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素人だから言えることもある

悲観論からは何も生まれない

 「第2の波では組織、第3の波では個人が主体に」のコメントを読むと、悲観論の大合唱だ。しかし、だったらこうしたらいいのではないかという建設的な意見が聞かれないのが悲しい。

トフラーは「富の未来」の終章で2つの言葉を紹介している。

「悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地平を切り開いたこともない」(ヘレン・ケラー

「悲観論で勝てた戦いはない」(アイゼンハワー大統領)

 多くのブログ記事にしてもそうだ。ニュースの批判はするが、それからどうしようという意見はない。批判は、批判される人間に反省を求め、批判される人間はそのことによって鍛えられ、希望を見出す可能性もある。だが批判する人間は何を見出せるというのか。

「衆愚論」の欠点のひとつは、批判する大衆に対して、自分が一段高い位置に立っていると誤解していることだ。自分もまた「衆愚」の一人に過ぎないのに。

ヘレン・ケラーは障害と闘いながら、人々に希望を与えた女性である。障害を持っている人間よりも、健康で経済的に豊かな大衆のほうが悲観主義に陥っているのは変だと思わないのだろうか。悲観主義で一生を過ごすよりも、一縷の希望を持って生きたい。限られた時間だから。

最後に、

 「みんなが考えているよりずっとたくさんの『幸福』が世の中にはあるのに、たいていの人はそれを見つけないのですよ(メーテルリンク「青い鳥」新潮文庫)」

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