夢幻∞大のドリーミングメディア

素人だから言えることもある

メディアが不安をあおる理由

(1)メディアは全体をまとめるのが苦手

 柳沢発言の「産む機械」「2人が健全」や、村上被告の「聞いちゃった」発言、森元首相の「神の国」発言など言葉尻を捉えて報道する。(ムーブ2/1放送で政治家失言集をやっていたらしい >)「ねつ造の心理?退屈が怖い」で引用したとおり、話の中身より、言葉の端々を取り上げるのが好きだ。それは簡単な理由である。新聞なら見出しになる短いフレーズ、テレビなら映像として成り立つ短い瞬間、安倍首相のように長時間しゃべっているのに、「美しい国」しか聞こえない政治家では取り上げようがないのである。

(2)メディアは最悪を選ぶ

 メディアは複数の予想が出たとき、必ず最悪の数値を選ぶ。最近では地球温暖化の予測が発表された。池田信夫氏の「地球温暖化のメディアデバイス」を読むと、IPCCは6つのシナリオを用意した。そこではおおむね気温は今世紀末に1.8-4度上昇するとなっている。そして参考データとして「最悪のシナリオ」6.4度上昇となっているという。ところが日本のメディアはすべて6.4度上昇を採用した。
(BBC報道)は1.8-4度だ。ずいぶん違うが、どっちが正しいのだろうか。IPCCの報告書を読めばわかるが、6.4度というのは6つのシナリオの中で、ありそうにない(何も温暖化対策をしないで化石燃料が増え続ける)「最悪のシナリオ」のそのまた最悪の(世界の人口が150億人になる)場合の数字だ。記者会見(ウェブキャスト22分以降)でも、1.8-4というbest estimateが公式の予測とされ、それ以外の極端な数字は欄外の参考データである。(「地球温暖化のメディアデバイス」)
 実は、この例と同じようなケースが厚労省の発表を報じたメディアにもあった。「リスクのモノサシ」(中谷内一也著・NHKブックス)にも取り上げられている。
最悪のパターンの強調

 マスメディアの報道スタイルのうち、人々の不安を高める原因の一つとしてあげられるのが、幅広いリスク評価の中でもっとも深刻なものを強調し、穏当なものにはあまり注意を向けないという傾向である。

(中略)

(鳥インフルエンザの)そのリスクについて、(新聞の)記事の中では「厚生労働省は大流行した場合、四人に一人が感染し、国内でも最大で外来患者が約2500万人、死亡者が64万人になると推定している」と紹介されている。64万人というのは年間のガン死者数の約2倍である。実際にこのようなことが起こりうるのだろうか。まずは起こりえない。ここでいう最大64万人というのは、政府が流行に備えてどの程度の準備をしておくべきかを判断するため、何の準備もしなかった場合に最大級のインフルエンザが発生したらどうなるか、という最悪のシナリオを設定して導かれた値である。実際にはワクチンや治療薬を使うし、公衆衛生状態はかつてより高い水準にあるのだから、この64万人は現実には起こりえない数字ということになる。(中谷内一也著「リスクのモノサシ」NHKブックス)

 メディアの体質としては他のメディアが最悪の数字を発表しているのに、自分のところが穏当な数字を出すわけにはいかないという競争意識が働いている。いかに無理な理由であっても数字が出ている限り、最悪な数字を出さざるを得ないのだ。しかも、自己正当化の意識がその中に含まれているという。
というのは、被害予測を小さく伝えておいて実際に大きな被害が発生してしまった場合は、被害者が出たがゆえに見通しの甘さを叩かれるが、逆に、大きな被害予測を強調しておいて実際の犠牲者が少なかったときには、「あれは警告として意義があった。犠牲者が少なくてよかった」と、見通しの誤りを正当化しやすいからである。(中谷内一也著「リスクのモノサシ」NHKブックス)
 僕は、「メディアは信じるものではない」の中でメディアは比較するものだと書いた。しかし、比較すべきメディアがすべて一方向を向いているケースがあまりにも多い。その中でどれを信じたらいいかは、自分で知識を持って考えるしかないと思うのである。なお、「リスクのモノサシ」を引用して書いた「安心と安全は両立しない」も参照して欲しい。
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