことがきっかけだが、同じような記事がなかったことも理由だろう。「1000人が考えるテレビ ミライ」を見た人もかなりいたに違いない。当然、「NHK×日テレ60番勝負」の24時間ドラマのムチャぶりも、その延長であることを気付いた人もいるはずである。しかし、そのようなブログはなかった。それはなぜだろう。

土屋氏は、「1000人が考えるテレビ ミライ」でこんなことを言った。

それはやっぱり、自分が面白い…要するに、それは大事なのは、今、やってない事。今、テレビでやってない事を探すエネルギーを向けるかどうか。(「NHK×日テレ60番勝負」T部長ムチャぶりの理由)

つまり、わざわざテレビを書き起こすというエネルギーをかけてまで書く人はいなかったのだ。テレビを見て面白いと書くことはできる。だが、それはその時の感想でしかない。それを記録にするまでにはもう一つ足らない。どれほど企画が面白くても、番組にならなければ、それは残らないように。

ブログにしても感想だけでは、その場しのぎで、残ることはないだろう。僕は、Wikipediaを引用するにしても、出来るだけそこに書かれた出典まであたるようにしている。そうすると、Wikipediaにない新しい情報が手に入るので、次のブログが書ける。1月3日に放送された「新春TV放談2013」を書き起こした抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(1) などでも、関係資料を集め、7本にわたって補足情報を書いた。その時その時の番組の感想を書いていれば、ブログは書けるが、それらは決してつながらない。僕は、このブログで、それぞれのエントリーをつなげ、現代日本の姿を明らかにしたいと思っている。

また、「制約こそチャンス」で乗り越えてきたバラエティーたちにしても、過去の膨大なエントリーがあるから書けたことだ。(同じようなテーマで、他のジャンルを含めて書いた巨大なライバルを乗り越えるために役立つ『禁じ手』という手法も参照)

その場しのぎで済ますか、そのことから新しいネタを探すエネルギーを傾けるか、その違いは大きい。

ブログパーツ

「制約こそチャンス」で乗り越えてきたバラエティーたち

制約こそがチャンスだ

前項「NHK×日テレ60番勝負」T部長ムチャぶりの理由で、土屋氏が語った言葉、

制約がいろいろあるって言われますけど、制約こそがチャンスだと僕は思うんですよね。

この言葉、どこかで聞いたような気がした。それは、「踊る大捜査線」の脚本家、君塚良一氏の言葉だ。

そして、その中で、テレビのさまざまなことを学んだ。
 どんな番組でも、野球中継と戦わなければいけないこと。
 視聴者は移り気であること。
 バラエティ番組だろうが何だろうが、どんなテレビ番組でも、自分の伝えたいメッセージを入れることかできること。
 作り手のセンスが番組にもろに出てしまうこと。
 テレビでやっていけないというさまざまな制約は、逆に創作のエネルギーになること
 笑いは、温かいということ。
 テレビには、可能性がいっぱい潜んでいること。(君塚良一著「テレビ大捜査線」講談社)(「踊る大捜査線」の作り方)

この「踊る大捜査線」の作り方では、「踊る大捜査線」がどのようにして生まれたかについて調べているが、今回は、バラエティーに絞って話していこう。

ゴールデンにバラエティーを持ってきた萩本欽一

今、テレビのゴールデンタイムはバラエティーが隆盛であるが、40年前はそうではなかった。今年正月に放送されたNHKの「新春TV放談」で、タレントの関根勤氏はこう証言する。

上田アナ 萩本さんって、浅草でコント55号って大人気だった訳じゃないですか。テレビのゴールデンで、何としてもバラエティーをという思いはすごく…。
関根 あったみたいですよ。
上田アナ 悔しかったんですか?
関根 悔しかったんですって。「どうして、お笑いがドラマとかに負けるんだ」「人気あるのに、何でスポンサーつかないんだ」って。
これ、萩本さんに聞いて、ホントかどうかというのは…。まあ、ホントだと思うんですけども、萩本さんが、最初、フジテレビで、「何で、今、調子いいのに、7〜9時のゴールデンタイムをやらせてもらえないんだ?」って言ったら、当時、「この7〜9時はバラエティーはダメです。スポンサーがつきません」と。歌番組かドラマかドキュメンタリーでなきゃダメだと。それで、萩本さんが悔しがって、「ふざけるな」と。「俺、バラエティー、7時からやる」って言って。そのために萩本さんは浅草で、突っ込んでる時って、浅草ってべらんめえなんですよ。「てめえ、この野郎!」とか、「何やってんだ!」って突っ込みだったんですけども、これだと、お年寄りと子どもが怖がるからっていうんで、それで「やめなよ〜」とか「○○だよ〜」って柔らかくしたんです、わざと。
上田アナ 欽ちゃんの、今、しゃべってらっしゃる言葉は、わざと。
関根 そうなんです。ゴールデンやるスポンサーがOKするために。そうやって、ゴールデンに進出したのが、萩本さんなんです。(抜き書き「新春TV放談2013」後半部分(2) )

なお、萩本氏の語尾変化については、「萩本欽一」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・3) で解明している。

土屋氏は、萩本氏をテリー伊藤氏とともに「演出の師匠」と呼んでいるという。

私の演出の師匠はテリー伊藤萩本欽一なんですが、この萩本欽一がよく言ってるのが「運は“不本意”の中にある」って事なんです。例えば萩本欽一は元々コメディアンになりたくて浅草に行って、それで坂上二郎さんに誘われてコント55号を作って大人気になった訳です。ところがその後ひとりになった時にコメディアンの仕事が全く来なかったって言うんですね。来るのは「やりたくない!」ってずっと思ってた司会の仕事ばっかりだったと。で仕方なくそれをやっていたら色んな発見があって「欽ドン」「欽ドコ」「週刊欽曜日」という30%番組を三本もやるようになってテレビ史唯一の視聴率100%男になる訳です。だからよく「やりたい事をやるのが素晴らしい人生だ」なんて事を言いますが、そんな事は真逆だ! と萩本欽一は言う訳です。(「やりたい事をやるのが素晴らしい人生だ」と言うが、それは真逆だ!と師匠・萩本欽一は言った ~新連載・T部長の「電波少年的“働く”暴論」)

実際、萩本氏は、高田文夫氏との対談でこんなことを言っている。

高田 でも、司会の話を切り出したら、萩本さんが怒りだしたって聞きましたけど。
萩本 怒った、怒った。コメディアンに司会進行を頼むのは失礼だって怒ったの。
だって、司会やれなんて、お前はコメディアンとしての価値がないって言いに来たようなものじゃない。ちょうど僕はコント55号で頑張ってた頃だしさ。
高田 いまと違って、コメディアンが司会をやるっていう発想がなかった時代ですからね。
萩本 そうなの。だから、できないって言ったの。そしたら、目茶苦茶な司会でもいいから頼むって、朝まで口説かれてさ。
結局、嫌々ながら引き受けたんだけど、やったはいいけど、番組は案の定、目茶苦茶になっちゃってさ(笑)。
高田 でも、歌の紹介の途中でファンファーレが鳴り出したり、違う家族の名前を紹介したりとか、観ているほうは面白かったですけどね。
萩本 別に狙ったわけじゃないんだよ。だけど段取りなんて言葉とは無縁のところで、僕はそれまで生きてきたわけじゃない。だからとんちんかんになっちゃったりしたんだけど、それが逆に面白かったみたいね。
その『オールスター』が終わると、『スター誕生』のディレクターがすぐ僕のところに飛んで来て、あんな型破りの司会は初めてで面白いから、うちでも是非お願いしますって。また、朝まで口説かれて……。(高田文夫著「笑うふたり―語る名人、聞く達人 高田文夫対談集」中公文庫)( 「萩本欽一」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・3) )

萩本氏は、こうやって素人いじりの可能性を見つけたのだ。

コント55号の世界は笑う」VS「8時だョ!全員集合」

フジテレビの土曜8時に「コント55号の世界は笑う」が放送されていた時、裏番組のTBSではその対策が練られていた。プロデューサーの居作昌果氏はこう書いている。

 コント55号に対抗するには、何をすればいいのか。今では、坂上二郎萩本欽一とも個人として活動しているが、この二人のコンビ「コント55号」は、当時のテレビを席巻していた。萩本欽一は、天才的なコメディアンであると同時に、企画力、構成力を持つ“作家”であり、演出家でもあった。この欽ちゃんが思いつくままに投げるあらゆる球種を、ノーサインで、おまけに素手で、平気で受けとめてしまうのが、坂上二郎である。時代の申し子とも言える、強力なコンビだった。テレビをつければ、コント55号が飛び出してくる、という時代である。このコント55号の面白さのベースは、洒脱なアドリブのやりとりであり、ハプニングに対する軽妙な対応にあった。この当時のテレビの笑いは、アドリブ、ハプニング全盛であった。

 この時代の流れに逆らうことを、私は考えた。ハプニングとアドリブの「笑い」に対して、時間をかけて徹底的に練りに練り上げた「笑い」を中心とする、バラエティー・ショー番組を作ろうと思った。そして、コント55号に対抗させる主役は、「いかりや長介ザ・ドリフターズ」である。(居作昌果著「8時だョ!全員集合伝説」双葉社)( 今の日本のテレビで「全員集合」が作れない理由)

コント55号の世界は笑う」は1968年7月13日から1970年3月28日、「8時だョ!全員集合」は1969年10月4日から1985年9月28日まで放送された。TBSの圧勝であった。

「8時だョ!全員集合」VS「オレたちひょうきん族

さて、負けたフジテレビも黙ってはいない。当時の三宅恵介ディレクターは、

三宅 そう、81年の5月から9月にかけて、まず8本の特番をやったんですよ。「ひょうきん」は裏に「8時だョ!全員集合」っていう素晴らしい番組があったから成立したんであって、番組の作り方で言うと消去法でやったんです。それはなぜかというと、まずは番組の存在価値を認めてほしい、みたいなのがあって、裏にドリフターズの「8時だョ!全員集合」っていうお化け番組があったら、これは普通にやっても太刀打ちできるはずがない。そうすると、番組を認めてもらうためにはどうすればいいか、どうすれば番組の存在価値が出るか、と考えてすべて『8時だョ!全員集合』の逆をやろうと。「全員集合」が生放送だから、こっちはVTRでやろう。「全員集合」はドリフターズというしっかりしたチームがあって、オチに向かってチームプレイをするから、こっちは一人一人のキャラクターを生かした個人プレイでいこう。ドリフが計算された笑いを作るから、こっちは計算できないハプニングを狙おう、っていう。(「三宅デタガリ恵介、バラエティ番組作りに捧げた人生を大いに語る!」(後編)『本人』vol.11太田出版)( ひょうきん族も、「全員集合」を禁じ手にしていた(禁じ手・2) )

当時のプロデューサー、横澤彪氏は、爆笑問題との対談で、

横澤 お笑いは大好きだった。仕事としてはあんまり、好きじゃなかった。
2人 そうですか。
横澤 たまたまいなくなっちゃった、みんな。ロートルが、ベテランの方がね。やる人いないからお前やれみたいな。だから、大体いやいやですよ。半分はいやいやっていうか。
太田 いやいやだったんですか。で、しょうがない。じゃ、やるときにはやるけど今までのじゃつまんねえからみたいな。
横澤 そう。
太田 ドリフ、欽ちゃんがその前にあって。
横澤 こう、神のようにね、頂にいましたから、ね。
田中 そうですよね。
太田 それでちょっと、殴りこみみたいな意識もあったんですか。
横澤 ひょうきん族がね、やむにやまれずね、もう戦法ないんですよ。なぜかというとね、漫才師は、何人かしかいないわけ。今みたいにすそのないからね、何組も。それで、みんな忙しい。売れっ子ね、もう、稼いでんだから。みんな、聞いたのね。あなたたちはコンビとしてずっと漫才を漫才師としてやっていく気あるの?って言ったら、いやいや、すぐ辞めます、みたいなので。コケそうになっちゃった。ああ、そう、違うこと考えなくちゃしょうがないね。ネタ作るの大変なんだしね。みたいなね。だから、ドリフみたいにちゃんといかりやさんがね、こう、考えて考えてけいこして、ああいう立派な番組作ってくるというやり方はできないから、もう思い切って遊びましょうと。我々はスタジオを遊び場と考えますただし、不まじめダメよと、まじめに遊ぶんだよ、まじめに。この、まじめに遊ぶということが、ひょっとしたら、その、新しい…
田中 面白まじめだ。
横澤 うん、面白まじめという空気を呼ぶかもしれないね。というようなね。
キャラクターみたいなものをちょっと立てたほうがね、いいかなあ、みたいな。ドラマっぽくというか、ドキュメント性みたいなものなんだね。
田中 嘘がないんだ、本音だよ、って言う感覚は、アイドルとかも、もう、単に、お姫様のように、人形のようにいるんじゃないみたいなのが、全部一緒にみんなたけしさんが本音のトークと。
太田 そうすると、ひょうきん族から、割と楽屋落ちと言うかね、
横澤 はい。
太田 スタッフが出て、みんな出て、うちわ受けの世界がおおやけでも、あ、やって面白いんだ。自分たちが楽しんでいれば、視聴者も知らなくても、あっ、こいつら、楽しそうっていう我々そういう風に見ていましたね。
田中 そうだね。
太田 なんだか知らないけど、俺らは素人なのに、横澤さんの名前も知ってるし、テレビのプロデューサーの名前なんか知るわけないのに、三宅さん知ってれば、佐藤さん知ってればっていうふうに。
横澤 うん。
太田 状態になってるわけじゃない。すると、俺ら側の世代は、それがこう許されるっていう状態がテレビに。
そして、今度、次の世代を見てると、もう、新しいことではない。つまらないということになる。その後遺症っていうのは、
田中 ある。
太田 常にあるよね。
横澤 あ、そうか。
田中 どんなに。
太田 横澤さんのせいです。(抜き書き・爆笑問題のニッポンの教養「TVはいつまで笑うのか・横澤彪」)

今、流行っているから、同じ路線で行こうとするのではなく、そのまったく逆を狙ったら、そこにもチャンスがあったというのが、日本のバラエティーの歴史なのである。

ブログパーツ

「NHK×日テレ60番勝負」T部長ムチャぶりの理由

今回の「NHK×日テレ60番勝負」(2月2日・3日)の特番は久々に面白かった。特に、一連のNHK60周年記念番組の「1000人が考えるテレビ ミライ」(2月1日)が、テレビに対する視聴者のダメ出しの連続なのに対して、この「NHK×日テレ60番勝負」は、テレビ側が視聴者に対しての答えという意味があったのではないか。

その中で、24時間でドラマを作る試みは、今まで芸人に対するムチャぶりで有名になった『電波少年』のT部長こと土屋敏男氏(日本テレビ編成局専門局長)が、両局のドラマ制作スタッフにムチャぶりをすることで視聴者の興味を引いた。さらに2つの番組の間の22時間のストリーミング中継は、両局のテレビ制作の違いを際立たせ、今、テレビはどうやって作られているかを知らせる生のドキュメントになっている。

土屋敏男氏は、「1000人が考えるテレビ ミライ」の中でこんなことを言っていた。その部分を書き起こしてみる。

土屋 今のVTR(日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」)は、非常に正直、気恥ずかしいというか、作り手が熱を持ってるなんてのは、当たり前の話で、これは多分、今のすべてのテレビの作り手は、持っているはずだと思うんですよね。そんなことを言わなきゃいけないなんて事は、多分ないわけで。それで、でも、なぜテレビが面白くないって言われているかっていうことに関して、ちょっと考えたのは、この番組で、例えば、「今、面白いテレビバラエティーは何ですか?」というアンケートをしたそうです。そしたら「アメトーーク」というふうに言われて、お正月にやっぱり「TV放談」というNHKの番組があって、

 

(字幕「アメトーーク」テレビ朝日
共通の特徴を持つタレントを集めたトーク番組「ひな壇芸人」というジャンルを定着させた)

 

そこでもランキングをやってましたね。(注「クジラ対シャチ」の謎(「新春TV放談2013」後半部分補足情報・1)の2012年人気バラエティーランキングを参照)

そこでも「アメトーーク」というのが一番。その時に、やっぱり4年連続「アメトーーク」といわれているとお正月に聞いた時に、「あっ、これはもう、テレビバラエティーの作り手が怠けてる証拠だな」と思いました。だからテレビは面白くないといわれていると。「アメトーーク」は、もうあるからいい。そうでないものを見せろ。そうでないものを作れないんだったら、テレビバラエティーは面白くない、要らないということだと思います。要するにその時、その時にあるテレビバラエティーというものを、乗り越えよう、否定しよう、そうじゃないものを作ろう。ということがあったから、テレビバラエティーというのは面白いと言われてきたと僕は思うんです。来年のランキングが変わっていくのではなかったとしたら、まあテレビバラエティーはここで終わりでいいなと思いますし、そんなことは多分ないと思いますけども、それを目指す作り手たちが、各局の現場の中にいるかどうかだと思います。以上です。

この提言に対して、いくつかの討論があったが、注目すべきは、ドラマ作家北川悦吏子氏の言葉。

土屋 はい、北川さん。
北川 このご時世で、予算が少なくなって、ひな壇芸人を並べたのが一番予算が少なくできるとか、そういう事ってあるんですか?
土屋 それはどうですかね? それぞれ皆さん、ギャラは高いと思うので、そんなことはないと思いますよ。やっぱり、制約がいろいろあるって言われますけど、制約こそがチャンスだと僕は思うんですよね。こうこうこうで、みんながその制約の中でやってるわけだから、そこを抜け、だから、例えば、自分の話が一番わかりやすいんで、言いますと、「電波少年」って番組は、みんながなんとなく、バラエティーってのは、永田町(首相官邸)に行くもんじゃないって、思っていたから、そこを永田町に行ったから、「電波少年」っていうのは新鮮だったし、そこで何らかの成功の決着点がないと思ってたけど、それはもう要するに予定調和するよりは、ダメならダメ、玄関で追っ払われたら、それはそれで面白いんじゃないのっていうことが、さっきの「イッテQ!」の古立もそうですよね。当然、これ成功しなきゃならないんじゃなくて、その過程の中で、人間が真剣だったら、面白いだろうということを見つけたというか。その形が、今の番組(「イッテQ!」)に受け継がれてる。
糸井重里 土屋さんさ、「電波少年」の最初のすごい貧乏くさいスタジオあったじゃないですか。あの時の、1回の予算っていくらぐらい?
土屋 1回の予算…、でも、とにかく3か月のつなぎ番組なので、とにかく予算をオーバーするなっていうふうにはすごく厳しく言われましたね。
糸井 おおむね、いくらぐらい?
土屋 150万(円)ぐらいじゃないですか? 1本150万ぐらい。
糸井 ほら、やっぱり、びっくりするんだよ、みんな。
北川 150で…ドラマとか、ありえない…。
土屋 でも、それが、つなぎ番組の予算ですし、ですから一番近いのは、当時、日本テレビ麹町にあるので、すぐ行けるのが永田町なんですよね。(当時の日本テレビと首相官邸の距離約1500メートル)
北川 それはでも大事です。
土屋 ええ、歩いて行けるんです。首相官邸まで。議員会館まで。というのはすごくありましたね。だから、千代田区出るとちょっとドキドキしました。
主婦小澤(一般視聴者) 今、見てて、「イッテQ!」って何回かしか見たことないんですけど、ちょっと見てる間でも、笑いがあって、感動があってっていうのが、やっぱり作る方の熱だと思うんですね。わたしか本当に以前、よくテレビを見ていた頃って、家族とか親子全体で見られるバラエティー番組がすごく多かったように思うんですよ。だから、おじいちゃんからおばあちゃんから、子供までが一緒に見てて楽しめて何て言うんでしょう? お腹抱えて笑って団らんの中にテレビがあったっていう。だから今でも、昔のテレビっていうのは良かったなって。それで慢性化してるっていうか、テレビに慣れちゃったんですかね。で、今は、面白さを感じないのかな。
糸井 いつの間にか、ターゲットって言葉をやたらに使うようになって、何歳ぐらいの男に見せたいとか、ああいうことを、ものすごく言うようになりましたよね。
土屋 ただ、僕も「電波少年」って大体、上の方の世代の方は、あんな失礼な番組は、もう見たくもないって随分おっしゃった。ただ、それはやっぱり、自分が面白い…要するに、それは大事なのは、今、やってない事。今、テレビでやってない事を探すエネルギーを向けるかどうか。その歴史が確実に、テレビバラエティーって、やっぱり、そうやって作ってきたんですよ。ましてや、例えば、ソーシャルネットワークっていうものが出来て、さっきの熱っていうものが伝わりやすくなったんです。昔は、例えば、次の日、学校行って「昨日の『電波少年』見た」って言ってくれないと、伝わらないんですよね。ところがソーシャルネットワークで今、見たよ、面白かったよって言う形の、ソーシャルネットワークで広がるようになってるのですから、作り手の熱は広がりやすいんです。ですから、インターネットは、明らかにテレビの作り手の味方になってるんですよね。…って言うことをやっぱり認識すべきだと思います。
糸井 今日の土屋さん、かっこいい。
土屋 ありがとうございます。

土屋氏の発言がそのまま「NHK×日テレ60番勝負」の番組に結びついていることが分かる。
(1)誰かがやって成功したことではなくて、誰もやってない事
(2)制約を作って出演者の真剣さを見せる事
(3)ソーシャルネットワークを活用する事

つまり、「NHK×日テレ60番勝負」、特に24時間でドラマ制作の過程を見せることがこれからのバラエティーの生きる道だということである。

 

 

追記

土屋敏男氏は、「1000人が考えるテレビ ミライ」と「NHK×日テレ60番勝負」が関連していることをツィートしている。

 

NHKの「1000人が考えるテレビ ミライ」再放送中らしいけど「バラエティは新しいものを提示する事が使命」と言い、その後の「NHK✖日テレ60番勝負」でその一つを提示したつもりだから出来ればとセットで再放送して欲しかったが、ま、そうもいかんだろう。。。

(https://twitter.com/TSUTIYA_ON_LINE/status/297969017820442625)

ブログパーツ

今、「面白い」が面白い(異文化文献録)

 本屋を覗いても、テレビを見ていても、世の中は「面白」ブームである。本当に面白くても、それほど面白くなくても、頭に必ず「面白い」の文字がつく。でも、何で「面白い」という文字は、面(顔)が白いと書くのか。その語源を探ってみた。

 この「面白」ブームは、実は文明の進歩と無縁ではない。ゆとりのない世界では、もっとも実用的で安い製品が要求される。ある程度経済的に豊かになると、他人とはちょっと違う「面白いもの」が望まれるという。この「面白い」という感覚は、非常に個人的な感覚だということがそこに伺える。「面白い」という言葉を英訳するときに、辞書に最初に出る文字は「 interest 」である。「 inter 」(間に)「 est 」(ある)というのが、その語源であるが、「面白い」という言葉も、「自分」と「物」や「人」との関係性にあることも大変興味深い。(天野祐吉 もつと面白い廣告 」ちくま文庫)

 「面白い」とは、「目の前(面前)がぱっと明るくなる」というのが語源である。「白くなる」というのは、顔に日がさして明るくなるという意味だ。つまり周りが明るくなれば、気分も陽気になるということからきているのだ。(杉本つとむ 現代語語源小辞典 」開拓社)これから転じて、現代で「面白い」とは物や人に出会ったことにより、自分自身の心の中の疑問やもやもやが開放されて気持ちが晴れ晴れとなることを言う。(天野祐吉 広告の言葉 」電通)しかし、僕自身はこの語源ではあまりに当たり前すぎて面白くない。

 そこで、見つけたのは平田篤胤(江戸後期の国文学者)の説だ。それは、文字通り、顔から血の気が引いて白くなることからきたというのだ。血の気が引くとは、死ぬことである。そして「あな面白し」と言って、死者を祝福したという。死ぬことが面白いとは、これほどとんでもない話もない。(樋口清之 装と日本人 」講談社)

 話は、仏教や儒教思想が入ってくる以前の日本の古代にさかのぼる。その頃、人間は死んだ後、「常世(とこよ)」の国に行くと考えられていた。「常世」の国では、死者は現世(うつしよ)と同じように生活しており、「常世」で死ぬと現世に生まれてくると考えられていた。さらに「常世」にいるものは、時々魂の形で現世に帰ってきたり、「神」として現世のものたちを守護すると考えていた(谷川健一 常世論 講談社学術文庫)今、死後の世界というと暗いイメージがあるが、これは仏教や儒教で「地獄」の思想が入ってきたためである。この「常世」に行くことは、現世よりも一段高い「神の世界」に行くことであるから、祝福すべきことである。したがって、篤胤は「あな面白し」といって、死者を祝福したと考えたのである。

 この「常世」の思想であるが、どんな世界であるかと言うと、「浦島太郎」伝説を思い出してもらうとわかりやすい。あの「竜宮」の世界がそれである。死者の世界のイメージは消えたが、時間を超越した世界だということは、「常世」という言葉でもよくわかる。(久野昭「 葬送の倫理 紀伊國屋書店)古代人は「あな面白し」の中に「未知」への「恐れ」と「あこがれ」を含めたのではないだろうか。「常世」は古代人の抱いたスリルとファンタジーに満ちた「ユートピア」の世界なのである。現代で言えば「面白ランド」とでも言えるかもしれない。

 「ディズニーランド」が面白いのは、日常世界(現世)から切り離されているためだという。しかもその世界では、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。つまり「面白い」とは、自分の持っている「日常感覚」とは、ちょっと違う未知の世界(面)を見た時の言葉なのだ。

 「面白い」という言葉は、子供の時によく使う。それは彼らにとって現実世界があまりに未知にあふれているからだ。もし年をとってもこの「面白い」と感ずる未知への好奇心を失わない限り、人生は「面白さ」に満ちているに違いない。



追記

この ( 異文化文献録 ) のシリーズは、 20 年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。引用文と地の文が明確でないし、ネット・メディアとはあまり関係ないと思われるかもしれない。だが、メディアは現代文化のひとつの様相であり、文献をつないで現代日本人を探る姿勢は変わらない。自分のデータベースとしては、このシリーズを載せないでは中途半端だと思っている。

 

※ エクスポートの時消えた異文化文献録の1編

ブログパーツ

子供と大人の間には(異文化文献録)

 子供と大人の違いは、どこにあるのだろうか。「成人式」を過ぎても親に養われる者もいれば、 15 歳で立派に一人で働いている者もいる。すると、子供と大人の違いとは、生活力の差なのであろうか。子供はどのようにして大人になっていくのだろう。今回は、親の役割を通して子供の成長の意味について考えてみた。

 子どもはかわいい。この「かわいい」の語源は「顔映ゆし」で「顔が火照るほどかわいそうで見ていられない」という意味だ ( 「 広辞苑 」 ) 。この底に、頼りなげで未熟で守ってあげたいほど「かわいそう」だから「かわいい」という子供に対する母親の愛情がある。十分な愛情を受けた子供は、母親から「思いやり」の大切さを学ぶ反面、「甘え」の関係を生む。

 「甘え」は相手の好意にすがることであり、本人の力よりも人間関係が重視される(土居健郎「 甘えの構造 」弘文堂 ) 。日本人が学歴・家柄・コネ・会社 などで自分の能力を評価してもらおうとするのは、相手の好意を当てにした「甘え」であり、結局自分の能力に自信がないためだ。従って子供は「よい会社」に入るために「よい大学」に入り、「よい大学」に入るためには「よい高校」に入ろうと努力する。親や教師に従順なこのような子供達は、普通「よい子」と呼ばれている。

  「よい子」は、いつも他人の目を気にしている(加藤諦三人生の悲劇は『よい子』に始まる 」PHP文庫)。彼らは自分を主張する事は悪いことであり、親や教師のために尽くすことが、結局は自分のためになり、正しいことだと信じている。このような子はやがて自分を殺して、親のため、教師のため、会社のための人生を送ることになるだろう。

  それなら「自分を生かす」ためにはどうしたらよいのだろうか。実はそこに子供に「自立心」を教えるという「父親の役割」があるのだ(国分康孝「 『自立』の心理学講談社現代新書 ) 。「自立」とは単に職について生活費を稼ぐことではない。自分の能力に自信を持って、人生を切り開いていくことなのだ。子供は、堂々と自分の決断力で家族を導く父親の背中で「自立」を学ぶのである(河合隼雄人間の深層にひそむもの 」大和書房 ) 。

 母親の役割は「思いやり」を産み、父親の役割は「自立」を育む。自立なき思いやりは「浮き草」となり、思いやりなき自立は「孤立」となる。この母親と父親の役割の微妙なバランスが、子供の基本的な人格を作り上げる。難しいことだが、片親だけでもこの二つの役割を果たし、立派に子供を育ててる親も多い。

  回りがどんなに管理化され、画一化されようとも、子供たちは自分の心とからだで、自分が本当に生きてるのだという実感をつかもうとする(スタジオアヌー「 子供!晶文社)。どんな親にもこの「自立」の芽を摘むことはできない。子供に親ができるのは、巣立つ雛たちに飛び方を教え、気持ちよく飛び立てるように助走路を作ってやれるだけなのだ。子供たちの人生、それはその子供自身にしか作れないのである。

 

追記 

この ( 異文化文献録 ) のシリーズは、 20 年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。引用文と地の文が明確でないし、ネット・メディアとはあまり関係ないと思われるかもしれない。だが、メディアは現代文化のひとつの様相であり、文献をつないで現代日本人を探る姿勢は変わらない。自分のデータベースとしては、このシリーズを載せないでは中途半端だと思っている。

 

※ エクスポートの時消えた異文化文献録の1編

ブログパーツ

正義の見方(異文化文献録)

 かつて人間は「正義」の名のもとに戦争を起こし殺戮をくり返した。どうやら「正義」は国家の数だけ、人間の数だけあるらしい(手塚治虫ガラスの地球を救え」光文社)。しかし、人間らしく正しく生きていくには、何が正しく何が間違っているかを判断する「正義の見方」が必要である。今回は日米の「正義の味方」を通して、背後に潜む「正義の見方」を考えてみた。

 数多くのコミックヒーローの中から、アメリカからは「スーパーマン」、日本からは「鉄腕アトム」に登場願おう。二人とも人間ではないところに共通点がある。人間が人間を裁くのでは、どちらかに片寄りがちだからである。

 さて「スーパーマン」だが、その名の通り人間の能力を超越している。アメリカには強いものには神が味方するという思想があり(木村尚三郎「 ヨーロッパの窓から 」講談社)「神」によって「超能力」を与えられた「神の代理人」と考えることもできる。

 さらに、「スーパーマン」は正義と真実のほかに「アメリカンウェイ」を守る「超人」であるという(小野耕世「 スーパーマンが飛ぶ 晶文社)。「アメリカンウェイ」とは、アメリカ式の生き方のことで、これを簡単にいえば「とりあえずやってみることであり、行動と実践がすべて」ということだ(加藤秀俊 アメリカ人 講談社現代新書)。アメリカ人は、この生き方が一番すぐれていると思っている。「スーパーマン」が「強いアメリカ」の象徴として捉えられるのはその行動力のためである。

 「スーパーマン」以来、さまざまなヒーローが出て来たアメリカだが、なぜかロボットヒーローが生まれていない。フランケンシュタインのような怪物や悪の手先として現れるのが大部分で、せいぜい良くても人間の召使いである。「ピノキオ」ですら、最後には人間に生まれ変わってしまうのだ。これはなぜなのか。

 その根底に、ロボットに対する不信感や違和感が存在しているのではないだろうか(矢沢永一「 『正義の味方』の嘘八百 」講談社)。例えば会社にロボットが入った場合、アメリカ人は自分の仕事が奪われるのではないかと考え、日本人は新入社員が増えたと考える。個人的な損得より集団的な損得を考えるのである。

 アメリカ人は「人間」と「神」との関係が絶対的なように、「ロボット」はあくまで「人間」の下僕であって決してヒーローになることはないのだ。

 日本では絶対的な「神」が存在しないために、このロボットに対する違和感がない。したがってさまざまな電化製品やコンピューターに愛称をつけたりしているのは、生きとし生けるもの(この場合は生命すらないが)はすべて人間の兄弟であり自然の一部であるという思想が根底にあるからだ。「 鉄腕アトム 」(手塚治虫「漫画全集 221238 」講談社)は、「人間」に奉仕するために生まれた「ロボット」の話である。「アトム」は自分のもつ「正義感」によって「神」である「人間」を裁かなければならないのだ。この一見矛盾する設定が、実は「正義」とは誰のための「正義」かという問いかけを読者にしているのだ。そして「アトム」は「人間」と「ロボット」の間にたって絶えず悩むのである。「人間とはなぜこんなにも愚かなのか」と。

 アニメ化された時、この苦悩の部分はスッポリ抜け落ち、単純な勧善懲悪物だと思っている人も多い。またそれゆえヒットしたのである(長谷川つとむ「 手塚治虫氏に関する八つの誤解 」柏書房)。

 みずからを単一民族だと思っている日本人には、少数民族や差別される民族の苦しみはわからない。「鉄腕アトム」は言わばロボットという被差別民族から出された人間告発の漫画なのだ。「正義」は弱者の立場にたってこそ本当の意味があるとこの漫画は語っているのである。

 

 

追記

この ( 異文化文献録 ) のシリーズは、 20 年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。引用文と地の文が明確でないし、ネット・メディアとはあまり関係ないと思われるかもしれない。だが、メディアは現代文化のひとつの様相であり、文献をつないで現代日本人を探る姿勢は変わらない。自分のデータベースとしては、このシリーズを載せないでは中途半端だと思っている。

 

※ エクスポートの時消えた異文化文献録の1編

ブログパーツ

夢物語(異文化文献録)

 「絶対にファンタージェンに行けない人間もいる。いるけれども、そのまま向こうに行きっきりになってしまう人間もいる。それからファンタージェンに行って、またもどってくる者もいくらかいるんだな。きみのようにね。そして、そういう人たちが、両方の世界を健やかにするんだ」(ミヒャエル・エンデはてしない物語岩波書店)今回は「夢」と「現実」について考えてみよう。

 ファンタージェンは人の夢が集まって出来ている夢の世界だ。ファンタージェンに行くにはさまざまな方法がある。眠りに落ちて夢を見るのももちろんだが、小説を読んだり音楽を聴いたり、映画を見たり、旅に出たり、人に会ったりしてもいい。それをきっかけに、未知に触れ、今まで失っていた何かを手に入れ自分を大きく開くもの、それが「夢」なのである。「夢」は非現実的で、はかなく幻のようなものだと人は考える。だが、現実には「夢」の産物があふれかえっているのである(小原信「ファンタジーの発想 」新潮選書)。映画も音楽も演劇も小説も、すべての文化・文明は自らの「夢」を他人に伝えようとした者、言い換えれば、「夢」の世界から戻ってきた者によって作られているからだ。「夢」の中で自分の真実を見出して、新たな自分を作っていく作業、これは一生の大事業である。

  夢の旅へ出かける前に、次の三つの点に注意しよう。 (1) まず、夢を信じること。疑ってかかれば、すべては幻想に終わる。これは冒頭の絶対に行けない人間のことだ。 (2) また、必ず現実の自分に帰ってくること。帰れないということは、現実を忘れることである。帰れなかった人間は、自分で殻を作って自分の世界に閉じこもるイビツな人間になりやすい。 (3) 「夢」を「夢」で終わらせないで、自分の成長の糧とすること。すぐれた「夢」に数多く触れた人間は心を豊かにする。それでは、眠りにつくことにしよう。

  さあ、下を見てごらん。全人類に共通する広大な無意識の海だ(秋山さと子夢で自分がわかる本史輝出版 )。君達は、胎児がわずか十ヶ月の間に魚の体形から人間に至るまで人類発生の進化をたどっていることを知っているね。この無意識層もその人類の発生までの記憶をここに刻んでいるのだ。だから、夢の世界は現実とは比べ物にならないほどはるかに広い。ユングは夢のことを「無意識の世界からの意志のメッセージ」と呼んでいるけど(はなやるまほう貌「 夢の本 」 JICC 出版)、「夢」はこの無意識の海に咲く幻想の花だと僕は思う。

  今、上空で光ったね。まるで花火のようにも思えるけど、誰かが「夢」を見ているしるしだ。でも、目覚めているときなら「ひらめき」や何かを見ての「感動」であるかもしれない。実際、まだまだ「夢」についてはわからないことが多い。日本の古代人が「夢」を「神のお告げ」と考えていたり(樋口清之夢と日本人」講談社)、ギリシャでは死と再生の国土からやってくると考えていたのも無理はない。宮沢賢治が「銀河鉄道の夜」で死後の世界を旅したように、夢の世界の一部に「死後の世界」があってもおかしくはないのだ。

  そろそろ目覚めのときだよ。よく現代人が「現実」の厳しさゆえに「夢」をもてないというけれど、さっきも言ったとおり、現実には「夢」があふれているのだ。彼らは「行けない人間」だから「夢」が見えないのか、テレビに映る虚像のようにまがいものの「夢」を「現実」と誤解しているのかもしれない。もっとも、たとえ見えたとしても、彼らにとって「夢」は単なる「夢」であって、「夢」から何かを学び取ろうと考えもしないし、ましてその「夢」で自分の現実を変えようなんて考えたこともないだろう。でも、「夢」を「実現」する方法はただひとつ、「現実」をひっくり返してみてごらん。ほーら。

追記

この ( 異文化文献録 ) のシリーズは、 20 年近く前にあるタブロイド紙で連載したコラムである。これは、僕の文章スタイルの原点でもある。引用文と地の文が明確でないし、ネット・メディアとはあまり関係ないと思われるかもしれない。だが、メディアは現代文化のひとつの様相であり、文献をつないで現代日本人を探る姿勢は変わらない。自分のデータベースとしては、このシリーズを載せないでは中途半端だと思っている。

 

※ エクスポートの時消えた異文化文献録の1編補充

ブログパーツ