夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

技術の継承なくして優良なコンテンツは残せない

 インターネットはテレビ局に何を望んでいるか。それはテレビ局が持っている、豊富なコンテンツだ。

しかし、最近のバラエティー番組、なぜかよく似ていないだろうか。10人近くのタレントをひな壇に乗せて、司会者がそのタレントたちとトークすると言う形だ。おそらく、外国人が見れば、どれもこれも同じようなものと見えるだろう。つまり、一人だけで持つ番組がないということである。

 また、構成作家にしてもそうだ。番組のテロップを見てみたまえ。番組の最後に10人以上の作家の名前が流れている。しかもよく見れば、ほとんど同じ名前である。つまり、これらの構成作家、掛け持ちをしているのだ。これでは、どの番組も同じようになっているのは当たり前である。僕は、このような番組を「回転寿司」番組と名づけようと思う。作家もタレントも小粒であり、流れるようにどんどん移り変わるからだ。当然、これでは、優良なコンテンツはできない。

 さて、テレビ局と制作会社が上下の関係になっているうちは、やらせ番組やねつ造番組を止めることはできないだろう。しかし、そのこと(テレビ局と制作会社の関係)を報道するテレビ番組は少ない。なぜなら、日本では新聞とテレビが結びついているからだ。そこをつくことは、新聞の収入源の矛盾をつくことになりかねない(これは僕の想像だが)。

無料の知識と有料の知識」で書いたとおり、インターネットでニュースを流すことは自分の首を絞めかねない。新聞紙面をよく見ればわかるが、新聞社は株式会社ではない。それは、株主の意向によって記事の内容は左右されてはいけないというためである。つまり新聞の独立性を維持するためだ。

 したがって、別に同系列のテレビを叩いてもいいのだが、そんなことはしないし、またテレビドラマで使われる新聞は同系列ばかりである。ニュースのコメンテーターも同じ系列なので、ニュース源はどこかつながっているのではないだろうか。そこに「報道の公正」の問題がある。

 一方、アメリカは映画とテレビが結びついている。そこにアメリカのコンテンツの強さの理由がある。テレビでディレクターやシナリオライターを育てて、映画で監督として活用することができる。日本では、そういうシステムはない。かえってテレビ局がドラマの成功を受けて映画をプロデュースして海外に進出する形となっている。ただ、この形は、金のあるテレビ局に限られ、日本で映画監督として登用する例はあまりにも少ない。

 インターネットの参入は、テレビ局や映画会社を通さずにインターネットの放送局から新たな新人が生まれるチャンスがあるのではないだろうか。
ブログパーツ